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2012年5月 春の北大キャンパス
この冬の北海道は雪が多く、4月に入っても例年より寒い日が続いていた。ネパールの休日ののち札幌に帰ってくると、北大キャンパスでは春爛漫の花々と木々が待っていた。一期一会の出会いがそこにはある。

春がすみの北大キャンパス。新芽の木々の葉があたかも紅葉のような色を見せた、春紅葉。
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恵迪の森では花々が咲き乱れていた。
オオバナノエンレイソウ。
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ニリンソウ
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エゾエンゴサク
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旧理学部校舎(現博物館)前のクロフネツツジと枝垂れ桜
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中央ローンの緑の芝、モデルバーンの赤い屋根
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北大農学部農場にて
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by kobayashi-skin-c | 2012-05-29 22:58 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年5月 I Love Nepal. ネパールヒマラヤ再訪記(ランタン谷トレッキング)No.2
ネパールで出会った仲間たち、山で出会った花々。

美しい山々との出会い以上に、素晴らしい、素敵な仲間との、大好きな花々との出会いがあった。だから、Again, I LOVE NEPAL.

パタンの町のヒンドゥーのお坊さん。なにやら偉そう。
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バクタプルの町で。地元の高校生と。
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バクタプルの町で突然、「一緒に写真を撮ろう」と声をかけられた。インドから来た研修旅行中の学校の先生達。
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バクタプルの街中で。街角のいたるところにこうしたパティと呼ばれる休憩所がある。たいていは男がたむろしている。
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マッチェンドラナート祭にやってきた子供たち(パタンにて)
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カトマンドゥ出発の朝。登山口シャブルベシまで我々を運んでくれたランドクルーザーの前で。左端が運転手さん。左から二番目がNepal Himalayan Village Treks & Expedition (P) LTD.の社長Pitamber Gurung氏、右から二番目が名ガイドのDilli Gurung氏
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シャブルベシ出発の朝、ドイツ人夫妻のクラウスとレナーテ、そして彼らのガイドさんと。クラウスとレナーテの二人はランタン谷トレッキングの間、いちばんの仲間、話し相手となった。
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大切なトレッキングの仲間、ネパール式トイレ。
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ランタン村にて(左から我々のポータさん、ガイドのDilliさん、ドイツ夫妻のポータさん)。みんなで一緒に「はい、ポーズ!」
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ランタン村で一緒になったロシアからの女性トレッカー。
女一人での山歩き、そして半ズボン姿に驚かされた。シベリアのノボシビルスクに住んでいるのだそうだ。寒さに強いわけだ。
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高山に咲くアヤメ。高さは10センチほど。空の青さを映したかのように、濃い青色。
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ネパールリンドウ。直径1㌢足らずのほんの小さな薄紫色のリンドウの花。
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サクラソウは北海道で見るエゾコザクラに比べると花が房状で大きい。園芸種の西洋サクラソウ(プリムラ)にそっくり。
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キャンジンゴンパのロッジとテントを切盛りしていた女将さんたち。子供の頭を洗っていた。写真をうつしたら、私のスカーフをよこせと言う。子供の髪が薄いので頭に巻くのにちょうど良いと言う。だいじなスカーフだからと、丁重にお断りした。お互い片言の英語と身振りで、たぶんそんな会話だったのだと思う。
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ロッジの調理場はポータさんたちのたまり場でもある。カマドの火であたたまりながら談笑している。
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ジャガイモは南米アンデスが原産地であるが、地球を半周してここヒマラヤでも主食の一部を担っている。小さな茹でたジャガイモをヤクバターとヤクチーズを添えて食べた。
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ランタン谷の道を、馬に乗った地元の人も行き交う。ここは生活道路。
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畑の石垣で遊ぶ子供たち。
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ロッジの女将さんと談笑するDilliさん。ガイドにとってロッジの女将さんに気に入られることは大切なこと。
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ポータさんは、何でも運ぶ。鶏を6羽担いで歩いていた。
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ランタン谷ではラバの荷運びも多かった。そのせいで、道にはフン、フン、フン。
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マメ科の黄色い花が満開だった。
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シャクナゲの花はとにかく見事の一言に尽きる。標高の低いところから赤→ピンク→白と花の色が変わっていった気がするのだが、そんなことはないだろうか。
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ロッジのひとこま。日本の北アルプス辺りの山小屋に比べると十分なスペースがあると言える。持参のダウンシュラフに加え、毛布の貸し出しもあり、それに湯たんぽを頼むと、4000mに近いロッジでも十分に暖かく寝ることができた。
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トゥーロシャブルのロッジで、ガイドのDilliさんが女将さんを手伝って「モモ(チベット風餃子)」を握る。私も余興に日本風の餃子を1個仕立てた。向うに座るのは米国から来たカップル。
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バンブーロッジにて、フランス人カップルのジェシカとセザール。1年間の休暇を取り、世界一周の旅の途中。今回私たちは人生で一番長い休暇を取ったが、連休を合わせて全部で15日間。
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赤いシャクナゲ(ラリグリス、ネパールの国花)。
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トゥーロシャブルでであった姉妹。ランタン谷一帯にはタマン族の人たちが暮らす。
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ラウナビナへの登り道、シャクナゲ林の中で、イタリアのシチリアから来たアルベルトに出会った。3ヶ月の旅行も終盤。そろそろお金が尽きたとのこと。アルベルトも完全に”Himalayan Virus”に侵されている。
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ピンクのシャクナゲ。
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サクラソウ。
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ラウルビナのロッジは、客が少なかったせいか食堂のストーブは早々と消された。零下の気温、あとはフル装備で寝るだけ。3900mの標高にいても、だいぶ高度順応ができていたせいか頭痛もなく、食欲も戻って快調ではあったが、眠りに落ちるとすぐに息苦しくなり安眠はできなかった。
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色とりどりのシャクナゲ。
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ラウルビナでガーネッシュヒマールを背景に、Dilliさん、衣子、修行僧、ポータさん。4000mの高さで気温は零度前後というのに、修行僧の装束は一枚の布切れを巻いただけで下は裸。足は裸足で、このあと山道を走るように登って行った。Dilliさん情報で、修行僧はヒンドゥー教徒で聖地ゴサインクンドへの巡礼の途中。一言も喋らない無言の行を10年間続けているとのこと。
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イギリスとスイスから来たカップル(ラウルビナのロッジで)
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ラウルビナのロッジのマスター父子。14歳の子供は学校に行っていない。将来はコックになりたいそうで、私たちの夕食も朝食も彼が作った。日本だとこのお父さん、さしずめ児童虐待で訴えられそう。
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もう一人出会った修行僧。彼は英語でよく喋りたいへん上機嫌であったが、下山後のDilliさん情報によると、このあと高山病で動けなくなったらしい。昨日は、酸素マスクを付け、竹篭に背負われた日本人トレッカーが下山させられている姿を、この辺りでみかけた。
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ラウナビナからの下り道で、またジェシカとセザールに出会った。彼らは聖地ゴサインクンドを経てカトマンドゥまで歩いて帰る。
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下り道で突然現れた山羊たち。
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薪を運ぶ子供たち。5歳ぐらいから10歳ぐらいであろうか。私たちに笑顔を向けてくれた。私は、「頑張ってね」と声をかけた。ネパールの将来を背負う子供たち。その将来がいつまでも薪なのか、あるいはそれが便利な石油、自動車に変わっていくのか。どれが、何が、幸せなのか? 子供たちが担うネパールの将来について、とにかくみんな幸せでいて欲しいと祈った。
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さようなら、ランタン谷。さようなら、ネパール、ヒマラヤ。また逢う日まで、しばしの別れ。
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by kobayashi-skin-c | 2012-05-29 21:16 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年5月 I Love Nepal. ネパールヒマラヤ再訪記(ランタン谷トレッキング)No.1
ネパール・ヒマラヤには、きわめて強力な病原体の”Himalayan Virus”が棲息し、訪れた多くの人が「ヒマラヤ山岳病」に罹ってしまうと言われている。私と衣子も、2012年正月にダウラギリ・アンナプルナトレッキングでネパールを初めて訪れたとき、このウイルスに罹患したようで、日本に帰ってからも夜な夜なヒマラヤの写真・本を見ては目が冴え不眠に悩まされ、ため息が止らなくなっていた。

その治療にはどんな薬も無効であり、ヒマラヤをまた訪れるしかない。私たちは治療のため、再びネパール・ヒマラヤを訪れることとした。ヒマラヤに分け入ったイギリスの探検家ティルマンが、1942年に述べた「世界一美しい谷、ランタン谷」。その最奥のキャンジン・リ(4550m)に登ることが今回の目標である。

“Himalayan Virus”にとりつかれた私たちは、旅行会社が設定したお決まりの日程・コースでは十分に癒されないと考え、今回は、往復の飛行機、現地での宿、そして山のガイド・ポーターも自分達で決めて手配することとした。その手配には、カトマンドゥのサンセットビューホテルの支配人HIROKOさんにたいへん世話になり、トレッキングのアレンジ、ガイドはNepal Himalayan Village Treks & Expedition (P) LTD.のPitamber Gurung氏、Dilli Gurung氏にお願いした。

 4月25日に札幌を出発し、成田からインド・デリーへ、一泊してカトマンドゥへ。そして4月28日から9泊10日間、ランタン谷に分け入った。

サンセットビューホテルから歩いてほど近いところに古都パタンがある。パタンは16~17世紀に栄えた王都。トレッキングの前、4月26、27日町を散策した。赤瓦が美しい王宮、寺院が建ち並び、ちょうどマッチェンドラナート祭(雨と豊穣の祈りの神)の時で、巨大な山車がゆっくりゆっくりとパタンの町を練り歩き、たくさんの人々で賑わっていた。
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王宮広場の一画に、"ネワールの飲み屋"と「地球の歩き方」に紹介されていた食堂があった。「ウォー」と呼ばれるネパール風お好み焼き屋さん。これが美味しかった。地酒の「チャン」もいただいた。満腹になって、いい気持ちになって、二人で140ルピー(約140円)。
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カトマンドゥ郊外のもう一つの古都、バクタプル。ひっそりと昔のままの姿を残す美しい町。
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4月28日、トレッキングの出発点はシャブルベシ村(1460m)。カトマンドゥからはジープで5時間のところ。村に一泊して翌朝(29日)、タルチョがたなびく吊橋を渡りトレッキングの開始だ。ランタン谷のはるか奥深くに、白い頂きが見えていた。今日は標高2340mのラマホテルまで。ランタン・コーラ(川)の左岸を、登ったり下ったりまた登ったり。谷は深く両岸は断崖絶壁。ときどき絶壁の切れ間にヒマラヤの高峰が顔をのぞかせる。渓谷の美しさを堪能しながら上流へと向かった。ラマホテルとは、ラマさんが最初に茶店とロッジを建てたのが始まりで、今は数軒のロッジが建ち並ぶが今もラマさんのホテルの名で呼ばれている。そのラマさんと写真に写った。
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4月30日、ラマホテル(2340m)からランタン村(3330m)へ。深い森の向うに真っ白なランタンリルン(7225m)、ランタンⅡ(6571m)が目に飛び込んできた。感激の一瞬。さらに途中、シャクナゲ林を通り過ぎようとしたが、あまりの美しさに見惚れたり、カメラのシャッターを押し続けたり、歩みが止ったままとなった。
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ランタン・コーラが作りだしていた深い谷、うっそうとした森林は次第に消え、標高3000mを超えるあたりから緑の草原となった。そして、ランタン・リルンを主峰とするランタンヒマールの山々の麓をたどり、奥には白く輝くガンチェンポ(6387m)をはじめとするガンジャーラヒマールの山々がどっしりと聳えている。シャクナゲの花が咲き誇っている。ここは桃源郷?
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ランタン村の入口には水車で回るマニ車(チベット仏教の経文が中に入った仏具、回すと経文を読んだのと同じご利益を得ることができる)があった。ランタン村は地元の家々に加え、多数のロッジ、寺院があり、チーズ工場兼ベーカリーもある大きな村だった。民家ではヤクも飼われていた。
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ランタン村の標高は3330m。そろそろ高山病の症状が現れる高さだ。持参したパルス・オキシメーターで頻繁に酸素飽和度を調べてみたが、深呼吸をすると90%以上を維持することができており、高山病の心配は無いように思った。しかし夜ぐっすりと眠れないのが気がかりではあった。

5月1日、ランタン村(3330m)からキャンジンゴンパ(3730m)へ。今までの3日間、午前中は雲ひとつない青空だが、お昼前から高い山の頂に雲が出始め、しだいに空一面に雲が広がり、夕方ごろになると雷が鳴ったり、雨がさっと降ったりした。そして夜からは星空となり、朝にはふたたび雲ひとつない青空という具合の天気が続いていた。朝はできるだけ早く出発できるよう、寝る前に翌日の荷物の準備を済ませ、朝食は簡単に短時間で済ませるようにした。この日の行程では、もう昼前にキャンジンゴンパに到着し、午後いっぱいは高所順応のため、キャンジンゴンパの村の散策、ゴンパでのお祈り、そしてキムシュン氷河の舌端、4000mを超える地点まで散歩を楽しんだ。とは言うものの、さすがに富士山山頂を超える標高では呼吸は荒く、足が重くなる。山に入ってから睡眠不足気味なのだが、昼寝はご法度だという。眠ると呼吸が浅くなるため酸素の取り込みが悪くなり、高山病に陥りやすいのだ。
 この日の夕方は、空一面に広がっていた雲に切れ間ができ始め、ガンチェンポ(6387m)、ポンゲンドクプ(5930m)、ナヤカーン(5844m)のガンジャーラヒマール、ドルジェヒマールの山々が夕陽で朱色に染まった。神々しいまでの美しさにうっとりと見惚れた。
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しかし見惚れていたのは私だけで、衣子は嘔気と頭痛のため夕食を食べることができず、はやばやとシュラフに入り込んでいた。夜中には、吐き気を抑えることができず何回も嘔吐した。頭痛、嘔吐、不眠の三つが揃えば、これは完全に高山病と考えられる。同宿していたドイツ人夫婦のレナーテとクラウス、そしてフランス人カップルのジェシカとセザールが心配してくれた。心強い限りであるが、パルスオキシメーターは、私の酸素飽和度よりも衣子のそれのほうが高いことを示していたので、診断は「高山病ではなく、疲労と緊張であろう」と確信した。レナーテが「私には同じ女性としてよく分かるわ。緊張がそうさせているの」と暖かくいたわってくれた。
 ガイドのDilliさんの心配もひとしおであったが、「すぐに下山させる必要はない。衣子の朝の状態をみて、明日の行動を決めよう。予定は夜明け前にロッジを出発し、キャンジン・リを目指そう」と打ち合わせた。

5月2日、衣子の嘔気は朝までおさまることなく、胃液だけの嘔吐を繰り返した。二人とも、また、ほとんど眠ることができなかった。その状況の中で「ロッジで休んでいなさい。僕はチョット!?、登ってすぐに戻ってくるから」と、夜明け前、衣子に提案した。「何を言っているの!私も登るわよ、具合が悪ければ途中で引き返すわ」と答えが返ってきた。従うしかない。私が「絶対に登ってやろう」と思っているのと同じように、衣子もそう思っているのがひしひしと伝わってきた。
 夜明け前にロッジを出発。私はカメラだけをぶら下げ、衣子は空荷。Dilliさんとポーターさんが、温かいお茶とビスケット、果物を持ってくれた。道はすぐに急勾配の山道となった。「ビスターリ、ビスターリ(ネパール語で「ゆっくり、ゆっくり」の意)」とDilliさんが声をかける。息が切れる。心臓が飛び出さんばかりに鼓動を打っている。ふと見上げるとランタン・リルンの頂に朝日が当たっている。ほどなくランタンコーラの対岸のナヤカーンにも朝日が差し始めた。美しい、しかし、つらい。そして寒い!零下10℃ほどだ。空は黒いほどの青さ、ヒマラヤンブルー。日が高くなるにつれ山々はその白さを増す。足下を見るとサクラソウが青紫色の花を咲かせている。深呼吸を繰り返しながら一歩一歩、足の幅だけずつ前に前に、上に上に進む。心配していた衣子の状態はと言えば、私よりも平気な顔で先を行く。それもDilliさんとお喋りしながらである。私は息が切れて喘ぐばかり。喋ることもできず、ときおりふっと気を失うような、陶然とした心地となっていた。おそらく酸素不足の脳障害が軽く現れていたのではなかろうか。

朝日を浴びるランタン・リルン(7225m)
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ランタンコーラ対岸のナヤカーン(5844m)
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キャンジン・リの頂のタルチョがはっきりと見えてきた。少し足が軽くなってきた。私がしばらく先行する。そして頂上の手前、衣子に道を譲った、「Lady, first」。あのコンディションの中で一生懸命に頑張ったのだろう、頂上に着くなり衣子の目からは大粒の涙がこぼれた。4550mの頂は、ヒマラヤにおいてはほんの丘の上なのだろうが、私たち二人にとっては感激のひと時であった。Dilliさんに、「ありがとう」。そして、しばし360度のヒマラヤの展望に時を忘れた。

タルチョ(祈願旗)の向うにランタンリルン(7225m)。チベット語で「ランタン」は「雄牛(ヤク)がたくさんいる平原」の意、「リルン」は「大きな山」の意。
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ランタンリルンとリルン氷河
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キムシュン(6745m)とキムシュン氷河・アイスフォール
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ランタンリルン(7225m)は端正な姿だが人を寄せ付けないような岩壁で纏われている。1978年、大阪市立大学山岳隊が幾多の失敗、犠牲を重ねながら初登頂した。
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しばし時を忘れ見入り続けた。
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キムシュン(6745m)の頂上直下から雪崩が斜面を走った。
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頂上でいただいた熱い紅茶とビスケットは喩えようもなく美味しかった。Dilliさん、ポータさんに感謝。
頂上ではフランス人の仲間達に会った。みんなのむくんだ顔が笑顔ではじけていた。
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群青色の空、白い氷雪の峰々はいつまで眺めていても見飽きなかった。また一段と強烈な”Himalayan Virus”が脳に入り込んだようだ。名残りを惜しみながら「ビスターリ、ビスターリ」と下山した。

この日は、午後になっても気持ちの良い快晴が続いていた。ぽかぽかと暖かく、疲れていたとはいえ気持ちは晴れ晴れとしていたので、午後からランタン・コーラ沿いの道を奥へ奥へと進んだ。どっしりとした三角錐のガンチェンポ(6387m)、奇岩の塊のようなランシサ・リ(6427m)、道を曲がるたびに次々と別の美しい山並みが姿を見せる。最奥のランシサ・カルカまで行くとチベットに聳え立つ幻の8000m峰、シシャパンマも見ることができるというが、日暮れを気にしながら途中で引き返した。草を食むヤクの群れが目をなごませた。
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キャンジンゴンパから今日登ったキャンジン・リを仰ぎ見る(右から二つ目の少しだけ雪をかぶった黒いピーク4550m)。
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その日の夜、衣子の食欲はまだ戻らなかったが嘔気と頭痛は消えていた。この日一日、よく頑張ったと思う。素晴らしいヒマラヤ、ランタン谷の一日であった。

5月3日、キャンジンゴンパ(3730m)からリムチェ(2440m)へ。この日の朝も快晴で、朝日に輝くランタンリルンが私たちを見送ってくれた。振り返り、振り返り、ゆっくりとランタン谷を下った。瞼の奥の奥まで永遠にこの光景が残ってくれるよう、心に祈りながら。
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5月4日、リムチェ(2440m)からトゥーロシャブル(2210m)。たった230mの標高差を下るだけの一日、ではないのである。まずはランタンコーラの河岸を下ったり登ったりを繰り返し、1610mのランドスライドへ。ランドスライドからは別の川沿いを緩やかに登って、高くて長い長い吊橋を渡って、そして段々畑の中の急坂を登り返して、尾根の上の村トゥーロシャブル(2210m)へといたるけっこう力の入るコース。しかし、高所順応ができた体には快適な山歩きとなった。トゥーロシャブルのロッジには暖かいシャワーがあり、冷えたビールも準備されていた。なんだか、とっても豊かで満ち足りた気分となった。

トゥーロシャブル村から続く段々畑。小麦が植えられていた。
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途中の高くて長い長い吊橋。Dilliさんが撮影してくれた。
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トゥーロシャブルの村にて
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5月5日、トゥーロシャブル(2210m)からラウルビナ(3900m)。この日は一気に1700mを上って、約4000mまで。すでに高所順応できているから可能な登行。さすがに息は切れたが、このトレッキング中で最難のコースも意外と平気に登ることができた。衣子はいたって快調であった。3000mを超えるあたりまでは、ずっとシャクナゲ林の中を歩いた。白とピンクの花をいっぱいに咲かせるこんな大きなシャクナゲの木を、日本では見たことがない。沈丁花の花も見かけた。3000mを超えてからは木が少なくなり、今度は地面に可憐な花々が咲き乱れていた。黄色のキク科の花、白と薄紫のスミレのような花、小さなネパールリンドウ、紫のサクラソウ。絨毯のように花々が広がっていた。しかし、登山道はそのお花畑を行く筋にも切り裂くように入り乱れ、土はえぐられ、心が痛んだ。聖地ゴサインクンドにいたる山道で、トレッカーだけでなく巡礼者が多いためとのことであった。この日は午前から雲が多く、途中小雨が降ったり、チョランパティでは霙から雪に変わった。雪を避けるために寄った途中のチョランパティでは、バッティ(茶店)で食べた昼食の「シャクパ」(チベット風、シェルパ族が作る麺と野菜が入ったスープ)がたいへん美味しかった。
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5月6日、ラウルビナ(3900m)からドゥンチェ(2030m)へ。ラウルビナは、このあたりいったいでは随一の展望台。ランタンリルンをはじめとするランタンヒマールの山々に加え、間近にガーネッシュヒマールを望み、遠くにはマナスル、アンナプルナの8000m峰まで見渡すことができる。ラウルビナは聖地ゴサインクンドに向かう途中の尾根の上にある展望台で、3軒のロッジがあった。
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ラウルビナ(3900m)からの約2000mの下山路はほぼ下りだけ。途中3000mあたり、シンゴンパの村までは尾根上の道で高山植物やシャクナゲの花を愛でながら、緩やかな道を下っていった。花に囲まれたシンゴンパはさしずめ「桃源郷」の中の村だった。
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シンゴンパを過ぎると道は一気に谷底に向かう急斜面となった。この道を登るのではなく、下っていることに安堵した。やっとトリスリコーラの河原に近づいたころ、今回のトレッキングは終了した。人で賑わう街道沿いの町ドゥンチェに日が傾く頃到着した。達成感と、喪失感がないまぜとなった心境。とにかくたくさん感激して、感動して、ますますネパール・ヒマラヤが大好きになった。”Himalayan Virus”はまだまだ私達の体内、脳内に居続けるだろう。

HIROKOさん、Pitamber さん、Dilli さん、ポータさん、山であった多くの仲間たち、お世話になったロッジの女将さんたち、ネパールの人々に心から感謝。

(この旅行記に記した標高について、文献によりその値に差があるため、「NEPA MAPS (Paolo Gondoni)、Lantang National Park」の記載に従った)
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by kobayashi-skin-c | 2012-05-27 20:42 | PHOTO & ESSAY | Comments(1)