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2012年1月 神々が生まれ、神々の棲むところ『ヒマラヤ』
新年明けましておめでとうございます。
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2012年の初日の出は、ネパールのポカラから。
2012年1月5日、ダウラギリ・トレッキングを終えた翌朝、ポカラ郊外の丘にある日本山妙法寺から、雲海に昇る「初日の出」を望みました。

朝日に輝く日本山妙法寺のストゥーパ(仏舎利塔)とアンナプルナ山群。
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誰もが訪れてみたい「世界の屋根」、「神々の棲むところ」ヒマラヤ。私にとっても長年の憧れでした。なかでも、最高峰エベレスト(8848m)は特別の存在。頂きを踏むことはできないのかも知れない。それでも、間近に仰ぎみてみたい。しかし、エベレスト山麓を目指すトレッキングは標高が5,500mに達するため、高山病の確率が高く、落伍者も多いと聞く。今回は、いきなりエベレストを目指すのではなく、トレッキングの標高が3,000m前後で、宿泊施設も比較的整っているというダウラギリ・トレッキングをツアー会社の案内で参加することとした。ヒマラヤの山歩き環境を知る、いわば予備試験というところ。
 しかし、見事にハマってしまいました。またネパールに何度も来てみたい。エベレストはおろか、アンナプルナ一周、ランタン谷、ムスタン王国、カンチェンジュンガ山群、・・・・・・、カトマンズの街、パタン、バクタプルの中世の街々、そしていっそうのことエベレスト山頂も。すっかり、ヒマラヤ、ネパール大好き人間となってしまったようです。

2011年12月28日、8・3プラザ診療室の最後の診療を終え、新千歳空港から成田へ。一泊して翌日、12月29日午前、成田からバンコクへ。ツアー会社の企画とはいえ、参加者はたったの3名。私と家内、そして横浜のHさん。3名ゆえに添乗員は無し。

12月30日、バンコクからネパールの首都カトマンズへ、さらに乗り換えてポカラへと至った。ポカラの街からアンナプルナ山群が近い。ポカラから見える象徴的な山、マチャプチャレが夕日を浴びながら、美しい三角錐の山容を見せてくれた。なんだか、もうこれで旅は終わってもいいぐらいに思えるほど美しかった。アンナプルナ山群のはるか東側には、夕日で赤く染まった大きな大きなマナスル山群がどっしりと立っていた。

ポカラの街からアンナプルナ山群を望む。左からマチャプチャレ(6993m)、アンナプルナⅢ峰(7555m)、アンナプルナⅣ峰(7525m)、アンナプルナⅡ峰(7937m)
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夕日に染まるマナスル
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夕陽に染まる左からマチャプチャレ(6993m)、
アンナプルナⅢ峰(7555m)
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12月31日。真っ暗な中、夜が明ける前にホテルを出発し、ポカラ空港へ。今日は、ジョムソムまで飛行機で移動。なんでも、ポカラ・ジョムソム間の飛行便は、風、雲、霧でしばしば欠航するので、移動手段の柔軟転換のために早い時間から待機するとのこと。日が昇り、山々が朝日に照らされる。7:30am、小型の飛行機に乗り込み無事に出発。そしてアンナプルナ、ダウラギリの山裾すれすれに、約30分飛んでジョムソム空港に着いた。空港といっても軍の管理、町らしい町は何もない。あたりは一面砂漠と岩山。気温は氷点下。石がごろごろする道路と、誰もいない河原を我々三人と、そしてガイドのスディールさんの四人で歩き始めた。河原の幅は広いところで1㌔もありそうだが、乾期の今は水量が衰え、幾筋もの細い流れが河原に数条走っている。川の名は「カリ・ガンダキ」。「黒い川」の意。下流ではガンジスの大河へと合流する。カリ・ガンダキはヒマラヤ造山活動の前からチベット高原に源を発し、インド洋へと注いでいた。ヒマラヤの山々がせりあがっても、川の浸食力で谷を深く削りながら、ダウラギリ、アンナプルナ山群を分かつように下流に流れ下り、山の頂きからは6,000メートルもの下方にその流れを維持している。

ジョムソムを出発し、カリ・ガンダキの河原を歩く。朝の早い時間、名物の強風はまだ吹き荒れていない。
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日が昇るにつれ気温は上がり、着膨れするほどだった防寒着を一枚一枚脱ぎ捨てた。歩いている時はあまり感じなかったが、着替えるためにうつむいたりすると、頭がくらくらとする。これは気圧が低く酸素不足状態のため。3000メートルと馬鹿にしないで、高山病に気をつけなくてはならない。
ジョムソムからマルファの町へ、ほどなく到着。町といっても100戸の家々ほどか。町一番の建物は、山の中腹に建つゴンパ(寺院)。マニ車を回しながら、急こう配の階段を上った。息が切れる。階段の上には、ヒマラヤンブルーと言うのだろうか、「青空」ではない濃く黒く透き通った「群青色の空」が広がる。ゴンパの金色の装飾、はためく五色のタルチョーが美しい。
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宿泊はマルファ一番のロッジだろうか。石畳の街道沿い、町の真ん中にあったその名も「パラダイスロッジ」。部屋には3つのベッドとトイレ。窓が大きく取ってあって景色は良いのだが、もちろん窓は閉め切っているのになぜかカーテンが風で揺れる。そう、部屋の中は外気と同じ。暖房は無い。とにかく寒い!
道路に出ると子供が遊んでいた。木の枝で作った弓矢を持っていた。
かわいいので、写真を撮ろうとすると「give me chocolate, give me
sweets」と言い寄ってくる。胸が痛んだ。60年前の日本、占領軍のアメリカ兵に同じようにねだっていたのだろうか。子供たちの皮膚は、紫外線に焼かれて黒いだけではない。鼻汁も、垢もこびりついて黒くなっているのだ。

マルファの街角で。
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マルファのロッジでは、日本人の父・息子の二人連れトレッカーに出会った。千葉から来られたとのこと、愉快で、痛快な旅を続けているとのこと。マルファ名物のアップルブランデーを皆で飲んだ。昼間はあれだけ晴れていたのに、ニルギリ山頂に雲がかかりはじめている。夜はありったけの下着と防寒着を着こみ、ロッジでもらった湯たんぽを抱き、冬用のダウンシュラフにもぐりこんで寝たが、途中暑くなって眠れなくなった。屋上に出てみると星は見えなかった。

1月1日元旦。残念ながら曇天。風が強い。この日はマルファの町から、カリ・ガンダキ下流の村ナウリコットまで歩く。その村に目指すホテル・タサンビレッジがある。ふたたび誰もいないカリ・ガンダキの河原を、そしてときどき村々の街道を四人で歩いた。この街道は「塩の街道」と呼ばれている。数年前に車が通れるようになったが、それまではウシ、ラバ、ヤギが運搬の主役だった。積荷は、チベットからインド平原に向かっては岩塩、逆は米などの農作物である。このあたりに暮らすタカリー族の人々がその交易に当たっている。途中のトゥクチェの村は、その交易の中心地。白い石積みの家々が美しく、牛も、山羊も、犬も、鶏も、そして人も渾然一体となって暮らしている。当然のように動物達の糞が道のいたるところに落ちているのだが、そんな風景にもどこか懐かしい、心静まる思いを抱いた。

世界で初めて8000メートル峰を踏んだフランスの登山隊(隊長エルゾーグ)は、この町を拠点にダウラギリ、アンナプルナへの登山ルートを探し続けたという。
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マルファの町から4時間。そしてナウリコット村の丘に建つタサン・ビレッジにたどりついた。ポーターの二人とお別れするころ、雲は低く垂れこめ、みぞれまじりの雪と変わった。どうも、私と衣子の二人旅に悪天はつきもののようだ。私はそれほどにも思っていないが、衣子いわく「私は晴れ女、あなたが雨男」と言う。ちなみに同行のHさんは「晴れ男」と言う。

丘の上に立つタサン・ビレッジ。
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タサン・ビレッジまで河原からの標高差は約200メートル。体が3000メートルの標高に慣れていないせいか、何度も立ち止まっては深呼吸を繰り返した。
建物すべてが手造りという。道路もなかったとき、主のタカリー族アルジュンさんの号令で、すべての建材を担ぎあげ、みんなの力で建て上げたホテル、タサン・ビレッジ。暖炉がなんとも嬉しかった。滞在した3日間で一番長い時間を過ごしたのが、山と星を見る屋上、そしてその次が暖炉の前であったろうか。

1月2日。朝起きると、窓の外はあたり一面の銀世界。この日はショコン・レイクへのハイキング。

新雪に埋まったナウリコット村。この日、ヤク追いの村人が二人、雪の山中で行方不明になったとのこと。村人達が心配そうに山を見上げていた。結局一人は助かったものの、一人は死体で見つかったとのことであった。
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雪をかぶったタサン・ビレッジ
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昨日まで歩いてきた砂漠のような景色から一変。ゴヨウマツやモミの深い針葉樹の森が新雪に覆われ、美しい。ハイキングの途中、少し気温が上がってくると、木々の雪が頭に落ちてきた。ショコン・レイクではまだ雲が低く、湖面に映るヒマラヤの山々を見ることはできなかった。午後から、切れ切れに青空がのぞくようになった。新雪をかぶった峰々がしだいに浮き出てきた。ニルギリがカリ・ガンダキの向うに、そして眼前にはダウラギリ氷河が迫り来るように見えてきた。鋭い稜線を雲が駆け上がり、うっすらと夕陽を浴びながら、やがてダウラギリⅠ峰が、信じられないほどの仰角の高みにその姿を現した。

タサン・ビレッジからカリ・ガンダキ上流を望む。
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姿を現したダウラギリ氷河とダウラギリⅠ峰(8167m)。寒空の下、アップルブランデーを飲みながら待つこと2時間、やっと願いがかなった。
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1月3日。未明から天気が気になり、衣子はとうとう屋上に偵察へ。満天の星だという。それからは日の出の時間までまんじりともせず、防寒着を着込んだままベッドの中で待機した。そしていよいよ日の出の時間、屋上へ。深い谷間に朝日は届かない。ダウラギリの頂きがまっさきに朝日を浴びる、その瞬間をまばたきもせずに待ち続けた。

ダウラギリⅠ峰(8167m)の頂に3つの赤い点が現れた。
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頂は光を増していく。
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朝日の栄光を浴びているのは、まだダウラギリ山頂部のみ。番兵のように聳える前衛の山々にまだ日は届かない。
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やがてダウラギリ山群全体が光り始めた。
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感激に目頭が熱くなった。でも、見上げているから涙はこぼれなかった。
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この日は、タサン・ビレッジからカリ・ガンダキを渡り、対岸の丘の上の村ティティガオンへのハイキング。真っ青な空と、真っ白く新雪をかぶった峰々を眺めながらの快適な山歩き。途中いくつもの美しい風景に出くわした。

カリ・ガンダキの河原を行く山羊の群れ。三人の牧童に導かれ、牧草地を目指すのだろうか。道草を食うものあり、山羊たちは右往左往しながら進んでいく。カリ・ガンダキの向うにはくっきりとニルギリ山群が見える。
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ナウリコットの村はダウラギリ氷河の舌端にある。すぐ傍まで畑、牧草地が広がり、人の生命力に驚かされる。そこで働く女性に美しさを感じた。ヨーロッパアルプスの牧草地では思いもしなかった感動である。
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カリ・ガンダキにかかる吊橋を渡る。今でこそ針金と鉄板で頑丈にこさえられているが、昔は蔓と竹で作られていたとのこと。安全を祈願する旗「タルチョ」が今も吊橋にくくりつけられている。分かる気がする。
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ティティガオン村への道には昨日の雪がまだ深く残り、日蔭ではカチンカチンに凍っていた。新雪の道、青い空、真っ白な峰々、黒い岩壁、緑の針葉樹の森、・・・・
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途中ニルギリ山群が眼前に迫ってきた。ニルギリ南峰(6839m)を望む。稜線から流れ落ちるひだ状の氷壁(ヒマラヤ襞)が美しい。
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振り返ると、ダウラギリが光り輝いている。山頂には、ジェット気流に吹かれてできた雲がかかり始めた。
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峠の上からは、ニルギリの右側に憧れのアンナプルナⅠ峰がその端麗な姿を見せてくれた。ダウラギリⅠ峰との共演。ここはまさにヒマラヤ。左がニルギリ南峰(6839m)、遠くの山の左ピラミッドがアンナプルナⅠ峰(8091m)、右がバラハ・シャンカー(7647m)。
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ティティガオンの村とダウラギリ山群・氷河。
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ティティガオンの村にて。
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カリ・ガンダキの河原へ戻ると、トゥクチェピーク(6920m)が美しかった。
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美しいこの日を締めくくったのは、夕陽に照らされたニルギリ山群。左からニルギリ北峰(7061m)、中央峰(6940m)、南峰(6839m)。
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1月4日。この日はジョムソム街道をジープで下り、ポカラの町へ戻らなくてはならない。本当に山々に、人々に、すべてに感謝。
さてこの日、聞きしに勝るはジョムソム街道のすさまじさ。ジープは時速10kmにも満たないスピードで、車体を躍らせながらカリ・ガンダキの深い谷間の底を走り、岩壁に張り付くような狭い道を下っていく。途中、バス(と言ってもマイクロバス)とすれちがう時は、自ら運転していなくても緊張を強いられる。
走行中に外の景色を見ることはできないが、途中立ち寄った宿場の町々から望むダウラギリ、ニルギリはいつまでも美しく、遠のく峰々に名残りを惜しんだ。

ガーサの村にて。我々を運んでくれたレンジローバーと一緒に。後はダウラギリ氷河、トゥクチェピーク(6920m)。
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走り下った道路は、まあこんな所。ゆれる車内からの撮影です。
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タトパニの町にて。だいぶ下ったのだろうか、いつの間にやら針葉樹は姿を消し、オレンジの木、ブーゲンビリアの花を目にするようになった。後方の黒い岩壁はニルギリ南峰。
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随分ときれいな紅葉がネパールにもあるものだと見惚れていたら、なんと日本ではクリスマスの時期に飾られるポインセチアの野生種だった。
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タトパニとはネパール語で「熱いお湯」、つまり温泉。カリ・ガンダキの河原に湯気を上げる湯壷があった。この宿場町で昼食をとった。ロッジで働く母、子がなんとも愛くるしかった。
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結局ポカラまでの道のりに要した時間は、9時間。途中休憩もあったが、その悪路に四苦八苦。ポカラに近付き少し路面がましになってからは、今度は飛ばすこと、飛ばすこと。バイク、歩行者などおかまいなく、追越をしていく。事故がないのが不思議なほど。ポカラのホテルに着いた時は頭も腰もくらくら。一安堵であった。しかしレンジローバーを操っていた若者は、またあの悪路を引き返すのだろうか。我々をホテルで下ろすと、すぐに颯爽と走り去った。あなどれない。

1月5日。この日は未明からポカラ郊外のサランコットの丘(1592m)に車で登り、朝日に照らされるアンナプルナ連峰を見、そして空港に移動、カトマンドゥへと飛び立つ予定であった。昨晩、夕食の後にガイドのスディールが少し浮かぬ顔で、「明日はバンダがあるそうです。まだはっきりしません。バンダとはゼネスト、ストライキのことです。ネパールでは年に何回かあります。そしたら車を使うことができません」と言っていた。「でもバンダは中止になるかもしれませんので、予定どおり未明に起床して準備してください」とも言った。
 未明にホテルのロビーに集合。バンダは決行とのこと。車が使えないので、サランコットの丘へは行けない、空港への移動も歩かなくてはいけない、外はまだ真っ暗、おまけに深い霧の中。日本を出てこのかた一度もトラブルはなかった。ジョムソムへの飛行便は、我々が乗ってから以降、強風、雪、滑走路の凍結で3日間も欠航したと聞いた。雪も青空も、朝日も、神々が棲む峰々も見ることができたのに。
 昨晩のうちに考えていたあるアイデアをスディールに相談した。サランコットの丘ほど高くはないが、日本山妙法寺が立つ丘(1113m)も絶景ポイントであると「地球の歩き方」に書かれていた。地図を見る限りサランコットよりも近い。スディールが「行けるだけ行ってみましょう」と言ってくれた。
 真っ暗で深い霧の中、ヘッドライトを点して四人で歩き始めた。驚いたことに、町の中は結構な人がすでに歩き始めている。それにしても街灯一つないこの暗い道を、懐中電灯も持たずみなよく歩けるものだと感心した。少し明るくなり始めた頃、後から一台の車。スディールがとめた。そして運転手と交渉。助手席に座っていた同乗者が降り、我々に乗れと言う。ネパールにもこんなヒッチハイクがあるのかと感心したが、スディールいわく、「随分とぼられました」と小声の日本語で囁いた。この車、闇を走る「ヤミタクシー」なのだ。ものの10分で、妙法寺下の駐車場に辿り着いた。しかし、あのまま歩き続けていたら、当然日の出には間に合わなくなっただろう。地図でみるよりもずっと遠かった。
 妙法寺の山門では白装束の修行僧が、手に太鼓を持って朝の祈りをささげていた。日本語であった。日蓮宗とのこと。ほどなく地平線上の雲海から、煌く朝日が姿を現した。ストゥーパ(仏舎利塔)の上に登り見つめた。感動的な光景であった。アンナプルナの峰々が朝日に輝く。眼下にはフェワ湖が見える。
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いつまでも居続けたい心持ちであった。神々が生まれ、神々が棲むこの地にとどまりたい。なんの信仰心も持たない自分ではあるが、生命と、地球と宇宙に感謝する、そのことが神の存在と思っている自分にふさわしいと。

スディールにうながされ山を下った。意外と険しい階段状の山道がポカラの町へと続いていた。「これを登ったら大変だったでしょう。車がみつかって良かったね」とはスディールの言。

町にはまだ霧が立ち込めていた。バンダのため車は通らない。まるで歩行者天国のようだと思っていたら、水牛の群れが歩いてきた。
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朝もやの畑の中、野良仕事が始まったのだろうか、二人の老女のシルエットが美しかった。今日の朝の経験は、ほんとうにスディールのお蔭。深く感謝です。
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カトマンドゥ空港も霧のため、折返し便に乗るための飛行機がポカラに来ない。空港内は待つ人でごった返していたが、待つこと2時間あまり、次々とプロペラ機が降りたち、あわただしく乗客を乗せ飛び立った。この飛行便が最高であった。晴天の中、左手にヒマラヤの山々を端から端まで見せてくれた。おまけに、カトマンドゥ空港の混雑のため上空で待機。たっぷりと空からヒマラヤを堪能した。
さて、カトマンドゥの街でも感動の連続。旧い中世の寺院、王宮も、そして道を埋め尽くす人ごみ、露天商の掛け声、道に並べられた色とりどりの野菜や果物、すべてに圧倒され、そして妙に懐かしい居心地良さに包まれた。また戻ってくるであろうカトマンドゥ。「しばしの別れ」と自らに言い聞かせ、ヒマラヤ、ネパールの旅を終える。

カトマンドゥの丘の上に立つスワヤンブナートにて。
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by kobayashi-skin-c | 2012-01-26 22:47 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)