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2012年4月 春のきざし
今年の札幌は例年になく春の訪れが遅いようです。
山々にはまだ深い雪が残っています。その残雪を踏みしめながら、春のきざしに包まれてきました。

塩谷丸山にて。
私達にとって定番の山。いつの季節に行っても美しい眺望を与えてくれます。今回は初めての残雪期の登山でしたが、頂上からの白い山々、青い空と海の展望に感嘆の声を上げました。つぼ足で十分でしたが、途中で追い抜いてくれた若者が居なかったら、ラッセルにきっと音をあげていたことでしょう。


雪解けが進む沢辺に、もうヤチブキ(エゾノリュウキンカ)の花が咲いていました。春ですね。近くの森では、クマゲラが一心に幹をくりぬいていました。


支笏湖、風不死岳にて。
残雪の急こう配を登ること約2時間、素晴らしい眺望を得ることができました。でも残雪はけっこうぬかるんできており、何度も腰まで埋まってしまいました。



春のきざしは食卓にも届きました。
レストラン "Le Musee" にて

# by kobayashi-skin-c | 2012-04-19 12:15 | PHOTO & ESSAY | Trackback | Comments(0)
2012年3月教室 『20周年目を迎えた乾癬の会』
全国に先駆けて始まった患者会「乾癬の会」が設立されて、今年で満20周年を迎えました。20年前のことを振り返りながら、いまや全国的なうねりとなった乾癬患者会のこれからの役割について、皆さんと一緒に語り合いました。医療はみんなの力で大切に、着実に育てるもの。これからの医療の方向に患者会はなくてはならない存在です。

参加していただいた方から、

「乾癬のつらさは、他人にはなかなか分かってもらえません。いちばん身近な家族でさえも、本当のつらさを分かってくれてはいないと思います。でも、乾癬患者同士はピタッと分かるのです。お互いが分かりあえるのです。その仲間の大切さを何よりも大事にしたいです。」

「自分は、通っていた病院のポスターでたまたま乾癬の会の学習懇談会の開催を知り、初めて参加しました。その時に、自分が求めていたものはこれだ、と確信し、以後すっかりはまってしまいました。」

「私はアウトドアやスポーツをやったりしてけっこう趣味が広いのですが、乾癬の会でみんなが集まるあのひと時がなによりも楽しい。」

「乾癬の患者は全国にもたくさんいます。ことに今たいへんなのは『3.11』で傷ついた仲間達です。宮城に乾癬患者会ができていますが、その会員の方のなかに、今も連絡が取れない方がいます。家族を失くした方もいます。福島にも乾癬患者会がありますが、原発事故のため住むところを失ったり、治療する場所が無くなったりした方がいます。けっして『3.11』を風化させてはなりません。乾癬の仲間としても、いっそう絆・連帯を深めていきたいと思います。」

といったお話しがありました。

また乾癬の会草創期に事務局長をされた岡部さんが、思い出の写真とともに、会の発展の歴史についてお話しされました。そして最後には、これからの患者会が目指す方向について以下のようにまとめられました。

①原因解明と完治・現状よりの改善・心の癒し(QOL)
 ―患者の努力、医師・コメディカルの支援、行政による救済―
②患者・会員が主役の患者会活動 
     全国的、全世界的規模の患者会を展望
③現代医学、東洋医学を結集して、完治をめざす研究の発展 
  ・新しい治療法の探求=医師と患者の協力・協同 
  ・人間が持つ治癒力を引き出す=温泉療法、リハビリの経験から
④どんな社会が難治性疾患から患者を解放できるか

4月14日(土)午後3時から『乾癬の会20周年記念学習懇談会』が
かでる2・7 820会議室で開かれます。
講演『皮膚は地球を救う』(大阪大学大学院教授 玉井克人先生)
そして皆さまからの質疑応答があります。皆さま奮ってご参加ください。
くわしくは、「お知らせ」の記事を参考にしてください。


昨年12月10日に発行された乾癬の会会報『陽だまり』に、乾癬の会の思い出をつづった「乾癬の会歴史ヒストリア、私が乾癬にいちばん近づいた日」を寄稿いたしました。長文ですが、お読みください。

「乾癬の会歴史ヒストリア、私が乾癬にいちばん近づいた日」
            相談医 小林皮膚科クリニック院長 小林 仁

 日々診察室の中では、乾癬の具合を診るため、皆さまにぐっと近づいて仔細に皮膚を観察したり、あるいは指で触ったり、そっと手でなでたりさせていただいています。ですから、いつも乾癬の皮膚にはたいへん近づいているのではありますが、私が乾癬にいちばん近付いた日は、1993年9月、初めての豊富温泉湯治ツアーのときだったように思います。今でこそ湯治ツアーはもう今年で19回目を迎え、乾癬の会になくてはならない年中行事となっています。私自身も初回以来連続参加の常連となり、ふれあいセンターの湯船では経験豊かな主(ぬし)の風情でおりますが、今となっても第一回目の湯治ツアーのあの時の光景が鮮明に頭によみがえります。

 1992年1月、凍てつく寒さの中、北海道大学医学部の旧校舎講堂で乾癬の会が発足しました。北海道新聞紙面にこのことが伝えられると、一気に会員の数が増え、その会員の中に「豊富温泉に行くと乾癬が治るよ」と教えてくれる方がいました。そのことを乾癬の会の役員の方々に伝えると、さっそく二人の女性役員が現地にとび、体験湯治を行ない、皮膚症状の推移を写真に収めて皆に披露してくれました。それから役員の皆さまの努力と、豊富町役場のご理解に支えられ、第一回目の湯治ツアーの準備はとんとん拍子で進められました。そしてそのツアー初日、北海道大学病院の駐車場に豊富町役場のバスが横付けされ、約50名のツアー参加者を迎えてくれました。乾癬の会第二代会長の高鍬さんを団長に出発です。初めての豊富湯治ツアー、初めて見る顔、私をはじめ皆さん一様に緊張していました。バスは日本海側の国道を豊富に向かって一直線に北上。左手に日本海を間近に見ながら、途中オロロン鳥で有名な天売、焼尻の島々を眺めたり、自己紹介をしながらお互いにうちとけていきました。やがて利尻富士の頂きがぽっかりと見えはじめ、天塩川を渡るころ、秋の陽は水平線に沈んでいきました。夕陽に照らされる利尻富士、橙色に染まる空を背景に、牧場と牛の黒いシルエット。今までに見たこともない北海道の景色であり、これから辿り着く豊富も、今までに経験したことがない未知の世界であろうと、期待と不安が、どちらかと言うと不安のほうが、私の心を大きく占めていきました。

 天塩川を渡ったバスは、海岸沿いから離れて北緯45度の目印を過ぎていきます。あたりには何にもなくなりました。家も畑も牧場も見えません。一面牧草地なのか、笹原なのか、とにかくナーーンニモナイ平原、丘陵をバスは走ります。外の気温がかなり下がってきたのか窓ガラスが曇り始めてきました。やっとポツン、ポツンと家の灯りが見え始めたころ、バスの運転手さん、そうそうバスの運転手さんをしてくださっていたのは豊富町役場職員の円谷さんとおっしゃる若い男性でした、が「豊富温泉に着きましたよ」と案内してくれました。そこには、登別でも定山渓でもない、かといって山の中の秘湯でもない、なにかウラ寂れた、そう場末のキャバレーと言ったら分かりやすいかもしれない、そんな町並みの豊富温泉が佇んでいました。ますます不安になってきたものでした。けれども宿のニュー温泉閣ホテルに案内されて入ると、支配人、女将さんが暖かく出迎えてくださり、テキパキと部屋に案内してくださいました。そしておいしい夕食をいただくころ、すこし気持ちも和らいできました。さあ、そして入浴です。

 豊富町営の「ふれあいセンター」がいわゆる源泉。みんな揃ってふれあいセンターに行きました。当時のふれあいセンターは、今とは違って、もう少し手狭でした。入ってすぐのところは食堂ではなく、休憩室でした。地元の農家の方たち、漁師の方たちが家族連れでくつろいでいました。その休憩室の奥に男用と女用の浴室。現在の湯治用の浴室だけしか当時はありませんでした。ふれあいセンターに入った時から感じていましたが、工事現場にいるような石油、アスファルトの臭いが漂っています。さあ、いよいよ入浴です。

 浴室も更衣室も、地元の人たち、観光で訪れた人たちでかなり混み合っていたように記憶しています。乾癬の会のみんなはどんな気持ちで、どうやって服を脱ぐか、乾癬の肌をどのように隠さなくてはならないか心配です。周りの人たちの視線が気になります。私は乾癬を持ってはいないのだが、すごく気になります。みんなが服を脱ぎ始めるころ、思わずまわりの人たちの顔色をうかがってしまいました。そして注がれたその視線にたじろぎました。びっくりしたような顔つき、すぐに眼をそらす人、そっと覗き込むようなまなざし、なにかしら不愉快そうなしぐさ?。そのように感じるのです。その全部がちくちくと私の心を痛めました。でも、口に出す人はいません。あらわな態度をとる人もいません。ホッと一安心。でもこそっ、こそっと、ちらっ、ちらっとみんなの肌を周りの人は気にしています。ちくちくと私の心は痛みます。だってみんなは私の仲間なんだから、私は乾癬の会の一員なんだから。私が乾癬に一番近づいた日、それがこの時でした。「みなさんと乾癬を共有した」、そんな第一回目の湯治ツアーだったと今でも懐かしく思い出します。

 ところで、あの時のみなさんの心持ちはどんなだったのでしょうか。最近の豊富温泉では、私もみなさんも、ぱっぱ、ぱっぱと服もパンツも脱ぎ捨てて真っ裸。あたりまえのようにフリチン(生まれたままの姿)になって、湯治用浴室に入っていきます。石油くささも心地良く感じます。周りの人の目なんか全然気になりません。だって浴室での会話は、「あんた大したことないね、十両なみだ。俺の桜吹雪、どうだい」、「生物製剤で乾癬は少なくなったけど、ここに来るためにこの乾癬は残しておきます」、「先生、乾癬がないね・・・・・・、アトピーかい?」。今のふれあいセンターの湯治用浴室では、乾癬がないことのほうが、みんなの仲間はずれみたいで「つらい」のです。素晴らしいですね。豊富温泉の効用は、もちろん乾癬が和らいでくれることにありますが、きっとそれと同じくらいに、浴室で、休憩室で、ホテル・旅館で一緒に語り合う仲間の存在にあると思っています。

 18年前のあの日、あの時。それがなければ、今の私の医師人生ももっと変わっていたようにも思います。私が乾癬に一番近づいた日、いや、近づき始めることができた時、と言ったほうがよいでしょう。それまでは病院の診察室でしか知らなかった乾癬のことを、この時から、皆さんの乾癬に近付き、皆さんの気持ちと触れ合い、皆さんと悩みを共有し、皮膚の深さだけにとどまらない乾癬の理解が始まったのだと確信しています。これからも、私も元気に豊富に行きたいと思っています。よろしくお願いいたします。皆さまも、どうか元気に豊富にいらしてください。

 余談ですが、まだ一度も湯治ツアーに参加されていない方、それは損ですぞ。ベテラン乾癬の仲間が、暖かい豊富のお湯が、優しい豊富の人たちが、おいしい海の幸が、雄大なサロベツの原野が、星降る空が待っています。医師と看護師も同行いたします。次回第20回目の豊富湯治ツアーは、平成24年10月6~8日の予定です。奮ってご参加ください。
(注、豊富温泉は弱アルカリ食塩泉に分類されます。たいへん濃い塩化ナトリウム=食塩分を含んでいます。しかしながら豊富温泉の最大の特徴はその原油成分。お湯の表面には油膜が張り、湯中には油泥が浮かんでいます。古典的皮膚科治療法であるタール治療に類似するものと考えられます。豊富温泉がすべての人の乾癬に効能を発揮するわけではありません。なかには塩分、油分が刺激となりかゆくなってしまう人もいます。乾癬が悪化する場合もまれにはあります。湯治ツアーは二泊三日で、この間で劇的な効果・効能はすぐには現れません。でも感触的に良かったとの印象を持たれる方が多いようです。豊富の原油を手に入れて、自宅で治療に使っておられる方もいます。しかしながら油成分によるニキビ・毛包炎、油やけも起こることから医師のチェックは必要です。湯治ツアーで現地の模様を知ることも大切です。)

第1回豊富温泉湯治ツアーの思い出の写真




# by kobayashi-skin-c | 2012-03-28 14:19 | 「皮膚の健康教室」抄録 | Trackback | Comments(0)
2012年2月教室
2月28日開催予定であった教室は院長の怪我のため中止いたしました。
その内容は、このブログの『PHOTO & ESSAY』に掲載しております。
『2011年の思い出、憧れのスイスアルプスを訪ねて』
『2012年1月 神々が生まれ、神々の棲むところ』
をご覧ください。
# by kobayashi-skin-c | 2012-03-28 13:37 | 「皮膚の健康教室」抄録 | Trackback | Comments(0)
終了しました。乾癬の会主催 『20周年記念学習講演会』
4月14日(土)午後、札幌市かでる2・7で
乾癬の会20周年記念学習講演会が開催されました。
150名をこえる参加者があり、会場は熱気に包まれました。

大阪大学大学院教授 玉井克人先生から『皮膚は地球を救う』の講演がありました。玉井先生自らが乾癬患者であり、最初に(先生が皮膚科医になって2年目のころ)乾癬が頭に出てきたときのその診断の面白い顛末に始まり、しだいに全身に広がるようになった時のみずからの悩み、皮膚科医ならではの困ったこと、でもそればかりではなく乾癬があったために学んだこと、ありがたかったことなどを、ユーモアを交えてお話しになりました。

玉井先生は現在「表皮水疱症」と呼ばれる難病の治療に取り組んでおられます。玉井先生がまだ皮膚科医になられたばかりの頃、幼い表皮水疱症患者さんに出会われました。体中の皮膚が剥け、水疱が治った場所も大きな傷跡となり、また次第に手の指がくっついてしまったりと重症となったその患者さん(先生は「友達」と呼ばれていました)と、「治す方法をかならず見つけるからね」と約束されたそうです。遺伝子治療の開発に全力を注がれ、マウスの実験で成功をおさめ、ついに患者さんの皮膚で実際の治療が始まるところまでこぎつけられました。

記念学習講演会の会場には、「表水疱症会」の患者さん・ご家族も参加されており、玉井先生のその成果に、感嘆の声もあがっていました。

そして、「その友達との約束を果たしたあかつきには、自分の乾癬を治す治療の開発にも取り組みます」と宣言されました。

でもどうして『皮膚は地球を救う』、のでしょうか。
「表皮水疱症は、生まれてすぐに、お母さんのおなかから出てくる産道での摩擦で皮膚が剥けはじめ、ちょっとした刺激で水疱を繰り返してしまう病気です。水疱をそのままにしておくと、水疱はどんどん大きくなって、皮膚の剥けが広がってしまい、ついには傷跡となってしまいます。水疱を見つけたらすぐに水疱の中身を抜き出してあげることが必要です。だから表皮水疱症の子供のお母さんたちは、いつも子供の皮膚をよくみながら、皮膚のケアを続けて下さいます。そのスキンシップのせいでしょうか、表皮水疱症のお子さんたちはたいへん優しい人たちばかりです。私の友達も今では成人し、弘前市役所に勤めていますが、指は全部くっついてしまって不自由な手足なのに、市役所では『福祉課』に所属して、困っている人たちの手助けをしているのです。」

「『スキンシップ』が『心の優しさをはぐくむ』のです。
スキンシップによって、心に優しさが生まれます。
人の皮膚にはスキンシップを感じる受容体が存在し、
心に、脳に伝えているのです。まだ証明はできていませんが、
きっとこのスキンシップ遺伝子が私達には備わっています。
このスキンシップ遺伝子がきちんと働くかぎり、
この地球から争い、戦争もなくなるのではないでしょうか。
だから『皮膚は地球を救う』のです。」


この玉井先生の講演を聞きながら、多くの参加者の目には、小生もそうだったのですが、うっすらと涙が浮かんでいました。先生のお話しに感動の渦が生まれました。先生ご自身が乾癬のために悩んでおられるからこそ分り合える共感を、みんなに呼び醒ましたのでしょう。さらに先生のお人柄であるからこそ、みんなを暖かく包み込んだのでしょう。この大きな感動をいただいことに、あつく感謝させていただきながら、また明日からの診療に役立てたいと誓った、そんな貴重な体験でした。
































乾癬の会は、患者同志の交流を深め、乾癬についての正しい知識を広めるとともに、医師と協力して原因の追究や治療効果の向上に努めようという目的で設立された患者会です。全国にさきがけて1992年、札幌市に設立されました。毎年、定期的な学習懇談会の開催、会報「陽だまり」の発行、豊富温泉湯治ツアー、日光浴・海水浴、女性の集いなどの行事・活動を行っています。

21年目を迎える乾癬の会では、10月6-8日、恒例の豊富温泉湯治ツアーを開催いたしますが、今年は記念の第20回ツアーとなります。役員の方たちが記念となるようなイベントを計画しています。ぜひ、参加なさってください。この小林皮膚科クリニックホームページでもお知らせしてまいります。
詳しくは、乾癬の会事務局へ(011-787-6185)お問い合わせください。
# by kobayashi-skin-c | 2012-03-28 13:01 | お知らせ | Trackback | Comments(0)
ゴールデンウイーク期間中の休診
4月30日(月)~5月5日(土)は、ゴールデンウイークの休診といたします。この期間中、ご不便をおかけして申し訳ございません。なお、院長は4月26日(木)~5月10日(木)の間、お休みをいただきます。
# by kobayashi-skin-c | 2012-03-28 12:52 | お知らせ | Trackback | Comments(0)
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