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2012年3月 知床の春
骨折のリハビリ・療養を兼ね春の知床を訪ねた。温泉にゆっくりと浸り、のんびりと雪原を歩き、流氷に感動し、かわいい動物たちと触れ合った。

雪原の向こうに羅臼岳(1661m)を望む。
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知床連山(右端が羅臼岳、左端が硫黄山1562m)と、鹿たちと、そして左腕が不自由な私。
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オホーツク海を埋め尽くす「蓮の葉」氷。フレべの滝展望台から。
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海一面の流氷が夕日に照らされる。
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知床連山のアーベントロート。
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氷上のカモたち。
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梢のオオアカゲラ
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雪に覆われるまだこの時期、いっしんに樹皮を食べる鹿。
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by kobayashi-skin-c | 2012-03-17 17:46 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年2月 苦い思い出
症例:60歳、男性。2012年2月15日、札幌国際スキー場オフピステを滑走中に木に激突。自力で下山し、札幌市松田整形外科記念病院院長、菅原 誠先生を受診。左鎖骨、多発性肋骨骨折で気胸も疑われたため、市立札幌病院に救急車で搬送された。
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左鎖骨遠位端で骨折、変位があり、左肋骨第2,3,4の多発性骨折が認められる。
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胸部XPで明らかな気胸の所見はみられないが、左下肺野に胸水あるいは血胸の所見がある。CT検査では骨折した肋骨による胸膜の強い変形はみられるが、気胸の所見はない。

市立札幌病院整形外科の平地先生の適切な判断により、翌々日に左鎖骨骨折部の金属プレート接合手術が行われた。
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木にぶつかった瞬間、尋常ではないことを悟ると同時に、激しい後悔の念にとらわれた。案の定の重傷であり、診療を休まざるを得ない状況となった。苦い経験、と同時に貴重な体験でもあった。救急車、入院、全身麻酔下での手術とすべてもがはじめての体験となった。
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by kobayashi-skin-c | 2012-03-17 17:28 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年1月 神々が生まれ、神々の棲むところ『ヒマラヤ』
新年明けましておめでとうございます。
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2012年の初日の出は、ネパールのポカラから。
2012年1月5日、ダウラギリ・トレッキングを終えた翌朝、ポカラ郊外の丘にある日本山妙法寺から、雲海に昇る「初日の出」を望みました。

朝日に輝く日本山妙法寺のストゥーパ(仏舎利塔)とアンナプルナ山群。
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誰もが訪れてみたい「世界の屋根」、「神々の棲むところ」ヒマラヤ。私にとっても長年の憧れでした。なかでも、最高峰エベレスト(8848m)は特別の存在。頂きを踏むことはできないのかも知れない。それでも、間近に仰ぎみてみたい。しかし、エベレスト山麓を目指すトレッキングは標高が5,500mに達するため、高山病の確率が高く、落伍者も多いと聞く。今回は、いきなりエベレストを目指すのではなく、トレッキングの標高が3,000m前後で、宿泊施設も比較的整っているというダウラギリ・トレッキングをツアー会社の案内で参加することとした。ヒマラヤの山歩き環境を知る、いわば予備試験というところ。
 しかし、見事にハマってしまいました。またネパールに何度も来てみたい。エベレストはおろか、アンナプルナ一周、ランタン谷、ムスタン王国、カンチェンジュンガ山群、・・・・・・、カトマンズの街、パタン、バクタプルの中世の街々、そしていっそうのことエベレスト山頂も。すっかり、ヒマラヤ、ネパール大好き人間となってしまったようです。

2011年12月28日、8・3プラザ診療室の最後の診療を終え、新千歳空港から成田へ。一泊して翌日、12月29日午前、成田からバンコクへ。ツアー会社の企画とはいえ、参加者はたったの3名。私と家内、そして横浜のHさん。3名ゆえに添乗員は無し。

12月30日、バンコクからネパールの首都カトマンズへ、さらに乗り換えてポカラへと至った。ポカラの街からアンナプルナ山群が近い。ポカラから見える象徴的な山、マチャプチャレが夕日を浴びながら、美しい三角錐の山容を見せてくれた。なんだか、もうこれで旅は終わってもいいぐらいに思えるほど美しかった。アンナプルナ山群のはるか東側には、夕日で赤く染まった大きな大きなマナスル山群がどっしりと立っていた。

ポカラの街からアンナプルナ山群を望む。左からマチャプチャレ(6993m)、アンナプルナⅢ峰(7555m)、アンナプルナⅣ峰(7525m)、アンナプルナⅡ峰(7937m)
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夕日に染まるマナスル
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夕陽に染まる左からマチャプチャレ(6993m)、
アンナプルナⅢ峰(7555m)
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12月31日。真っ暗な中、夜が明ける前にホテルを出発し、ポカラ空港へ。今日は、ジョムソムまで飛行機で移動。なんでも、ポカラ・ジョムソム間の飛行便は、風、雲、霧でしばしば欠航するので、移動手段の柔軟転換のために早い時間から待機するとのこと。日が昇り、山々が朝日に照らされる。7:30am、小型の飛行機に乗り込み無事に出発。そしてアンナプルナ、ダウラギリの山裾すれすれに、約30分飛んでジョムソム空港に着いた。空港といっても軍の管理、町らしい町は何もない。あたりは一面砂漠と岩山。気温は氷点下。石がごろごろする道路と、誰もいない河原を我々三人と、そしてガイドのスディールさんの四人で歩き始めた。河原の幅は広いところで1㌔もありそうだが、乾期の今は水量が衰え、幾筋もの細い流れが河原に数条走っている。川の名は「カリ・ガンダキ」。「黒い川」の意。下流ではガンジスの大河へと合流する。カリ・ガンダキはヒマラヤ造山活動の前からチベット高原に源を発し、インド洋へと注いでいた。ヒマラヤの山々がせりあがっても、川の浸食力で谷を深く削りながら、ダウラギリ、アンナプルナ山群を分かつように下流に流れ下り、山の頂きからは6,000メートルもの下方にその流れを維持している。

ジョムソムを出発し、カリ・ガンダキの河原を歩く。朝の早い時間、名物の強風はまだ吹き荒れていない。
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日が昇るにつれ気温は上がり、着膨れするほどだった防寒着を一枚一枚脱ぎ捨てた。歩いている時はあまり感じなかったが、着替えるためにうつむいたりすると、頭がくらくらとする。これは気圧が低く酸素不足状態のため。3000メートルと馬鹿にしないで、高山病に気をつけなくてはならない。
ジョムソムからマルファの町へ、ほどなく到着。町といっても100戸の家々ほどか。町一番の建物は、山の中腹に建つゴンパ(寺院)。マニ車を回しながら、急こう配の階段を上った。息が切れる。階段の上には、ヒマラヤンブルーと言うのだろうか、「青空」ではない濃く黒く透き通った「群青色の空」が広がる。ゴンパの金色の装飾、はためく五色のタルチョーが美しい。
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宿泊はマルファ一番のロッジだろうか。石畳の街道沿い、町の真ん中にあったその名も「パラダイスロッジ」。部屋には3つのベッドとトイレ。窓が大きく取ってあって景色は良いのだが、もちろん窓は閉め切っているのになぜかカーテンが風で揺れる。そう、部屋の中は外気と同じ。暖房は無い。とにかく寒い!
道路に出ると子供が遊んでいた。木の枝で作った弓矢を持っていた。
かわいいので、写真を撮ろうとすると「give me chocolate, give me
sweets」と言い寄ってくる。胸が痛んだ。60年前の日本、占領軍のアメリカ兵に同じようにねだっていたのだろうか。子供たちの皮膚は、紫外線に焼かれて黒いだけではない。鼻汁も、垢もこびりついて黒くなっているのだ。

マルファの街角で。
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マルファのロッジでは、日本人の父・息子の二人連れトレッカーに出会った。千葉から来られたとのこと、愉快で、痛快な旅を続けているとのこと。マルファ名物のアップルブランデーを皆で飲んだ。昼間はあれだけ晴れていたのに、ニルギリ山頂に雲がかかりはじめている。夜はありったけの下着と防寒着を着こみ、ロッジでもらった湯たんぽを抱き、冬用のダウンシュラフにもぐりこんで寝たが、途中暑くなって眠れなくなった。屋上に出てみると星は見えなかった。

1月1日元旦。残念ながら曇天。風が強い。この日はマルファの町から、カリ・ガンダキ下流の村ナウリコットまで歩く。その村に目指すホテル・タサンビレッジがある。ふたたび誰もいないカリ・ガンダキの河原を、そしてときどき村々の街道を四人で歩いた。この街道は「塩の街道」と呼ばれている。数年前に車が通れるようになったが、それまではウシ、ラバ、ヤギが運搬の主役だった。積荷は、チベットからインド平原に向かっては岩塩、逆は米などの農作物である。このあたりに暮らすタカリー族の人々がその交易に当たっている。途中のトゥクチェの村は、その交易の中心地。白い石積みの家々が美しく、牛も、山羊も、犬も、鶏も、そして人も渾然一体となって暮らしている。当然のように動物達の糞が道のいたるところに落ちているのだが、そんな風景にもどこか懐かしい、心静まる思いを抱いた。

世界で初めて8000メートル峰を踏んだフランスの登山隊(隊長エルゾーグ)は、この町を拠点にダウラギリ、アンナプルナへの登山ルートを探し続けたという。
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マルファの町から4時間。そしてナウリコット村の丘に建つタサン・ビレッジにたどりついた。ポーターの二人とお別れするころ、雲は低く垂れこめ、みぞれまじりの雪と変わった。どうも、私と衣子の二人旅に悪天はつきもののようだ。私はそれほどにも思っていないが、衣子いわく「私は晴れ女、あなたが雨男」と言う。ちなみに同行のHさんは「晴れ男」と言う。

丘の上に立つタサン・ビレッジ。
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タサン・ビレッジまで河原からの標高差は約200メートル。体が3000メートルの標高に慣れていないせいか、何度も立ち止まっては深呼吸を繰り返した。
建物すべてが手造りという。道路もなかったとき、主のタカリー族アルジュンさんの号令で、すべての建材を担ぎあげ、みんなの力で建て上げたホテル、タサン・ビレッジ。暖炉がなんとも嬉しかった。滞在した3日間で一番長い時間を過ごしたのが、山と星を見る屋上、そしてその次が暖炉の前であったろうか。

1月2日。朝起きると、窓の外はあたり一面の銀世界。この日はショコン・レイクへのハイキング。

新雪に埋まったナウリコット村。この日、ヤク追いの村人が二人、雪の山中で行方不明になったとのこと。村人達が心配そうに山を見上げていた。結局一人は助かったものの、一人は死体で見つかったとのことであった。
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雪をかぶったタサン・ビレッジ
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昨日まで歩いてきた砂漠のような景色から一変。ゴヨウマツやモミの深い針葉樹の森が新雪に覆われ、美しい。ハイキングの途中、少し気温が上がってくると、木々の雪が頭に落ちてきた。ショコン・レイクではまだ雲が低く、湖面に映るヒマラヤの山々を見ることはできなかった。午後から、切れ切れに青空がのぞくようになった。新雪をかぶった峰々がしだいに浮き出てきた。ニルギリがカリ・ガンダキの向うに、そして眼前にはダウラギリ氷河が迫り来るように見えてきた。鋭い稜線を雲が駆け上がり、うっすらと夕陽を浴びながら、やがてダウラギリⅠ峰が、信じられないほどの仰角の高みにその姿を現した。

タサン・ビレッジからカリ・ガンダキ上流を望む。
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姿を現したダウラギリ氷河とダウラギリⅠ峰(8167m)。寒空の下、アップルブランデーを飲みながら待つこと2時間、やっと願いがかなった。
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1月3日。未明から天気が気になり、衣子はとうとう屋上に偵察へ。満天の星だという。それからは日の出の時間までまんじりともせず、防寒着を着込んだままベッドの中で待機した。そしていよいよ日の出の時間、屋上へ。深い谷間に朝日は届かない。ダウラギリの頂きがまっさきに朝日を浴びる、その瞬間をまばたきもせずに待ち続けた。

ダウラギリⅠ峰(8167m)の頂に3つの赤い点が現れた。
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頂は光を増していく。
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朝日の栄光を浴びているのは、まだダウラギリ山頂部のみ。番兵のように聳える前衛の山々にまだ日は届かない。
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やがてダウラギリ山群全体が光り始めた。
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感激に目頭が熱くなった。でも、見上げているから涙はこぼれなかった。
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この日は、タサン・ビレッジからカリ・ガンダキを渡り、対岸の丘の上の村ティティガオンへのハイキング。真っ青な空と、真っ白く新雪をかぶった峰々を眺めながらの快適な山歩き。途中いくつもの美しい風景に出くわした。

カリ・ガンダキの河原を行く山羊の群れ。三人の牧童に導かれ、牧草地を目指すのだろうか。道草を食うものあり、山羊たちは右往左往しながら進んでいく。カリ・ガンダキの向うにはくっきりとニルギリ山群が見える。
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ナウリコットの村はダウラギリ氷河の舌端にある。すぐ傍まで畑、牧草地が広がり、人の生命力に驚かされる。そこで働く女性に美しさを感じた。ヨーロッパアルプスの牧草地では思いもしなかった感動である。
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カリ・ガンダキにかかる吊橋を渡る。今でこそ針金と鉄板で頑丈にこさえられているが、昔は蔓と竹で作られていたとのこと。安全を祈願する旗「タルチョ」が今も吊橋にくくりつけられている。分かる気がする。
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ティティガオン村への道には昨日の雪がまだ深く残り、日蔭ではカチンカチンに凍っていた。新雪の道、青い空、真っ白な峰々、黒い岩壁、緑の針葉樹の森、・・・・
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途中ニルギリ山群が眼前に迫ってきた。ニルギリ南峰(6839m)を望む。稜線から流れ落ちるひだ状の氷壁(ヒマラヤ襞)が美しい。
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振り返ると、ダウラギリが光り輝いている。山頂には、ジェット気流に吹かれてできた雲がかかり始めた。
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峠の上からは、ニルギリの右側に憧れのアンナプルナⅠ峰がその端麗な姿を見せてくれた。ダウラギリⅠ峰との共演。ここはまさにヒマラヤ。左がニルギリ南峰(6839m)、遠くの山の左ピラミッドがアンナプルナⅠ峰(8091m)、右がバラハ・シャンカー(7647m)。
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ティティガオンの村とダウラギリ山群・氷河。
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ティティガオンの村にて。
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カリ・ガンダキの河原へ戻ると、トゥクチェピーク(6920m)が美しかった。
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美しいこの日を締めくくったのは、夕陽に照らされたニルギリ山群。左からニルギリ北峰(7061m)、中央峰(6940m)、南峰(6839m)。
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1月4日。この日はジョムソム街道をジープで下り、ポカラの町へ戻らなくてはならない。本当に山々に、人々に、すべてに感謝。
さてこの日、聞きしに勝るはジョムソム街道のすさまじさ。ジープは時速10kmにも満たないスピードで、車体を躍らせながらカリ・ガンダキの深い谷間の底を走り、岩壁に張り付くような狭い道を下っていく。途中、バス(と言ってもマイクロバス)とすれちがう時は、自ら運転していなくても緊張を強いられる。
走行中に外の景色を見ることはできないが、途中立ち寄った宿場の町々から望むダウラギリ、ニルギリはいつまでも美しく、遠のく峰々に名残りを惜しんだ。

ガーサの村にて。我々を運んでくれたレンジローバーと一緒に。後はダウラギリ氷河、トゥクチェピーク(6920m)。
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走り下った道路は、まあこんな所。ゆれる車内からの撮影です。
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タトパニの町にて。だいぶ下ったのだろうか、いつの間にやら針葉樹は姿を消し、オレンジの木、ブーゲンビリアの花を目にするようになった。後方の黒い岩壁はニルギリ南峰。
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随分ときれいな紅葉がネパールにもあるものだと見惚れていたら、なんと日本ではクリスマスの時期に飾られるポインセチアの野生種だった。
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タトパニとはネパール語で「熱いお湯」、つまり温泉。カリ・ガンダキの河原に湯気を上げる湯壷があった。この宿場町で昼食をとった。ロッジで働く母、子がなんとも愛くるしかった。
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結局ポカラまでの道のりに要した時間は、9時間。途中休憩もあったが、その悪路に四苦八苦。ポカラに近付き少し路面がましになってからは、今度は飛ばすこと、飛ばすこと。バイク、歩行者などおかまいなく、追越をしていく。事故がないのが不思議なほど。ポカラのホテルに着いた時は頭も腰もくらくら。一安堵であった。しかしレンジローバーを操っていた若者は、またあの悪路を引き返すのだろうか。我々をホテルで下ろすと、すぐに颯爽と走り去った。あなどれない。

1月5日。この日は未明からポカラ郊外のサランコットの丘(1592m)に車で登り、朝日に照らされるアンナプルナ連峰を見、そして空港に移動、カトマンドゥへと飛び立つ予定であった。昨晩、夕食の後にガイドのスディールが少し浮かぬ顔で、「明日はバンダがあるそうです。まだはっきりしません。バンダとはゼネスト、ストライキのことです。ネパールでは年に何回かあります。そしたら車を使うことができません」と言っていた。「でもバンダは中止になるかもしれませんので、予定どおり未明に起床して準備してください」とも言った。
 未明にホテルのロビーに集合。バンダは決行とのこと。車が使えないので、サランコットの丘へは行けない、空港への移動も歩かなくてはいけない、外はまだ真っ暗、おまけに深い霧の中。日本を出てこのかた一度もトラブルはなかった。ジョムソムへの飛行便は、我々が乗ってから以降、強風、雪、滑走路の凍結で3日間も欠航したと聞いた。雪も青空も、朝日も、神々が棲む峰々も見ることができたのに。
 昨晩のうちに考えていたあるアイデアをスディールに相談した。サランコットの丘ほど高くはないが、日本山妙法寺が立つ丘(1113m)も絶景ポイントであると「地球の歩き方」に書かれていた。地図を見る限りサランコットよりも近い。スディールが「行けるだけ行ってみましょう」と言ってくれた。
 真っ暗で深い霧の中、ヘッドライトを点して四人で歩き始めた。驚いたことに、町の中は結構な人がすでに歩き始めている。それにしても街灯一つないこの暗い道を、懐中電灯も持たずみなよく歩けるものだと感心した。少し明るくなり始めた頃、後から一台の車。スディールがとめた。そして運転手と交渉。助手席に座っていた同乗者が降り、我々に乗れと言う。ネパールにもこんなヒッチハイクがあるのかと感心したが、スディールいわく、「随分とぼられました」と小声の日本語で囁いた。この車、闇を走る「ヤミタクシー」なのだ。ものの10分で、妙法寺下の駐車場に辿り着いた。しかし、あのまま歩き続けていたら、当然日の出には間に合わなくなっただろう。地図でみるよりもずっと遠かった。
 妙法寺の山門では白装束の修行僧が、手に太鼓を持って朝の祈りをささげていた。日本語であった。日蓮宗とのこと。ほどなく地平線上の雲海から、煌く朝日が姿を現した。ストゥーパ(仏舎利塔)の上に登り見つめた。感動的な光景であった。アンナプルナの峰々が朝日に輝く。眼下にはフェワ湖が見える。
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いつまでも居続けたい心持ちであった。神々が生まれ、神々が棲むこの地にとどまりたい。なんの信仰心も持たない自分ではあるが、生命と、地球と宇宙に感謝する、そのことが神の存在と思っている自分にふさわしいと。

スディールにうながされ山を下った。意外と険しい階段状の山道がポカラの町へと続いていた。「これを登ったら大変だったでしょう。車がみつかって良かったね」とはスディールの言。

町にはまだ霧が立ち込めていた。バンダのため車は通らない。まるで歩行者天国のようだと思っていたら、水牛の群れが歩いてきた。
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朝もやの畑の中、野良仕事が始まったのだろうか、二人の老女のシルエットが美しかった。今日の朝の経験は、ほんとうにスディールのお蔭。深く感謝です。
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カトマンドゥ空港も霧のため、折返し便に乗るための飛行機がポカラに来ない。空港内は待つ人でごった返していたが、待つこと2時間あまり、次々とプロペラ機が降りたち、あわただしく乗客を乗せ飛び立った。この飛行便が最高であった。晴天の中、左手にヒマラヤの山々を端から端まで見せてくれた。おまけに、カトマンドゥ空港の混雑のため上空で待機。たっぷりと空からヒマラヤを堪能した。
さて、カトマンドゥの街でも感動の連続。旧い中世の寺院、王宮も、そして道を埋め尽くす人ごみ、露天商の掛け声、道に並べられた色とりどりの野菜や果物、すべてに圧倒され、そして妙に懐かしい居心地良さに包まれた。また戻ってくるであろうカトマンドゥ。「しばしの別れ」と自らに言い聞かせ、ヒマラヤ、ネパールの旅を終える。

カトマンドゥの丘の上に立つスワヤンブナートにて。
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by kobayashi-skin-c | 2012-01-26 22:47 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2011年の思い出、憧れのスイスアルプスを訪ねて
2011年7月、ヨーロッパでの会合を機会に、憧れのスイスアルプスを訪ねました。グリンデルヴァルトの町を起点に、山小屋に泊まりながら、花々が咲き乱れるトレッキングコースを歩きました。美しい山々の姿は、あらゆる方向からも、みる時間帯でも、ちょっとした光線の加減でも、さまざまな感動を与えてくれました。急速に減少しているという氷河、あまりに観光化された麓の町々、あふれる観光客の問題にも気付かされましたが、トレッキングコースでは誰にも会わず静かな山歩きを楽しむことができ、自然の懐の深さに優しく抱かれました。いつまでも、永遠にその優しさと美しさを保ち続けて欲しい、そんなアルプスでした。好きな写真を何枚かご紹介します。

グリンデルヴァルトの町からアイガー北壁を望む
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クライネシャイデックへの散歩道からグリンデルヴァルトの町、その向こうにヴェッタ―ホルンを望む
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アルペンローゼの花と、後ろはメンヒ
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クライネシャイデックからヴェンゲンへの散歩道、アイガー、メンヒを望む
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ユングフラウの夕焼け(Abend rot)、オーベルシュタインベルク小屋から
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夕焼けのユングフラウと牛と。トレッキングコースは牧草地(アルプ)の中を巡る。したがって牛たちに囲まれながら、遠慮しながら、糞に注意しながらの山歩き。
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オーベルシュタインベルク小屋からブライトホルン氷河を目指す
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お花畑の中を歩く
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左からアイガー、メンヒ、ユングフラウ
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新雪のアイガー、メンヒ
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アルプスの花々
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オーベルシュタインベルク小屋


ルツェルンの町
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ルツェルン郊外、リギ山を歩く。ルツェルン湖畔の町フィッツナウを望みながら
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またきっと訪れたい、アルプスの山々、そんな思いにふけりながら
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by kobayashi-skin-c | 2011-12-28 12:58 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2011年11月 晩秋の北大キャンパス
大雪の山々に始まった紅葉は、しだいに山麓へ、そして里へと
下りてくる。雪が降り始めるころ、札幌の街中が最後の紅葉に
燃え立つ。今年も北大キャンパスは美しく彩られた。

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そして、観測史上3番目に遅いという初雪がキャンパスを白く覆った。
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by kobayashi-skin-c | 2011-11-23 19:32 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2011年10月 錦秋をもとめて(芦別岳、支笏湖、風不死岳)
今年の秋は変?9月の大雪山で感じた「くすんだ紅葉」、そして新聞・テレビを賑わした熊の徘徊。そのため秋の散歩の定番、藻岩山も、円山も、手稲山も、登山道は閉鎖されてしまった。そんな中、錦秋を求めて芦別岳と、風不死岳に登った。

芦別岳山麓から。青い空、雪の峰々、そして山麓の紅葉が絶妙な色合いを見せる。
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芦別岳は登るにしたがい、雪は深く風は強く、半面山から山頂を望んだ後下山した。
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風不死岳は高さこそ1,100mであるが、支笏湖の湖面から800m以上の高さですっくと立ち、支笏カルデラの外輪山の一つとして美しい山容を見せる。外輪山の隣には、今も水蒸気を噴き上げる活火山の樽前山があり、樽前山と風不死岳を合わせて登ると、変化に富んだ山行を楽しむことができる。ただし、ちょっときつい。風不死岳の登りには、ロープ場も鎖場も待ち受ける。
風不死岳と支笏湖
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樽前山
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風不死岳山頂から、ブルーに輝く支笏湖の対岸に恵庭岳(右)、そして遠くには端麗な姿の羊蹄山。この日は、見渡す限りの晴天が広がり、遠くには大雪山、芦別・夕張岳、そして日高山脈の全貌、さらに増毛山群、函館方面には駒が岳まで見とおすことができた。感謝、感謝、の錦秋の一日であった。
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by kobayashi-skin-c | 2011-10-26 18:10 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2011年9月 秋の始まり
今年も北海道には不似合いな残暑が遅くまで続き、紅葉は遅れていた。一方で大雪の初冠雪は例年よりも早く、9月22日にその便りが聞かれた。何か変。それでも秋を求めて大雪の山々に向かった。

大雪黒岳山頂から、烏帽子岳斜面に広がる紅葉の襞模様を望む。
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黒岳から石室、雲の平、お鉢へ。
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黒岳石室の近く、岩が連なる斜面で「ピキッ、ピキッ」と聞き慣れたナキウサギの声。でも今まで一度もその姿を見たことはなかったのだが、あまりに近い鳴き声だ。目の前にその姿を見つけた。
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愛山渓温泉から沼の平へ。あいにくの天気と、ぬかるみの山道だったが、沼の平の美しさときたら何度来ても飽きない。雲の合間に、雪をかぶった旭岳が垣間見えた。
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高原温泉から緑岳へ。緑岳は高さこそ2,000mそこそこだが、大雪の真ん中に位置する。北海道最高峰の旭岳、第三位の白雲岳がすぐそばにあり、トムラウシ、そして二ぺをはじめとする東大雪の山々、さらに北大雪の峰々も指呼の間に間にある。見渡す限りの山々、針葉樹の深い森、ひっそりと佇む森の中の湖が眼前に広がる。そして何より嬉しいのが、高原温泉。イオウ分を含む白濁した熱い湯が登山で疲れた身を癒してくれる。
 秋の紅葉は高原温泉をあまりに有名にしている。クマが出没するとはいえ、新秋のころ高原温泉からの沼めぐりには多くの人々が紅葉を求め来訪する。しかし、緑岳まで登る登山者はごくわずか。でも、今年の秋は少し変。
第二花園はチングルマの紅葉の絨毯。その向こうに緑岳の頂。
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紅葉の赤が今年は鈍い、綺麗なんですが・・・・・・・
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紅葉の頃なのに、ミヤマリンドウが黄葉と一緒にみごとに咲いていた。
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そして今年の大雪には動物が道端に姿を現す頻度が高いのでは。
次回はクマに・・・・・・。
                             エゾシカ
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                             シマリス
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寂しさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮れ (寂蓮法師)

秋は夕暮れ 夕日のさして山の端いと近うなりたるに からすの寝所へ行くとて三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり まいて 雁などの連ねたるが いと小さく見ゆるはいとをかし 日入り果てて 風の音 虫の音など はた言ふべきにあらず(清少納言)

北海道の秋の夕暮れは、壮大な宇宙を感じさせる。
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by kobayashi-skin-c | 2011-09-28 21:16 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2011年8月 天空の高みへ。穂高の夏。
8月のお盆休み、北アルプス穂高岳を目指した。三歩君の映画『岳』が家内を突き動かし「行ってみようか」と相成った次第。そこには北海道の山々では登ったことも、見たこともない岩山。感動の連続であり、かつ高所恐怖症の私にとって、緊張の連続でもありました。

まず、奥上高地の明神に宿泊。翌朝明神池の穂高神社にお祈りをしていざ穂高岳へ。
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横尾から梓川の清流の向こうに前穂高岳岩壁を望む。
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憧れの涸沢に到着。まだ0:30pm。涸沢ヒュッテでラーメンを食べて、穂高岳山荘を目指し、いよいよ佳境のザイテン・グラートにとりつく。1週間前には、お孫さんを連れた登山者がこのコースで落石・滑落で死亡している。
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奥穂高岳直下の穂高岳山荘は、お盆休みのこともあり超混雑。受付では「今日は、一畳二人です」とのこと。言葉では実感がわかなかったが、部屋に入ると、茫然とたたずむオヤジ二人。見ず知らずのお二人は、今晩一つ布団で寝なくてはならない破目に。我々の六畳部屋にスイス人カップル二人を含む10人が同宿。夜トイレにも行けなかった。
そして翌朝、晴天に恵まれ、天空の高みを堪能した。まず奥穂高岳へ、そして山荘に戻り、北穂高岳への縦走。素晴らしかった。
穂高岳山荘と奥穂、前穂山頂。
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岩壁に咲くイワギキョウ、そして絶壁の向こうに前穂。
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奥穂山頂から、ジャンダルムを望む。遭難者捜索の救難ヘリも飛び交う。
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奥穂から北穂への縦走路を涸沢岳山頂から望む。槍ヶ岳の山容も美しい。
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縦走路ですれちがい渋滞。
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無事、北穂高岳に登頂し、憧れの北穂山荘に宿泊する。生ビールに、入れたてのコーヒー、そしてモーツアルト。晩ご飯はジンジャーポーク。素晴らしい一夜であった。家内は軽く高山病。翌朝はなんとか朝日を見ることができたが、槍ヶ岳の眺望は霧に包まれ一瞬しか望むことができなかった。また来るぞ!北穂。
常念岳をシルエットに朝日を迎えた。
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流れる霧の向こうに槍ヶ岳。
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by kobayashi-skin-c | 2011-08-24 19:33 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2011年5月 バスク、ピレネー紀行
サン・ジャン・ド・リュズの町並み。真っ白な漆喰壁に赤い窓枠、バスクらしい建物が並ぶ。この町で太陽王ルイ14世とスペイン王女マリー・テレーズが結婚式を行い、サン・ジャン・ド・リュズの町の名はフランス史に登場する。
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フランス側海バスク、バイヨンヌ。バイヨンヌの名物はと言えば、バイヨンヌハムとチョコレート。迷わず両方買いました。写真は運河沿いのフリーマーケットとその広場の一角にあったチョコレート屋さん。マカロンもすごく美味でした。
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スペイン側海バスク、サンセバスチァン。人口18万人のこの町は、美しいConcha Bayのビーチを持つリゾート地。Concha Bayは、Mt. UrgullとMt. Igueldo、そして小さなSt. Clara島によって湾が大西洋から塞がれ、ビーチは波が穏やかで、まだ5月と言うのに多くの人々が砂浜で日光浴、海水浴を楽しんでいた。
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ビーチ沿いにはカジノもあったが、サンセバの魅力は何と言っても「食べる」こと。ミシュラン三ツ星レストランが3軒、二ッ星レストランが2軒ある。なんと羨ましいことか。それに古い街並みに出かけるとbarとcafeが軒を連ね、夜の帳が下りるころには、多くの人々で溢れかえる。
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アルサックの一品
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マルティン・ベラサテギの一品
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ムガリッツの一品、まずはゴマすりから
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サンセバスティアンに別れを告げる夕暮れ
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そして山バスクへ。
フランス側バスクの町、サン・ジャン・ピエ・ド・ポール。キリスト教三大聖地の一つ、サンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道が一本に集まり、ピレネー越えに備える重要な宿場町。街のいたるところに巡礼者をいたわる施設がある。帆立の貝殻と杖は巡礼者の象徴。
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サン・ジャン・ピエ・ド・ポールからピレネーの山懐へ。
深い谷間と牧場が一幅の絵画を描き出す。
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そしてさらに山深く、峻嶮な峰々が瞼を貫く。
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スペイン側に入りブロトの町からピレネーのトレッキングに出発した。
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だれ一人いない氷河谷の最奥でカモシカ(chamois)が私達を迎える。
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山のふもとでは、人と牛と羊が一体となって暮らしていた。
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またいつの日か、海バスク、山バスク。
(健康教室抄録6月もご覧ください)
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by kobayashi-skin-c | 2011-08-24 17:34 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2011年5月 早春の北海道大学キャンパス
北海道大学出身の方たちはよく知っているかもしれません。
この清廉にして気高く気品を漂わせる野の花、オオバナノエンレイソウ。
北海道大学の記章となっています。キャンパス内「恵迪の杜」には群落があります。
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早春の中央ローン、クラーク博士像
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by kobayashi-skin-c | 2011-06-02 17:43 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)