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2013年7月 July 2013 大雪トムラウシ山系縦走 Trekking in Taisetsu (Tomurausi) Mountains
7月14日~17日、旭岳温泉を出発し、旭岳、お鉢から白雲岳避難小屋。そして高根が原から忠別岳、五色岳を登り、化雲岳。ヒサゴ沼避難小屋に2泊し、トムラウシ山に遊び、天人峡温泉に下山した。晴天に恵まれ、白く大きな雪渓、たおやかな峰々、そして咲き乱れる花々に、目も心も奪われ心動かされた4日間の山旅であった。

第1日目。出発点の姿見の池周辺。エゾイソツツジの花と旭岳。
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さっそくチングルマのお花畑と大雪渓が迎えてくれた。
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「お鉢」に咲くタカネキスミレ
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白雲岳頂上下の大雪渓。2週間前にはこの近くで足を滑らせた女性が滑落死した。しっかりとストックを効かせ、足をキックさせながら登った。
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第2日目。この日は白雲岳避難小屋を4:30amに出発し、高山植物の花々が咲く高根が原をのんびりと歩いた。

エゾツツジの向こうに忠別岳山頂、そして遠く遠くにトムラウシ山。
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コマクサの群落
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リシリリンドウの鮮やかな青
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タカネシオガマの美しい紫
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ミネズオウ(峰蘇芳)の可憐なピンク
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忠別分岐から五色岳までは、ハイマツ、ミヤマハンノキ、ナナカマドが茂るブッシュの中の急登が続き顎を上げたが、その先には、また美しいお花畑が広がっていた。

忠別分岐にて
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チシマツガザクラ
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イワウメ
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ホソバウルップソウ
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お花畑の向こうには、トムラウシ山
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お花畑からはまた大雪渓、その向こうにヒサゴ沼避難小屋
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第3日目。ヒサゴ沼避難小屋は空いていた。新潟のご夫婦、東京のおじさん二人、大阪の三人家族、広島の三人娘、そして私たち、計12人の旅人たちが鼾も高らかに楽しく夜を過ごした。

雲一つない青空の朝、トムラウシ山を目指した。

ヒサゴ沼の朝
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朝日に輝くエゾコザクラ
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この辺りのトムラウシの縦走路は、日本庭園と呼ばれる。
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トムラウシ頂上直下の北沼。4年前トムラウシ縦走ツアー一行が悪天候のため遭難した。この湖畔でまず二人が命を落とした。山は「天国と地獄」。
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トムラウシ山頂には8:30am到着。あれだけ晴れわたっていたのに、山頂では雲がのぼり、雄大な景色を白く隠してしまった。私にとっては実に43年振りのトムラウシ、家内にとっては初めての頂である。c0219616_1547784.jpg
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南沼キャンプ場そばのエゾコザクラとハクサンイチゲの群落。4年前の遭難ではここでも二人が死んだ。信じられない。
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お花畑の向こうの雪渓を、東京のおじさんが行く。大声で別れを告げた。
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第4日目。この日も晴天の朝を迎えた。5:00amにヒサゴ沼避難小屋を出発。大雪渓を登り、ヒサゴ沼と東大雪の峰々を眺めながら贅沢な朝食をとった。
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化雲岳頂上(化雲岩)に立つ
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頂上からの大展望。遠く旭岳(左端)を望む。あそこから歩いて来たのだ。
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化雲からポン化雲にかけてのお花も素晴らしかった。花々とトムラウシの山々に感謝の言葉を告げ、天人峡温泉に下った。
エゾノツガザクラ
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ミヤマリンドウ
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エゾルリソウ
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チングルマとトムラウシ
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山は美しい。でも大自然の厳しさはときに人を寄せつけない。そればかりか、命をも奪ってしまう。今回の山旅は、奇しくも4年前の大遭難事故(事件)とまったく同じ日程で、トムラウシ山系を歩いた。『天国と地獄』としか言いようがない。亡くなった方々のご冥福を祈る山旅でもあった。
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by kobayashi-skin-c | 2013-07-31 14:36 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2013年7月23日教室 『ネパールの人々の暮らし』
ヒマラヤトレッキングは、山歩きと同時に村々を訪ねる里歩きでもある。8000mの高峰を眺めるのは、ネパールの古い村々から、山里の段々畑から、深い谷にかかる吊り橋の上からであることも多い。そこで垣間見るネパールの人々の暮らしは、自分が生まれ育った昔の日本の情景を彷彿とさせる。人々の暮らしに触れるホームステイに、トレッキングの最後、ダディン県パトレ村を選んだ。去年のトレッキングでお世話になったガイドのディリさんの奥さんの実家である。
 アンナプルナトレッキングを終え、ポカラを出発。ポカラ・カトマンドゥ間の主要道路からさらに1時間、細く入り組んだ山道を車で行き、その道路の終点からはさらに10km、乾いた赤土の山道を歩いてようやくたどり着いたパトレの村。待ち受けてくれた村の人々、そしてその彼らの暮らしについて皆さんに紹介いたします。

また村の小学校を訪ね、ネパールの農村に暮らす子供達に
「アトピー性皮膚炎はあるのか?」

について調査を行いましたので、その結果も合わせて紹介いたします。


c0219616_21174130.jpgパトレ村は乾いた赤土の畑にバナナの木が茂り、民家の壁は赤土で塗られていた。









私たちは、村の入口で村長さんはじめ多くの人たちの出迎えを受け、若い女性からブーゲンビリアの首飾りをつけてもらった。
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丘の上からパトレ村を見下ろす。村の総戸数は約50戸、200人が暮らす。最近では一家ごとカトマンドゥに引っ越してしまった家族もあり、空き家も生じているとのこと。日本の農村と同じことがネパールでも起こり始めている。

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ほとんどの民家は赤壁に青い柱で縁取りがされており、なかなか美しい。庭先は農作業場、1階では牛、山羊、ニワトリが飼われていた。
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薪はネパールの人々の生活になくてはならないもの。どこを旅してもこうして薪を担ぐ人々を見かける。たいていは女性か、子供である。







村に、下水・上水設備はなく、昨年トイレ掃除や洗濯に使える水の供給設備を完成させたが、飲水用、料理用には使えない。飲水はもっぱら近くの谷にわき出る水が供給源で、村人はかめを持って水汲みに行く。電気は24時間ではないが、小型の水力発電機で供給されている。しかし電灯のみで、そのほかの電化製品はない。燃料はすべて薪であり、家の周りには1年分の薪が積まれている。
c0219616_1041489.jpg私たちには沸かした水を提供してくれた。貴重な水であり、まず左の手のひらを上手にまるめ、そこに水をとり、右手、顔の順番に洗う。






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台所兼食堂兼居間
食事中とつぜん牛の鳴き声が聞こえて驚いたが、階下は牛小屋となっている。
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薪を使って調理。火を燃やすのはこの場所だけで、冬はここで暖をとるとのこと。
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家の周りに積まれた薪。村が所有する山から、年に一度だけ伐りだしてくるのだそうだ。
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食事は基本的に「ダルバート」。「ダル」は豆スープ、「バート」はご飯。これに「アチャ」と呼ばれる漬物・野菜のお皿が数種類。野菜は豊富であるが、タンパク質は少ない様子。私たちのためには、1羽の鶏がしめられていた。申し訳ない。

ちなみに、ネパールについて(Wikipediaから引用)

正式名称は、ネパール連邦民主共和国 संघीय लोकतान्त्रिक गणतन्त्र नेपाल 。
面積は140,800km²
本州を除いた日本(北海道+九州+四国)にほぼ等しい。

人口 29,519,114人(2008年推計)

人口密度 209.65人/km²

年齢別人口構成
0-14歳: 38%
15-64歳: 58.2%
65歳以上: 3.8%(2008年推計)

平均年齢
全体: 20.7歳
男性: 20.5歳
女性: 20.8歳(2008年推計)

ネパールの経済状況
2011年のネパールのGDPは185億ドルであり、鳥取県より小さい経済規模である。一人当たりのGDPは652ドルであり、非常に低い水準である。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は2200万人と推定されており、国民の70%を超えている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国に分類されている

訪れたパトレ村の産業は農業のみであり、ほぼ自給自足で現金収入はごく限られたものと推測された。現金収入を得るには、都市に出ざるをえず、カトマンドゥに人口が集中するようになった。しかしカトマンドゥでも就労の門は厳しく、スラム街が形成されている。私たちがお世話になったホームステイは、現村長と、村出身のガイドであるピタンバル氏の協力で実現されるようになったもので、村おこしとして期待されている。村を挙げての歓待はそんな事情もあるのだろう。

ネパールの子どもたちに、アトピー性皮膚炎はあるか?

ネパールの教育事情は?

識字率:48.6%。
(15歳以上で読み書きできる人の割合)
うち男性 :62.7%
うち女性 :34.9%
(2001年国勢調査)

c0219616_12553289.jpg私たちはパトレ村小学校を訪ねた。c0219616_1257138.jpg













校舎の壁には、この学校が日本のNPOの協力のもとに設立されたことを顕すプレートが、飾られていた。
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全校生徒は約80人、1年生から10年生まで(5歳~15歳)。5歳未満の幼稚園も併設されている。パトレ村近隣の村からも児童・生徒が集まっているとのこと。
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最上級生の授業を聴講させてもらった。すべてネパール語で授業は進み、さっぱり理解できなかったが、どうやらネパールの歴史について学んでいたようだ。
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副校長、PTA会長の同意をいただき、1年生クラスと、保育園クラスの全員について、皮膚の健康調査を行った。c0219616_1381852.jpg



















その結果、
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(首、肘の湿疹はこの年代のアトピー性皮膚炎では必発症状)

この結果に対し、次のように考えました。
観察数は少ないが、
①アトピー性皮膚炎症状を持つ児童はいない。
②鼻汁を出している児童の割合が高く、衛生状況の悪さが推測される。
③はたけ(単純性粃糠疹)は、乾燥肌・日焼け肌をもとに常在菌が原因となって生じると考えられている。
④「鼻汁」(気道感染)、「はたけ」(常在菌)が免疫力を高めており、以前から指摘されているアトピー性皮膚炎の発症原因「衛生仮説」が実証された!?
⑤教師・保護者からの聴取では、「風呂はもちろん皆無、水浴びも夏で月に1~2回程度、冬はしない。石鹸はまれにしか使わない」のが子供たちの常であり、日本の子供たちの衛生環境とは大きく異なることが分かった。
⑥日本では「大人たちも子供たちも、皮膚を、体をきれいにし過ぎる」ことがアトピー性皮膚炎の原因となっているのではなかろうか。

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鼻汁とはたけc0219616_1344102.jpg

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ホームステイの家の洗い場の石鹸。オレンジ色は洗濯用、白が人用であり、頭も、体も、手もこれだけ。日本の石鹸、シャンプーの氾濫のほうがむしろ異常のように思える。






3日目の夜、ホームステイの家の庭には、多くの村人が集まってきた。もしかすると村人全員だったかも知れない。子供たちも、女たちも、若者たちも、みんなが太鼓に合わせて唄い、踊り、笑った。私はロキシー(ネパールの手製焼酎)に酔い痴れた。翌朝、また多くの村人に送られながら、パトレ村をあとにした。
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c0219616_1474415.jpg正直、私たちに3日間の村の生活は厳しかった。山のトレッキング生活のほうがむしろ快適であったように思う。それは欧米人・日本人向けに商業化されたトレッキングルート、ロッジだからなのだろう。




ネパールの人々の暮らしは、私が過ごした50年以上前の日本の暮らし・風景に通じるものがある。しかし、そのころの日本はもっと希望に満ちあふれ、年々、どんどんと生活は快適に楽になっていった。今のネパールでは未来への期待感が少ない。資源・産業の乏しさに加え、政治の混乱がネパールの発展を妨げているように思う。未来のネパールがどこに向かうのか。欧米型の近代社会がかならずしも正しいとは言えない。ネパールの未来の子供たちは薪を背負い続けるのか、それとも・・・・・・・・・・
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by kobayashi-skin-c | 2013-07-23 21:22 | 「皮膚の健康教室」抄録 | Comments(0)
2013年6月 June, 2013 思い出を刻む芦別岳 Memories of Mt Ashibetsu
北海道の山は素晴らしい。大雪の山々をはじめどちらかと言うと女性的でなだらかな山容が多いのだが、芦別岳はアルプス的な岩山で、多くの人を魅了する。本格的な岩稜に挑むクライマーの姿をみることもある。そんな芦別岳に、雪が残る初夏、日帰りの山行をこころみた。数えてみると、もう6回目の芦別岳だ。その思い出を画像でたどってみた。

麓から見る芦別岳。その山容を見るだけでもわくわくする。2011年10月錦秋の頃、この時は上部の積雪量が多く途中で引き返した。
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2013年6月30日 快晴の日曜日、札幌を5:00amに出発し、7:30am新道登山口から入山した。針葉樹の深い森の中、初っ端から急勾配の山道に息が切れる(「呻吟坂」と名付けられている)。やがて鴬谷、そして半面山。ここから初めて芦別岳の頂を望むことができる。
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1972年6月上旬、初めての芦別岳、同じ半面山から
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2013年6月30日 残雪が多く雪渓を登った(下りでは尻滑りをたのしむことができた)
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2013年6月30日 頂上を眼前に望む雲取山から。
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2009年6月、次男と一緒に。
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1972年6月、初めての時。
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2006年10月、こんな霧氷の時にも登った。
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2005年10月、東尾根(旧道)から山頂を望む(北海道の「マッターホルン」はちょっと言い過ぎ?)
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2009年の山頂
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そして今回2013年の山頂。家内にとって芦別岳初登頂であった。
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今回の天気がもっとも素晴らしかっただろう。旭岳からトムラウシまで、そしてさらに十勝岳、富良野岳へと大雪・十勝連峰の全貌が、そして真っ白な暑寒別の山々、さらに札幌方面の山々、遠くに羊蹄山、指呼の間に夕張岳があり、そして日高山脈が北から南まで頂を連ねていた。家内は「一生で最初で最後の芦別岳」と言うが、私はやめられそうもない。
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by kobayashi-skin-c | 2013-07-03 11:03 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)