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2014年9月 ムスタン巡礼の旅(後篇)
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旅を続ける(「ムスタン巡礼の旅(前篇)」から)。

Day 7th (9/17)  ダクマール(3820m)からツァーラン(3560m)へ。

ツァーランでは、寺院(ゴンパ)と王城(ムスタン王の夏の別荘)を訪ねた。

ところで今回のムスタントレッキング、ローマンタンへの旅には、建築家の楜沢先生を団長として、先生の山の友人・仲間たち、そしてナウリコット村でこども達と一緒に絵を描くグループ(ネパール児童絵画教育プロジェクト)の仲間たちが集まった。私たちは「この旅をたまたま知った」いわばよそ者であったが、グループの皆さまにたいへん暖かく迎えていただき、実に楽しい旅の時を過ごすことができた。そして何より、この旅を支えてくださったのが、タサンビレッジオーナーのアルジュン・トラチャンさんと、そしてロイヤル・ムスタン・エクスカーション Royal Mustang Excursion, LTD 社長のジグメ・センゲ・ビスタさんである。楜沢先生、アルジュンさん、ジグメさんの三人にはたいへん密接なつながりがあり、このお二人のサポートにより、さらに私たちの旅は快適で充実したものとなった。
 冒頭の写真は、現ムスタン国、ジグメ・パルバル・ビスタ国王肖像(前出の「ムスタン 曼荼羅の旅」の写真に国王からサインをいただいたもの)である。ツアーをサポートしてくれたジグメさんはその国王の息子であり、本来ならばムスタン国の次期国王である。実は「ジグメ・ビスタ殿下」なのだ。しかし、ムスタン国の自治権は現国王限りであり、現国王の死去とともにムスタン国は消滅する。だから、ジグメさんは自国の人達の雇用の確保、ビジネス創出のために、先を見越してトレッキング会社を作った。皇子直々だから、会社の名は”Royal”なのだ。そのジグメさんが私たちに同行しているので、旅の行く先々で私たちは歓待を受けることとなった。ただし、地元の人々が歓待しているのはジグメさんであって、お茶の接待を受ける時も、食事の時も、ジグメさんの座る席、茶器は、特別のものであった。私たちはその「おこぼれに与った」、という次第である。
 たとえば、格式の高いツァーラン・ゴンパ(寺院)において、僧院長自らが私たちを案内し、茶が振舞われ、そして一般人が立ち入ることができない王宮にも特別の許可で見学に入ることができた。

しかし、ゴンパも一時はムスタン最大を誇っていたとのことであるが、今は僧侶の数も少なく、少年僧たちがわずかに勉強に励んでいたのが印象的だった。
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王宮はすでに半ば廃墟と化し、宝物殿(セルカン)の中もほこりだらけで、大切な仏教典をおさめる木の棚も朽ちていた。印象的であったのは、その宝物殿の中にミイラと化した人の手が陳列してあったこと。一説には「雪男の手」とも言われるらしいが、「刑罰で切り落とされた盗賊の手」であるらしい。ムスタンの文化遺産は、ほこりや湿気に晒されていると同時に、盗難の危険にも常に晒されている。どこの国においても、有名な絵画・彫刻などは厳しく写真撮影が禁じられている。それはフラッシュの光による傷が懸念されているからなのだが、ここムスタンでは、撮影された写真が公表されることにより盗難を誘発するから、だそうだ。ツァーラン・ゴンパ(寺院)の壁一面には、「マンダラ(曼荼羅)」が描かれていた。壁画はことのほか美しく写真に残したかった。こっそりとヘッドランプで照らして撮影した。
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ゴンパと王宮は深い谷の上に築かれているのだが、その向こうには幾年月の時が刻んだ、仏像とも神像とも見える無数の岩の造形が立ち並んでいた。古の人々も自然の造形に祈りをささげたに違いない。
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今夜の野営地の天井にも無数の星々がきらめいていた。あまりにも星の数が多すぎるので、星座を認識することができなかった。


Day 8th (9/18) ツァーラン(3560m)→ローゲカル(3920m)→チョゴ・ラ(峠)(4230m)→ローマンタン(3840m)

この日も快晴。真っ青な青空の下で、馬旅の3日目が始まった。乗る馬はずっと同じ。一度慣れた馬で続けなくてはならない、のだそうだ。私の愛馬は薄茶色(ベージュ)のきれいな馬体。性格は負けず嫌い!きつい登り坂では、「とにかく他の馬に負けたくない」ようで、前の馬を追い越そうとして道をはずれる。細い山道の崖のようなところではひやひやである。今日はまずローゲカルを目指した。
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ローゲカルには由緒あるローゲカル・ゴンパがある。紀元8世紀、インドからチベットに仏教を最初に伝えたパドマサンヴァが、お告げによってこの寺院を建立した。以後、多くの巡礼者がパドマサンヴァの霊感を受けつぎながら、この寺院で瞑想にふけっているという。私たちもこの寺院の内院を訪ねるとともに、周囲を歩いてめぐった。なんだか恍惚とした気分となった。霊感なのか、3920mの酸素不足なのか。
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ローゲカルの寺院を辞し、チョゴ・ラ(峠、4230m)を目指した。
わが愛馬と目指すチョゴ・ラ。
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峠頂上目前の草原でランチの時を楽しんだ。馬の鞍に敷いてあった座布団を草の上に置き、チャパティやカレー風味のジャガイモを食べ、寝転がったり、散歩したり、思い思いに秋の高原の陽射しを満喫した。馬子達もゆっくりと寛いでいた。
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峠の草むらの中に、リンドウや菊の花の仲間か、日本では見ることができない花々を楽しむことができた。
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チョゴ・ラは標高4000mを超える。しかし、馬に乗って登ってきたせいか、息苦しさをほとんど感じない。
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峠の頂上からは馬を下りて、乾燥した草原の中を、ローマンタン目指してゆるやかに下っていった。
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時おり野生馬の群れをみつけた。ムスタンは英語でmustang = 野生馬だ(フォード"ムスタング“をご存知か、そのエンブレムは野生馬)。
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しばらく行ったところで、前方に広々とした畑に囲まれる王城を認めた。目指すローマンタンがいよいよ眼前に現れた。
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ローマンタンは、10mもあろうかと思われる城壁に囲まれた王城都市。美しい。
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この城壁の中に200戸の家が密集し、約1000人の人が暮らしている。王城を前に全員が騎乗し、馬上からムスタンの都に入城した。ただし、外国人は王城の中に滞在することはできないので、城外の南側のロッジとキャンプ地に野営した。キャンプの隣では、麦の穂が金色に輝いていた。
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Day 9th (9/19) ローマンタン滞在。

午前中は、王城の中へ。城壁にただ1ヶ所ある北城門から入城する。
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迷路のように道が入り組み、その中に人々が暮らす。
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まずチョエデ・ゴンパ(寺院)を訪ねた。私たちが着くときを見計らっていたのか、数十人の少年僧たちが整列し、いっせいにお経を唱えていた。こんな盛大なお経の斉唱を経験したことはない。何を祈っているのか、何を讃えているのか知る由もないが、子供たちの祈りの声は清々しく心に吹き込んできた。眼に涙が溢れる。
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子供たちはネパール全土から選ばれ、この僧院で集団生活を送りながら、仏教を学ぶ。この中から将来、教祖も生まれるのかもしれない。ジグメさんの息子もこの僧院から旅立ち、リンボチェ(大僧正)になるべく今インドで修行中とのことである。
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チョエデ・ゴンパに続き、チャムバ・ラカン、トゥプチェ・ラカンを訪れた。二つの寺院ともに、内部の荒廃に心を痛めた。ここにも地球温暖化の波が押し寄せ、ムスタンでは予期されなかった降雨が、雨への防御がない寺の内裏を傷めているらしい。とりわけ曼荼羅の壁画の劣化が著しい。その道の専門家による保存活動を一刻も早く始めてほしい。
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午後は、ローマンタンの王城を見下ろす小高い丘に登った。その美しさは映像でしか伝えることができないだろう。いや、写真の映像からだけでは自分の心の印画紙を表現することは不可能だろう。それだけ、鮮やかなまでに網膜に、脳裏に焼き付けられた光景だった。
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Day 10th (9/20) ローマンタンの町からジョン・ケイブ、石窟寺院(ニプ・ゴンパ)へ。

今日はふたたび馬旅となったが、当初と違い馬への恐怖心も消え、緊張から開放され余裕を持って、馬上からの眺めを楽しむことができるようになってきた。北へと進む道はチベットへとつながり、国境のチェックポイントももう目とはなの先とのこと。
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草木は消えて、黄色~赤色の砂山、岩山がえんえんと連なる。
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ジョン・ケーブは数世紀前の横穴住居を保存したもので、数層に掘られた住居跡には、竃があったり、その天井はススに覆われていたり、まぎれもなく人が暮らした痕跡が残されていた。
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ニプ(太陽の洞窟の意)・ゴンパは岩山の中腹に掘られた洞窟と赤い建物でできた寺院。由緒は旧く、ムスタン初代王アマパル王の孫であるアングンサンポ(三代目国王)の兄弟が15世紀に開山した。シャカムニが本尊として飾られていた。
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この寺院も内部はホコリに覆われ、ムスタンのこうした寺院遺跡・文化遺跡の保存をどうしたらよいのか考えさせられた。他のネパール国内のトレッキングコース(エベレスト、アンナプルナ方面など)に比べると、近年増えつつあるとはいえ、ムスタンへのトレッカーの数は圧倒的に少ない。それも欧米人がほとんどであり、彼らは寺院遺跡にはあまり興味を持たない。この保存活動にはよほど日本がかかわっていかねばならない。ゴンパのそばにあったバッティで持参した弁当を広げ、そして再び馬に乗りローマンタンに引き返した。愛馬とはこれでお別れである。鬣と首を何度もなでながら、彼(オスは間違いない)の労をねぎらった。
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ローマンタンに帰着したのち、王城内のチョエデ・ゴンパにあった博物館を再度訪れ、気に入っていた曼荼羅図(タンカ)を購入した。購入したタンカはオレンジ色を基調として、シャカムニの生涯が細密に描かれた曼荼羅であり、寺院内の僧侶が描いたもの。購入費は寺院の保存活動に充てられると聞いた。少しはお役に立てただろうか。
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ローマンタン最後の夜、王宮の晩餐に招かれた。国王ご夫妻が中心に座り、私たち一同もお二人を取り囲むように座った。山羊肉の入ったチベット風餃子、山羊の血のソーセージ(フランスで食べた「ブータン・ノワール」とまったく同じ味)、ヤクのお肉など、日本では味わうことができない料理をいただいた。そして何より、王妃様自らが作られたという「チャン(稗から作られたどぶろく)」、「ロキシ(チャンを蒸留した焼酎)」がたまらなく美味しかった。晩餐の最後には、私たち一人ひとりに、カタ(祈祷のマフラー)が授けられ、女性にはカシミアのマフラー、男性にはRoyal Mustang Excursionのロゴが入ったTシャツが与えられた。


Day 11th (9/21) ローマンタン→ジョムソム

ローマンタンにお別れである。朝食を食べた後、今回の旅を支えてくれたジグメさん、そしてそのスタッフ(食事、テント、馬子)に別れを告げた。10日間の旅路で思い出深いスタッフばかりである。食事は私たち日本人の舌に合うように、お粥が毎朝供されたり、味付も香辛料の強さを少し抑えて無理なく食べることができた。テントスタッフは毎日私たちに先行して目的地でテント設営を行い、毎朝「モーニングティー」、「ホットウォーター」と声をかけてくれた。馬子たちは私たちの馬旅の安全を細心の注意で見守ってくれた。感謝に耐えない。
この日は全員がジープに乗り込み、ジープで一気にジョムソムまで駆け下った。崖道でジープのパンクがあったり、カリ・ガンダキ河岸を歩く途中砂嵐にあったりと冒険もあったが、無事にジョムソムまで予定通りに辿り着くことができた(予定通りというよりも、実はムスタンツアーの後にエベレストトレッキングを予定していた私たちのために、飛行機欠航の可能性を考慮して一日短縮してのスケジュールに変更してくださった)。
アンナプルナとニルギリの雪嶺を望みながら、このムスタン巡礼の感動の数々を、チベットの神様(仏様)に感謝した。

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左から、真っ白な斜面のアンナプルナⅠ峰(8091m)、ドーム状のトロン・ピーク(6484m、10月14日の雪崩で多くのガイド・ポーター・トレッカーの命を奪った事故はこの麓で起こった)、ニルギリ北峰(7061m)。

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ジョムソムの村から望む夕焼のニルギリ


Day 12th (9/22) ジョムソム→ポカラ→カトマンドゥ

晴天の朝を迎え、ジョムソムからポカラへの飛行は順調であった。
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途中ダウラギリⅠ峰(8167m)のダイナミックな山容を、機長の頭越に望むことができた。
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ポカラ空港ではアンナプルナ山群の全貌がくっきりと見えていた。左からアンナプルナ・サウス(7219m)、アンナプルナⅠ峰(8091m)、マチャプチャレ(6993m)、アンナプルナⅢ(7555m)
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カトマンドゥに無事到着した後、日が暮れるころ、ボーダナートを訪れた。
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ムスタン巡礼の旅の最後を、どうしてもここで締めくくりたかったからである。ボーダナートには世界最大の仏塔がある。この大きな仏塔の周りを四重にも五重にも人々がグルグルと歩いている。私たちも皆と同じように右周りで何周も回った。半数は僧衣をまとった巡礼者、半数は私たちのような観光客。五体投地で回る人もいる。雑踏の中にいながら不思議と静謐な心持ちとなっていた。ひんやりとした空気、どこからともなく聞こえる読経の祈り、奏でられるラッパの響き、線香のにおい、バター油蝋燭の煙が身を包む。
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仏塔に向かってたくさんのお祈りをした。
by kobayashi-skin-c | 2014-11-22 14:10 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
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