アルプス・オートルートは、シャモニー(フランス)とツェルマット(スイス)の間、アルプス山脈の中央部を縦走する山道。フランス語で"Haute Route(高い道)"。1861年、英国The Alpine Clubのメンバーが初の踏破を成し遂げ、1911年には冬期間のルートが開拓され、以後夏・冬ともにトレッカー憧れの存在となっている。
その憧れのオートルートに、山スキーで挑んだ。計画では、4月27日シャモニーを出発し、Argentière Hut アルジェンティエール小屋(2770m)、Trient Hut トリアン小屋(3170 m)、Montfort Hut モンフォール小屋(2457m) 、Cabane des Dix ディス小屋(2928 m)、Cabane des Vignettes ヴィネット小屋(3158m)、Bertol hut ベルトール小屋(3311 m) での6泊を経て、5月3日ツェルマットへ至るロングコース。オートルート Haute Routeのクラシックコースと呼ばれる。23の氷河を越え、累積標高差は10,000mに及ぶという。 出発点となるシャモニーには、時差調整、高度順応のため5日間滞在した。 高度順応と氷河滑走の訓練のため、ガイドのChristopheに連れられてVallee Blancheを滑った。エギーユ・デュ・ミディの展望台から氷河上のスキー出発点までは、氷った急勾配の頂稜を降りなければならない。シャモニーの街が真下に見える。Christopheとはザイルで結ばれた。 Vallee Blancheの雪原は広大で、前夜の新雪に覆われ、快適な滑降を楽しむことができた。 高度が下がるにつれて雪面は氷と化し、セラック(崩れやすい氷の塔)、クレバス(氷の裂け目)が現れ、緊張とバックパックの重みに自由な滑りができなくなった。 オートルートクラシックコースは、まずシャモニーから少し離れたアルジェンティエールの村へバスで向かい、ロープウエイでLes Grands Monte グラモンテ(3295m)に登り、アルジェンティエール氷河を滑り降りる。グラモンテの頂の眼前にLes Dru ドリュ針峰(3754m)が迫り、その向こうにモンブランが雄大に広がる。 広大なアルジェンティエール氷河を望む。氷河の向う、左からAig. du Chardonnet シャルドネ針峰(3824m)、Aig. d'Argentiere アルジェンティエール針峰(3901m)、そして氷河の最奥にフランス・スイス・イタリア三国をまたぐMont Dolent モンドラン(3820m)。 Day 1st さて、アルプス・オートルートの『涙』は初日から始まった。あれだけ晴れ渡っていたアルプスの空は、出発前日の午後から黒い雲に覆われ、シャモニーの街では雨が降り始めた。ガイドのChristopheと打ち合わせる。天気予報では、2日間は谷間で雨、山では湿雪の吹雪模様とのこと。吹雪で視界の効かない中を進むのは、危険でもあるし、また体力・気力を奪われる。同じホテルでオートルートを目指す英国人グループは、出発を遅らせるとのこと。私たちは、オートルート出発点をVerbier ヴェルビエールの街に変更し、何としても5月3日までにツェルマットに着く計画に切りかえた。シャモニーからヴェルビエールまではChristopheの車で移動した。山では天候が全てであるが、車で移動するこの気持ちのやるせなさ。 Day 2nd ヴェルビエールからはスキーゲレンデの横をスキーシールで登り、モンフォール小屋に至った。雪と霧で何も見えない。モンフォール小屋で2日間停滞し、その間、装備の点検、そして冬山の訓練をChristopheから受けた。なんといっても、ピッケルも、ハーネスも、ザイルも、トランシーバー(ビーコン、雪崩に埋もれたときの捜索機器)も使ったことがない。「ビーコンは何のために使う?」と質問されて、「雪崩で遭難したら、死体を早く見つけてもらうため」と答えたら、Christopheはいくぶんあきれた様子であった。クレバスへ落ちたときの救助訓練が最優先課題。まずはビレーの確保(落ちた仲間を助けるための支点)、そしてザイル、テープの結び方、そしてユマール(登攀補助具)、プルージック手法を用いたザイル登行。「分らないことは絶対に繰り返し聴け」とChristopheは言うが、「とても分らない」。救助訓練のあとはビーコンを使った雪崩遭難者の捜索訓練。吹雪の中、Christopheが隠した疑似遭難者を10分以内に見つけなければならない。汗まみれになって頑張ったかいがあって、これは合格した。 Day 3rd モンフォール小屋3日目の朝、空は青々と晴れわたり、冷気が山々を包んでいた。 この日はモンフォール小屋からPrafleuri Hut プラフリュ―小屋へ、そして体力が残っていればLac des Dix ディス湖を経てディス小屋を目指すのがChristopheの目論見だった。Rosablamche ローザブランシュの峠から左に折れて、プラフリュ―小屋へ下った。新雪の粉雪をけたてながらの快適な滑降を楽しんだ。 Day 4th 翌日は、またしても深い霧と雪。プラフリュ―小屋から200mの登り返しで峠を越え、ディス湖を左に見ながら緩やかに下りつづける。そしてPas du Chat パ・デュ・シャからはGl. du Cheilon シェイロン氷河を一気に800m登り、ディス小屋へ至るのが、今日の日程。距離は短く、Christopheの説明では「一番楽な日、2-3時間の予定」であった。しかし、またしても『涙のオートルート』。このルートの写真は一枚もない!霧と雪の中、標高の低いディス湖への降りはまさに悪夢であった。雪面はアイスバーンで、少ない雪の間にはゴツゴツとした岩が露出している。その間をかいくぐって下降していくのだが、曲者は霧、ホワイトアウト。まるでスキーを滑っている感覚がない。宙をさまよっているようで、上りも下りも分らず、目前に現れた岩に腰が引け、バックパックの重みで尻もちをついてしまう。アイスバーンの上ではまともに起き上がることはできず、バックパックの重みに引きずられてズルズルと滑り落ちる。バックパックを背中からおろして、身軽になってから起き上がることを思いついたのは、何回かの転倒を経てからであった。見るに見かねたChristopheが、私のバックパックを取り上げた。「リラックスしなさい!残りの下りの間私が荷物を持つ!」。なんという敗北感、屈辱感。この下りだけで2-3時間もかかってしまったような気がする。 シェイロン氷河の800mの登りは苦しいの一言。たび重なる転倒で足の筋肉を使いつくしたのだろうか。キックターンのたびに、乱れた息と、疲れ切った筋肉のため、静止せざるを得なかった。 ディス小屋を目の前にしたときの嬉しさと言ったら、・・・・・・。しかし、私の頭の中はある考えでいっぱいになっていた。下の写真はディス小屋を目の前にして、疲れ切り情けない表情のわたし。 夕食前のミーティングで、私は「クリストーフ、・・・・・」と呼びかけた。「その呼び方は何か重要な相談だろう」とChristopheが答えた。もうここまで一緒にいると、山岳ガイドの彼には顧客が何を考えているのかも分るのだろう。「Christophe,この天気の中では私にはもう無理だ。体力も技術も私の限界だ、明日の朝には麓の村へ降りよう」と進言した。しかしChristopheは私に、「明日の午前中は晴れる。寝ればまた元気が出る。ヴィネット小屋へまず行こう。途中ハシゴで登る楽しい峠もある。ヴィネット小屋ではまだもう一日の停滞予備日があるので、ベルトール小屋は難しいが、天候を見ながら、途中Cabn. du Bouquetins ブクタン小屋に泊まって翌日ツェルマットへ楽に行ける。ブクタン小屋は無人の避難小屋だが8角形の大変素敵な所だ。星も美しい」と励ましてくれた。「Christophe, I understand!」。涙がこぼれそうであった。 Day 5th シェーブル峠からは快適な新雪の降りを楽しむことができた。昨日の落胆が嘘のようなひとときであった。滑り降りたシュプールを見あげる、そしてChristopheと。 再び真っ青な空の下、純白の雪の中のツアーリングが始まる。前を行くイギリス隊を写す。 この日は降りでの転倒がない分、登りも順調でヴィネット小屋へは昼過ぎに到着。しかし小屋に着くころ、空は再び雲に覆われた。 Day 6th この日の写真も一枚も残っていない。朝は相変わらずの強風と横なぐりの吹雪。ガイド3人が雪の状況の偵察に出かける。私たちは、途中避難も想定に入れた水と食料の供給を山小屋で受け、バックパックに詰める。重い。天候の回復はなく、雪の状況も雪崩がきわめて危険と。13時まで行動は延期。ぼんやりと吹雪を眺めたり、本を読んだりして過ごす。13時になっても回復なし。15時ごろ吹雪が小やみになった時点で、ほかの2パーティーは出発の準備を始めた。Christopheの決断は? 「我々は残る。明日麓のArolla アローラに降りよう。どうしても前に進みたいのなら行ってもよいが、・・・・」。「異論はない」、「でも、悔しい」、出発する2パーティーのメンバーを見送った。 Day 7th 昨夜は緊張が解けたせいかぐっすりと眠ることができた。ゆっくりと朝食を済ませ、アローラに滑り降りた。 そしてまた涙を流した。標高が下がるにつれてまた霧の中、何度か激しい転倒。技術不足を痛感しながら、アローラの村に着いたとき、ジャケットのポケットのジッパーが半分開いているのに気づいた。収めていたはずのコンパクトカメラがない!たしかヴィネット小屋を出発する際に写真を一枚写し、遅れまいとして閉まりにくかったジッパーをそのままにしたことは確かである。「やってしまった・・・・」。オートルートでは荷物を軽くするため、愛用の一眼レフカメラを諦め、コンパクトのNikon Coolpixで撮影を続けた。「7日分の写真を収めたカメラが・・・・・。」 こうしてアローラの村で私たち(わたし?)のオートルートは終わった。 アローラの村からバスでシオンの街へ。左写真の私たちの表情が、その時の気持ちをよく表している。 シオンからは鉄道を使ってツェルマットへと向かう。 Christopheとシオンの駅のプラットホームで別れの言葉と抱擁を繰り返した、最後のオートルートの涙とともに。 Christophe Kern Guide, La montagne en pente douce, Organisation Formations Outdoor Le Chef Lieu, 05120 Les Vigneaux, mob. 0033 (0)6 80 90 87 50 Christophe Kern, 彼なしに今回の私たちのオートルートを語ることはできない。私たちにとってはまさに唯一無二のガイド、そして人生の語り部。3年前、ユングフラウ山麓のLobhorn Hut ロープホルン小屋でChristopheに出会った。その時は冗談まじりに「モンブラン、マッターホルンに連れて行ってほしい」と話した。そして今回は文字通りまがりなりにも「モンブランからマッターホルン」へ、雪山をいざなってくれた。次の機会には、Christopheの故郷の山「エクラン」を訪ねてみたい。もちろんその前に「オートルートの完走」を果たしたいものだが。 1.あらゆる状況の雪面を滑る技術(深雪、アイスバーン、湿雪、悪天候下の滑降などなど) 2.冬登山技術の習得(とくに氷河歩行) 3.3000mの高山を歩き続ける体力 4.フル装備のバックパックを背負う体力 の必要性を痛感し、オートルートの再チャレンジを胸に期した。
by kobayashi-skin-c
| 2014-05-15 11:41
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