<   2014年 11月 ( 11 )   > この月の画像一覧
2014年9月 ムスタン巡礼の旅(後篇)
c0219616_194214.jpg


旅を続ける(「ムスタン巡礼の旅(前篇)」から)。

Day 7th (9/17)  ダクマール(3820m)からツァーラン(3560m)へ。

ツァーランでは、寺院(ゴンパ)と王城(ムスタン王の夏の別荘)を訪ねた。

ところで今回のムスタントレッキング、ローマンタンへの旅には、建築家の楜沢先生を団長として、先生の山の友人・仲間たち、そしてナウリコット村でこども達と一緒に絵を描くグループ(ネパール児童絵画教育プロジェクト)の仲間たちが集まった。私たちは「この旅をたまたま知った」いわばよそ者であったが、グループの皆さまにたいへん暖かく迎えていただき、実に楽しい旅の時を過ごすことができた。そして何より、この旅を支えてくださったのが、タサンビレッジオーナーのアルジュン・トラチャンさんと、そしてロイヤル・ムスタン・エクスカーション Royal Mustang Excursion, LTD 社長のジグメ・センゲ・ビスタさんである。楜沢先生、アルジュンさん、ジグメさんの三人にはたいへん密接なつながりがあり、このお二人のサポートにより、さらに私たちの旅は快適で充実したものとなった。
 冒頭の写真は、現ムスタン国、ジグメ・パルバル・ビスタ国王肖像(前出の「ムスタン 曼荼羅の旅」の写真に国王からサインをいただいたもの)である。ツアーをサポートしてくれたジグメさんはその国王の息子であり、本来ならばムスタン国の次期国王である。実は「ジグメ・ビスタ殿下」なのだ。しかし、ムスタン国の自治権は現国王限りであり、現国王の死去とともにムスタン国は消滅する。だから、ジグメさんは自国の人達の雇用の確保、ビジネス創出のために、先を見越してトレッキング会社を作った。皇子直々だから、会社の名は”Royal”なのだ。そのジグメさんが私たちに同行しているので、旅の行く先々で私たちは歓待を受けることとなった。ただし、地元の人々が歓待しているのはジグメさんであって、お茶の接待を受ける時も、食事の時も、ジグメさんの座る席、茶器は、特別のものであった。私たちはその「おこぼれに与った」、という次第である。
 たとえば、格式の高いツァーラン・ゴンパ(寺院)において、僧院長自らが私たちを案内し、茶が振舞われ、そして一般人が立ち入ることができない王宮にも特別の許可で見学に入ることができた。

しかし、ゴンパも一時はムスタン最大を誇っていたとのことであるが、今は僧侶の数も少なく、少年僧たちがわずかに勉強に励んでいたのが印象的だった。
c0219616_14272032.jpg
c0219616_14255941.jpg


c0219616_1426439.jpg
王宮はすでに半ば廃墟と化し、宝物殿(セルカン)の中もほこりだらけで、大切な仏教典をおさめる木の棚も朽ちていた。印象的であったのは、その宝物殿の中にミイラと化した人の手が陳列してあったこと。一説には「雪男の手」とも言われるらしいが、「刑罰で切り落とされた盗賊の手」であるらしい。ムスタンの文化遺産は、ほこりや湿気に晒されていると同時に、盗難の危険にも常に晒されている。どこの国においても、有名な絵画・彫刻などは厳しく写真撮影が禁じられている。それはフラッシュの光による傷が懸念されているからなのだが、ここムスタンでは、撮影された写真が公表されることにより盗難を誘発するから、だそうだ。ツァーラン・ゴンパ(寺院)の壁一面には、「マンダラ(曼荼羅)」が描かれていた。壁画はことのほか美しく写真に残したかった。こっそりとヘッドランプで照らして撮影した。
c0219616_14285759.jpg
c0219616_14301657.jpg


ゴンパと王宮は深い谷の上に築かれているのだが、その向こうには幾年月の時が刻んだ、仏像とも神像とも見える無数の岩の造形が立ち並んでいた。古の人々も自然の造形に祈りをささげたに違いない。
c0219616_14305774.jpg


今夜の野営地の天井にも無数の星々がきらめいていた。あまりにも星の数が多すぎるので、星座を認識することができなかった。


Day 8th (9/18) ツァーラン(3560m)→ローゲカル(3920m)→チョゴ・ラ(峠)(4230m)→ローマンタン(3840m)

この日も快晴。真っ青な青空の下で、馬旅の3日目が始まった。乗る馬はずっと同じ。一度慣れた馬で続けなくてはならない、のだそうだ。私の愛馬は薄茶色(ベージュ)のきれいな馬体。性格は負けず嫌い!きつい登り坂では、「とにかく他の馬に負けたくない」ようで、前の馬を追い越そうとして道をはずれる。細い山道の崖のようなところではひやひやである。今日はまずローゲカルを目指した。
c0219616_14325182.jpg
c0219616_14343033.jpg


ローゲカルには由緒あるローゲカル・ゴンパがある。紀元8世紀、インドからチベットに仏教を最初に伝えたパドマサンヴァが、お告げによってこの寺院を建立した。以後、多くの巡礼者がパドマサンヴァの霊感を受けつぎながら、この寺院で瞑想にふけっているという。私たちもこの寺院の内院を訪ねるとともに、周囲を歩いてめぐった。なんだか恍惚とした気分となった。霊感なのか、3920mの酸素不足なのか。
c0219616_1435114.jpg
c0219616_14352440.jpg
c0219616_14355467.jpg
c0219616_14361574.jpg


ローゲカルの寺院を辞し、チョゴ・ラ(峠、4230m)を目指した。
わが愛馬と目指すチョゴ・ラ。
c0219616_1437661.jpg


峠頂上目前の草原でランチの時を楽しんだ。馬の鞍に敷いてあった座布団を草の上に置き、チャパティやカレー風味のジャガイモを食べ、寝転がったり、散歩したり、思い思いに秋の高原の陽射しを満喫した。馬子達もゆっくりと寛いでいた。
c0219616_14392154.jpg
c0219616_14385416.jpg


峠の草むらの中に、リンドウや菊の花の仲間か、日本では見ることができない花々を楽しむことができた。
c0219616_14392568.jpg
c0219616_14395874.jpg
c0219616_14403639.jpg


チョゴ・ラは標高4000mを超える。しかし、馬に乗って登ってきたせいか、息苦しさをほとんど感じない。
c0219616_14412060.jpg
峠の頂上からは馬を下りて、乾燥した草原の中を、ローマンタン目指してゆるやかに下っていった。
c0219616_1443164.jpg
時おり野生馬の群れをみつけた。ムスタンは英語でmustang = 野生馬だ(フォード"ムスタング“をご存知か、そのエンブレムは野生馬)。
c0219616_14435327.jpg

しばらく行ったところで、前方に広々とした畑に囲まれる王城を認めた。目指すローマンタンがいよいよ眼前に現れた。
c0219616_1444126.jpg
c0219616_1446154.jpg


ローマンタンは、10mもあろうかと思われる城壁に囲まれた王城都市。美しい。
c0219616_14462372.jpg
c0219616_14465118.jpg
c0219616_15202890.jpg


この城壁の中に200戸の家が密集し、約1000人の人が暮らしている。王城を前に全員が騎乗し、馬上からムスタンの都に入城した。ただし、外国人は王城の中に滞在することはできないので、城外の南側のロッジとキャンプ地に野営した。キャンプの隣では、麦の穂が金色に輝いていた。
c0219616_14482142.jpg
c0219616_14484429.jpg



Day 9th (9/19) ローマンタン滞在。

午前中は、王城の中へ。城壁にただ1ヶ所ある北城門から入城する。
c0219616_14495886.jpg
迷路のように道が入り組み、その中に人々が暮らす。
c0219616_14503466.jpg
まずチョエデ・ゴンパ(寺院)を訪ねた。私たちが着くときを見計らっていたのか、数十人の少年僧たちが整列し、いっせいにお経を唱えていた。こんな盛大なお経の斉唱を経験したことはない。何を祈っているのか、何を讃えているのか知る由もないが、子供たちの祈りの声は清々しく心に吹き込んできた。眼に涙が溢れる。
c0219616_14511393.jpg

子供たちはネパール全土から選ばれ、この僧院で集団生活を送りながら、仏教を学ぶ。この中から将来、教祖も生まれるのかもしれない。ジグメさんの息子もこの僧院から旅立ち、リンボチェ(大僧正)になるべく今インドで修行中とのことである。
c0219616_14513228.jpg


チョエデ・ゴンパに続き、チャムバ・ラカン、トゥプチェ・ラカンを訪れた。二つの寺院ともに、内部の荒廃に心を痛めた。ここにも地球温暖化の波が押し寄せ、ムスタンでは予期されなかった降雨が、雨への防御がない寺の内裏を傷めているらしい。とりわけ曼荼羅の壁画の劣化が著しい。その道の専門家による保存活動を一刻も早く始めてほしい。
c0219616_1452816.jpg
c0219616_14523120.jpg


午後は、ローマンタンの王城を見下ろす小高い丘に登った。その美しさは映像でしか伝えることができないだろう。いや、写真の映像からだけでは自分の心の印画紙を表現することは不可能だろう。それだけ、鮮やかなまでに網膜に、脳裏に焼き付けられた光景だった。
c0219616_14545827.jpg



Day 10th (9/20) ローマンタンの町からジョン・ケイブ、石窟寺院(ニプ・ゴンパ)へ。

今日はふたたび馬旅となったが、当初と違い馬への恐怖心も消え、緊張から開放され余裕を持って、馬上からの眺めを楽しむことができるようになってきた。北へと進む道はチベットへとつながり、国境のチェックポイントももう目とはなの先とのこと。
c0219616_1456325.jpg
草木は消えて、黄色~赤色の砂山、岩山がえんえんと連なる。
c0219616_14571448.jpg
ジョン・ケーブは数世紀前の横穴住居を保存したもので、数層に掘られた住居跡には、竃があったり、その天井はススに覆われていたり、まぎれもなく人が暮らした痕跡が残されていた。
c0219616_14574676.jpg
c0219616_1458191.jpg


ニプ(太陽の洞窟の意)・ゴンパは岩山の中腹に掘られた洞窟と赤い建物でできた寺院。由緒は旧く、ムスタン初代王アマパル王の孫であるアングンサンポ(三代目国王)の兄弟が15世紀に開山した。シャカムニが本尊として飾られていた。
c0219616_14591690.jpg
この寺院も内部はホコリに覆われ、ムスタンのこうした寺院遺跡・文化遺跡の保存をどうしたらよいのか考えさせられた。他のネパール国内のトレッキングコース(エベレスト、アンナプルナ方面など)に比べると、近年増えつつあるとはいえ、ムスタンへのトレッカーの数は圧倒的に少ない。それも欧米人がほとんどであり、彼らは寺院遺跡にはあまり興味を持たない。この保存活動にはよほど日本がかかわっていかねばならない。ゴンパのそばにあったバッティで持参した弁当を広げ、そして再び馬に乗りローマンタンに引き返した。愛馬とはこれでお別れである。鬣と首を何度もなでながら、彼(オスは間違いない)の労をねぎらった。
c0219616_14595595.jpg


ローマンタンに帰着したのち、王城内のチョエデ・ゴンパにあった博物館を再度訪れ、気に入っていた曼荼羅図(タンカ)を購入した。購入したタンカはオレンジ色を基調として、シャカムニの生涯が細密に描かれた曼荼羅であり、寺院内の僧侶が描いたもの。購入費は寺院の保存活動に充てられると聞いた。少しはお役に立てただろうか。
c0219616_15232170.jpg


ローマンタン最後の夜、王宮の晩餐に招かれた。国王ご夫妻が中心に座り、私たち一同もお二人を取り囲むように座った。山羊肉の入ったチベット風餃子、山羊の血のソーセージ(フランスで食べた「ブータン・ノワール」とまったく同じ味)、ヤクのお肉など、日本では味わうことができない料理をいただいた。そして何より、王妃様自らが作られたという「チャン(稗から作られたどぶろく)」、「ロキシ(チャンを蒸留した焼酎)」がたまらなく美味しかった。晩餐の最後には、私たち一人ひとりに、カタ(祈祷のマフラー)が授けられ、女性にはカシミアのマフラー、男性にはRoyal Mustang Excursionのロゴが入ったTシャツが与えられた。


Day 11th (9/21) ローマンタン→ジョムソム

ローマンタンにお別れである。朝食を食べた後、今回の旅を支えてくれたジグメさん、そしてそのスタッフ(食事、テント、馬子)に別れを告げた。10日間の旅路で思い出深いスタッフばかりである。食事は私たち日本人の舌に合うように、お粥が毎朝供されたり、味付も香辛料の強さを少し抑えて無理なく食べることができた。テントスタッフは毎日私たちに先行して目的地でテント設営を行い、毎朝「モーニングティー」、「ホットウォーター」と声をかけてくれた。馬子たちは私たちの馬旅の安全を細心の注意で見守ってくれた。感謝に耐えない。
この日は全員がジープに乗り込み、ジープで一気にジョムソムまで駆け下った。崖道でジープのパンクがあったり、カリ・ガンダキ河岸を歩く途中砂嵐にあったりと冒険もあったが、無事にジョムソムまで予定通りに辿り着くことができた(予定通りというよりも、実はムスタンツアーの後にエベレストトレッキングを予定していた私たちのために、飛行機欠航の可能性を考慮して一日短縮してのスケジュールに変更してくださった)。
アンナプルナとニルギリの雪嶺を望みながら、このムスタン巡礼の感動の数々を、チベットの神様(仏様)に感謝した。

c0219616_1513376.jpg
左から、真っ白な斜面のアンナプルナⅠ峰(8091m)、ドーム状のトロン・ピーク(6484m、10月14日の雪崩で多くのガイド・ポーター・トレッカーの命を奪った事故はこの麓で起こった)、ニルギリ北峰(7061m)。

c0219616_1521239.jpg
ジョムソムの村から望む夕焼のニルギリ


Day 12th (9/22) ジョムソム→ポカラ→カトマンドゥ

晴天の朝を迎え、ジョムソムからポカラへの飛行は順調であった。
c0219616_1525713.jpg

途中ダウラギリⅠ峰(8167m)のダイナミックな山容を、機長の頭越に望むことができた。
c0219616_1533737.jpg


ポカラ空港ではアンナプルナ山群の全貌がくっきりと見えていた。左からアンナプルナ・サウス(7219m)、アンナプルナⅠ峰(8091m)、マチャプチャレ(6993m)、アンナプルナⅢ(7555m)
c0219616_1535729.jpg


カトマンドゥに無事到着した後、日が暮れるころ、ボーダナートを訪れた。
c0219616_1542720.jpg


ムスタン巡礼の旅の最後を、どうしてもここで締めくくりたかったからである。ボーダナートには世界最大の仏塔がある。この大きな仏塔の周りを四重にも五重にも人々がグルグルと歩いている。私たちも皆と同じように右周りで何周も回った。半数は僧衣をまとった巡礼者、半数は私たちのような観光客。五体投地で回る人もいる。雑踏の中にいながら不思議と静謐な心持ちとなっていた。ひんやりとした空気、どこからともなく聞こえる読経の祈り、奏でられるラッパの響き、線香のにおい、バター油蝋燭の煙が身を包む。
c0219616_1551874.jpg
c0219616_1554255.jpg


c0219616_156121.jpg

仏塔に向かってたくさんのお祈りをした。
[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-22 14:10 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年10月 不思議な雲、そして手稲山初冠雪 October, 2014 "Clouds, Snow"
10月26日、冬の気配が漂い始めたこの日、夕陽とともに奇妙な雲が西の空に現れた。
c0219616_144686.jpg
c0219616_14461411.jpg
c0219616_14464265.jpg


そしてその2日後、手稲山の初冠雪を迎えた。
c0219616_14472711.jpg

[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-16 14:47 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年10月 北大キャンパス紅葉 2014 October "Autumn color in Hokkaido University"
ネパールから帰国したころ、北海道大学のキャンパスは美しい紅葉の季節を迎えていた。
c0219616_14343488.jpg
c0219616_14351248.jpg
c0219616_14355659.jpg
c0219616_14361423.jpg


つたの紅葉も美しい。とりわけレンガ造りの総合博物館(旧理学部)を覆うつたの紅葉は風情がある。
c0219616_1438926.jpg
c0219616_14383980.jpg


10月22日には初霜を迎えた。キタキツネの一家もこれからの冬を前に、一生懸命にエサを探しているようであった。
c0219616_14411512.jpg

[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-16 14:41 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年9月 ムスタン巡礼の旅(前篇)
c0219616_18512899.jpg

ネパール・チベット国境に「ムスタン」という国がある。昨年の春、ムクチナートからアンナプルナベースキャンプに向かう途中、「ムスタン」へ行く計画があることを知らされた。「ムスタン」のことは何も知らないが、一にも二にも「行きたい」と強く思った。

ムスタンは今もネパール国(共和国)から認められた半独立・自治国家である。都は、ローマンタン。チベットと国境を接し、チベットが急速に中国化される情勢にあって、今もチベット文化、とりわけチベット仏教への敬虔な祈りが途絶えない、秘められた世界が残っている。多くの人々がムスタンに魅了され、徒歩で、騎乗で(いまはジープも)ムスタンを訪れる。世界にいち早くこのムスタンを訪ねたのが、仏教経典を捜し求めて入境した日本人、河口慧海である。

『ムスタンは何世紀もの間、独立の王国であった。この国は、北のチベット文化圏と南のインド文化圏とを結ぶヒマラヤ交易路によって栄えていた。カリ・ガンダキとその支流が形成した広大な河谷の中には、古くからチベット高原とネパール・インドとを結ぶ道が開け、人と物資と情報の往来があった。地勢上、周囲から隔絶されて独立性が強く、しかも政治的な理由から長らく外国人の立ち入りが禁じられていたためであろう。ムスタンにはチベット仏教を基盤とするヒマラヤの伝統文化が、まるでタイムカプセルのように残されている。(中略)、ムスタンの旅を、私たちは密かに「マンダラ(曼荼羅)・トレッキング」と呼んでいる。こう呼ぶのは、それがすばらしいマンダラに出会える山の旅であるからばかりではない。この旅そのものが大きなマンダラの中を巡礼するような体験であるからだ。』(ムスタン 曼荼羅の旅、写真 松井 亮、文 奥山直司、中央公論新社)

いささか前段が長くなってしまったが、さらに映像なしの独白が続く。抱腹絶倒、涙、涙のムスタン、ローマンタンへの旅にご一緒あれ。

Day 1st (09/11)札幌→成田→インド・デリーが今日の予定であったが、札幌は昨夜来の大雨。早朝の札幌駅に着くと、「千歳線全線不通」の掲示。やむなくタクシーに乗ったものの、空港ターミナル直前のアンダーパスが冠水で不通。Uターンして、苫小牧側の空港道路を目指すが、この道路もターミナルまで1.5kmのところで冠水・不通。「まさか!」。タクシーを降ろされた。土砂降りの雨の中を大急ぎで歩いた。ターミナルに到着した時は出発予定時刻をとうに過ぎていたが、新千歳空港自体が大雨のため閉鎖されていたので、成田便は大幅に遅れて出発した。3時間遅れで成田に到着し、デリー便まではもう15分程度の乗換え時間しかない。「きっと、待機しているJALの地上係員が私たちを大急ぎで国際線搭乗口まで案内してくれる」と期待し、飛行機を降りた。案の定JALの地上係員が「小林様」のプラカードを提げて待機していた。ところが彼女の口から出た言葉は、「デリー行きはもう間に合いません。本日のホテルと明日のデリー行きを予約させていただいております」であった。「どうしても乗らなくては、これからの旅程がすべてキャンセルされてしまう。なんとしても今日のデリー行きに搭乗するのだ。飛行機に待つように、あなたは連絡してください!」と地上係員に言い放ち、衣子とともに全力で走り始めた。成田空港の国内線ターミナルから国際線ターミナルへ、そして手荷物検査、出国手続きへとひたすら走りに走った。女性のJAL地上係員はなんと!、ハイヒールで私たちをぴったりと追いかけ、「小林様、小林様、本日は無理です。お止まりください、お止まりください、小林さま~」と何度も叫びながらついてくる。「なんとしても乗る。飛行機に待つように、そして預けた荷物をうつしかえるように連絡してくれ」と言いながら、「小林様、小林様、お待ちください、お止まりください」の連呼を振り切り、ついに出国手続きも終え、デリー行き搭乗口に着いた。「飛行機はまだいるではないか!間に合った」と思ったが、ロビーにはJAL地上係員以外もうだれもいない。そして搭乗ゲートの係員は「搭乗手続きはすべて終了です。お乗りいただけません」と断固言い放った。「まだ飛行機はいるではないか、機長に連絡を取ってみてくれ。何とか乗せてくれ」と懇願し、二度までも電話で機長に連絡を取らせたが、結局、飛行機はするすると動き始めた。「万事休す」。
 「世界の航空会社で一番時間に正確なJAL」のポスターが貼ってある。「悪天候でほんの5分か10分遅れた客の便宜も考えない、その冷酷さが『世界一』なのだ!」とか、「もうJALなんか使うものか!」とか、悪態をついた気がする。さて、これからどうすべきか。
とりあえず、再度日本国に戻らなければならないらしい。一度出国手続きをすると再入国はけっこう面倒なのか、時間がかかる。一日遅れのスケジュールに変えなくてはならない。変更すべき事柄を考え、連絡先を思案していた。するとJALの係員から「夕方出発のシンガポール行きにお乗りいただき、深夜のシンガポール発デリー行きに乗り換えますと、明朝旅程どおりにデリー・カトマンドゥ便にお乗り継ぎできます」とのこと。「地獄に仏」とはこのことか。今までの悪態を深く詫びた。親切なJAL係員に深々とお礼をし、意気揚々と再び出国ゲートへと向かった。

Day 2nd (9/12)早朝定刻どおりデリー空港着。相変わらず、この空港の国際線乗継ぎ手続きは面倒である。それでも定刻どおりインド航空カトマンドゥ行きに乗り込み、途中ヒマラヤの白い峰々を望みながら、カトマンドゥ・トリプヴァン国際空港に着陸した。そして相変わらずのおんぼろバスに乗り、相変わらずの古びたターミナルを歩き、相変わらずの長蛇の入国ビザ申請に並んだ。そして結局のところ、まったくの予定どおりに、相変わらずの雑踏と排気ガスがたちこめる混沌の街カトマンドゥの訪問者となっていた。
 我々に続いて、今回のムスタントレッキングに参加するメンバー全員がサンセット・ビュー・ホテルに到着し、ロビーを使ってオリエンテーションがあった。ここで判明したのは、今日の午前中のうちに到着していなければ、ムスタン入国の特別許可証をパスポート無しでは取得できなかったということ。つまり、成田に一泊し翌日の飛行機でネパールに向かっていたなら、ムスタンツアーは参加できなかったということである。ここで得た教訓は、「決して諦めるな。自らの判断で最善を尽くすべし」。走って走って、悪態もついた。その努力がシンガポール経由につながったと思う。もちろんJALの方々の暖かい協力があったからこそではあるが。

Day 3rd (9/13)カトマンドゥからポカラへ。
早朝の飛行機で移動。途中、ランタン、ガーネッシュ、マナスルの白いヒマラヤの頂が雲の上に顔を出していたが、アンナプルナの峰々は雲に隠れ、望むことはできなかった。ポカラでは山岳博物館、フェワ湖畔の見物をしてのんびり過ごす。モナリザホテルの夕食が美味しかった。タカリー族風の「ダルバート・タルカリー」である。

Day 4th (9/14)この日は早朝のフライトで、ポカラからジョムソムに飛び、ジョムソムからトレッキングツアーを開始する予定であった。朝4時半に起床し、5時過ぎにはポカラ空港へと向かった。ポカラ・ジョムソム間のフライトは気象条件に大きく左右され、天候が安定している早朝のフライトが確実なためである。ところがこの日、ポカラには低い雲がたれこめていた。アンナプルナの峰々も黒い雲に覆われ、飛行機が飛び立つ雰囲気はまったくない。1便が飛び立つ予定の6時となってもまったくその気配なし。8時を過ぎるころやっと手続きが始まった。我われトレッキングツアーの一行は、1便と2便に振り分けられて、各々に搭乗券が手渡された。すぐにでも出発するのかと思ったら、さらに待たされて待たされて10時。やっとのことで飛行機に乗り込むことができた。20人にも満たない座席数の、上翼のプロペラ機。2年前にもジョムソム空港で着陸に失敗した事故で、日本人2名が亡くなっているいわくつきの路線であるが、天候が良ければアンナプルナ、ダウラギリ、それにニルギリの各連峰を望みながらのフライトだ。しかし今日は離陸して上昇しても、山は何も見えない。有視界飛行であるので厚い雲を避けながら飛んでいく。離陸して20分も飛行したころ、機は左に大きく旋回し高度を上げ始めた。「おかしい」。通常の飛行経路ではありえない。しばらくするとまた大きく旋回。そして機長から「ポカラへ引き返す」と告げられた。ポカラ空港にガックリと首をうなだれて帰還。
 旅程は大きく変更され、ポカラからジープでトレッキングツアーを開始することとなった。今日の目的地はあのタサンビレッジとなった。あの大好きな、ヒマラヤに惚れるきっかけとなったところ。異論はない。これから向かう悪路のジョムソム街道のことも分かっているが、それに代えても大好きな場所である。
 ポカラ空港に3台のジープが準備された。天井に高々と皆の荷物をくくりつけ分乗。11時半にポカラ空港を出発した。そしてポカラの町を抜けていこうとした矢先、我々が乗ったジープは給油に立ち寄り、そのまま何も告げられぬままじっと動こうとしなくなった。「どうして?」。たどたどしい互いの英語で運転手と交わした会話の結果、「3台のジープのうちの1台が故障して立ち往生」らしいことが分かった。引き返して脇道に入ったところに、同行のジープが1台、数人の男達に囲まれていた。修理らしい、ことが行われている。

当り前ながら「時間がかかりそうだ」。その近くを散歩することとした。少し坂を登ったところに、ヒンドゥー教のお寺があった。そして初めてのガート(火葬)に出会った。

c0219616_1915614.jpg
c0219616_1942133.jpg
荼毘にふされた遺体は川に流される。ヒマラヤから流れ落ちるこの急流もやがては「ガンガー」に注ぐ。ガンガーとは、聖なる大河ガンジス川のこと。ヒンドゥー教徒にとっても、仏教徒にとっても、死後の世界が「ガンガー」の向こうに存在する。黄泉の国にこの急流を経て旅立つのだ。ガートを見つめながら、「今ここにいるネパールの人々のほうが、私よりもずっと黄泉の国に近いのだ」と実感した。

故障した車は結局、再起不能。代わりのジープがポカラの町から到着し、なんとかトレッキングツアーは再開した。ジョムソム街道をジープで北上。バグルン、ベニの町を過ぎ、名だたる悪路へと進んでいった。
どれぐらい悪路かと言うと、滝が道へ、道が滝へ?100メートル以上の落差はあろうかという滝の激流が、道路に流れ込んでいた。ジープは果敢にもその激流を乗り切った。
c0219616_1961934.jpg

悪路を乗り切り、すっかり日が暮れてからタサンビレッジに到着。今日の飛行機欠航で変更となった旅程について全員で確認しあった。このムスタントレッキングツアーは、タサンビレッジを設計した楜沢先生を中心に、タサンビレッジを拠点としたNPO活動に協力されている人々が主なメンバーである。総勢13名。
そう、昨年ここでムスタンの旅のことを知ったのだ。
c0219616_197273.jpg


Day 5th (9/15)タサンビレッジ→マルファ→ジョムソム(2720m)→カグベニ(2740m)→チュサン(2980m)
翌朝5:30、朱色に染まる朝焼けのダウラギリⅠ峰(8167m)を望んだ。
c0219616_1971032.jpg


ダウラギリの麓、ナウリコット村には薄紅色の畑が広がっていた。赤い花のそば畑だ。美しい。
眼下をカリ・ガンダキが流れる。
c0219616_22403879.jpg
c0219616_22423164.jpg
c0219616_22431797.jpg

美味しいタサンビレッジの朝食をいただき、トレッキングツアーへとジープに分乗しまた出発した。途中マルファの村に立ち寄った。赤いリンゴがたわわに実っていた。白壁の町並みが美しい。この村にはチベットへと旅立つ河口慧海が数ヶ月滞在した。その逗留址が今も保存されている。
c0219616_22435799.jpg

ジョムソムはアッパームスタンへの入口。ここでジョムソム街道は、カリ・ガンダキ支流で分断され、しばらく徒歩での旅となる。
c0219616_22445025.jpg

ふたたびジープでカリ・ガンダキに沿って北上する。エクレバッティ、カグベニを通り過ぎる。
c0219616_22451516.jpg

景色は一変し、草木が育たぬ乾燥地帯へと入った。自分が知るネパールではない。ヒマラヤでもない。「チベット」だ。
c0219616_10181634.jpg
c0219616_10213330.jpg

カリ・ガンダキの辺に緑の畑が広がるチュサンの町に入った。リンゴ畑とそば畑が美しい。
c0219616_10205892.jpg

我々に先行するトレッキングスタッフが、町外れのリンゴ畑にテントをすでに設営してあった。ここからは、テントトレッキングの始まり。
c0219616_10244289.jpg

午後はチュサンの町を散策した。まさに「hidden city」。中世の町並の中に入る。迷路のような道の両脇に数層(4~5階)建ての泥壁の住居。上ではそれぞれの建物が結ばれている。日本の建物と違って傾斜した屋根はない。平らの屋上には薪が積み上げられている。雨が降らないので屋根は必要ない。冬はすごく寒く、薪は容易に手に入らないため、身近なところに保管されているのだそうだ。ところが最近の地球温暖化でムスタン地方でも降雨をみるようになり、浸み込む雨水で住居の傷みが激しいらしい(楜沢先生の教え)。
c0219616_10261186.jpg
c0219616_10261960.jpg
c0219616_10265253.jpg


チュサンの町外れにある石窟寺院を訪れた。
c0219616_10274815.jpg

立派なものではない。しかし内部は手で掘ったと思われるトンネルと部屋が幾層にも重なり、その間を一本木の階段がつなぐ。外部からの侵入者があったとき、簡単に取り外しがきく。
c0219616_10292651.jpg

真っ暗闇の洞窟の中に、岩を掘った石仏(グリーンターラ)と仏像(シャカムニ)がヘッドライトの光に照らされた。
c0219616_1032271.jpg
c0219616_10321758.jpg

洞窟の窓からはチュサンの町を見下ろすことができる。
c0219616_10355064.jpg
c0219616_10362462.jpg
チュサンの町の向こう、カリ・ガンダキ対岸の岩壁は「パイプオルガン」にもたとえられる。自然の造形の中にこそ、神が作り賜うた意志ある像を感じることができる。人が創り出した「偶像」とは違う。
c0219616_10402235.jpg


Day 6th (9/16) チュサン(2980m)→鉄橋→ガミ(3510m)→ダクマール(3820m)
またしてもカリ・ガンダキの支流が道を分断し、徒歩で上流に向かう。
c0219616_10434259.jpg
c0219616_10442236.jpg
別世界が広がるその向こうで、カリ・ガンダキは急速にその幅を狭め、河には鉄橋が懸けられていた。ムスタンの核心が近づいている、そんな実感を覚えた。
c0219616_10454100.jpg
c0219616_10455211.jpg

ツェレの村を過ぎると、道は一挙にカリ・ガンダキを見下ろす高原に出た。グランド・キャニオンを上にも横にも拡げたような景観である。ため息が漏れる。これからずっと「こんな景色」が続くのだ。
c0219616_10462863.jpg
c0219616_1047232.jpg


サマル(3620m)でお昼を食べる。さしずめオアシスの村。小川が流れ、その辺にポプラの林が広がっていた。サマルは「赤い土」の意。
c0219616_10474675.jpg


行く手にガミの村。緑の畑が大きく広がっている。何世紀もかけて人の手で緑を作り出してきたのだ。自然との闘いなのか、自然との共生なのか。
c0219616_10492821.jpg


ガミの村は、たぶん、「チベット」なのだろう(行ったことはないが)。美しい。
c0219616_10502185.jpg
c0219616_10504593.jpg


白壁の大きな家には中庭がある。コスモスの花が飾られていた。
c0219616_1051616.jpg


c0219616_1053253.jpg
その村はずれから、ホース(馬)トレッキング(旅)が始まった。馬に乗るのはニ・三度目か。覚えているのは、子供の頃、公園で数十メートルを親に支えられながら乗ったこと。緊張だけが記憶に残っている。そして鮮烈なのは大学生時代の「橋本牧場」。あの橋本聖子さんの実家。スキー部の先輩に連れられて訪ねた「橋本牧場」では、ジンギスカン鍋の後に、乗馬体験が待っていた。当時小学生だった橋本聖子さんは華麗に馬を操作していたが、酒に酔った私は、乗せられた馬からものの10㍍も行かないうちに「落馬!」。恐怖が記憶に刻まれた。その馬の上でこれからのトレッキングが始まるという。

覚悟を決めて馬子の指し示す馬に乗った(乗せられた)。このトレッキンググループの男の中では絶対的に一番若い私には、元気で大型の馬が割り当てられたようだ。騎乗するなり勝手にとことこと走り出した。学生時代の落馬経験が頭をよぎったが、すぐに馬子の一人が馬の紐を握り先導してくれた。予想では馬一頭ずつに馬子が付いてくれるものと思ったが、13人のトレッキングメンバーに4人の馬子。「助かった、私の馬はしっかりと馬子に先導されていく」。
c0219616_10541648.jpg
衣子は自力である。「大丈夫かな?」と思ったが、「大丈夫、馬が賢い」。一列になって、今日の目的地ダクマールへと進んでいった。
c0219616_10545499.jpg


ダクマールとは「赤い岩」(red cliff)。まさに行く手には赤い岩山。馬に騎乗し進む大地。すっかりと冒険気分。馬の怖さを忘れ周囲の景色に見惚れるようなった。後ろを振り返ると、麦畑の向うにアンナプルナの白い峰々が美しく横たわっていた。
c0219616_10573075.jpg
c0219616_1058667.jpg
c0219616_10583653.jpg


ダクマールの宿営地に着く。赤い岩の真下にある。夕陽に染まった岩壁は喩えようもなく美しかった。
c0219616_1059812.jpg
c0219616_10593967.jpg


Day 7th (9/17)ダクマール(3820m)→ツァーラン(3560m)。
満天の星空の下での宿営の翌日、真っ青に透き通った晴天の朝を迎えた。草を食む馬たちの向こうにアンナプルナの峰々。
c0219616_1182432.jpg


そして今日も馬に騎乗しトレッキングを続けた。ここでも岩山に横穴の住居が掘られている。上の穴にはどうやって入って行くのだろう。何世紀も前に掘られたものらしい。下の穴はまだ現役で家畜のための干草が貯えられている。
c0219616_1191068.jpg


ダクマールからツァーランに今日は向かう。途中3945mの峠を越していく。地図に峠の名は書かれていない。この道はかつての隠れ道(「罪人の道」)。心に傷をいだいた人達が昔ここを通っていったのだろう。この美しい景色がさぞ心に沁みたにちがいない。我われも馬上から振り返り振り返り眺めた。
c0219616_11121183.jpg
c0219616_13191286.jpg
c0219616_13221965.jpg

c0219616_1324247.jpg
c0219616_1324204.jpg


峠を越えてから、元気な(歩き足りない)私たちは馬を下りた。チベットの諺に『上りで人を乗せないのは、馬でなし。下りで馬に乗るのは人でなし』とあるそうだ。後脚が長い馬は下りが不得手で、重い荷を背負っていると怪我をしやすいのがその理由とのこと。団長の楜沢先生はじめ多くの人は乗ったままではあったが、・・・・、「人でなし?」
c0219616_13245290.jpg
c0219616_13271329.jpg

行く手に不思議な模様の岩山と、そのふもとに広がる大きな緑の村が見えてきた。ムスタン第二の村、ツァーラン。村は広い畑に囲まれ、その畑と荒野の間は石壁で境されていた。強風から畑を守っている。
c0219616_13282256.jpg
c0219616_1329020.jpg


ツァーランでは、寺院(ゴンパ)と王城(ムスタン王の夏の別荘)を訪ねた。

ローマンタンへの旅はまだ続く。後篇をお待ちください。
[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-15 18:54 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年8月 大雪旭岳 August 2014 "Taisetsu Asahi-dake"
今年、母の13回忌を迎えた。12年前母は旭岳に逗留中、突然の最後を迎えた。その旭岳に家族一同が集い、山頂に登り皆で母を偲んだ。
c0219616_1653533.jpg

[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-09 16:54 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年7月 北海道大学に棲む野生動物 July 2014 "Wild Livings in Hokkaido University"
北海道大学のキャンパスはかつて札幌市の北の町はずれにあった。私が北海道大学に入学したころ、北を見ても、西を見ても、石狩平野の広い平原と、その向こうの手稲山が見えるばかりで、ビルディングなんて一つも無かった。ところが、今はビルと住宅街に囲まれる都会の一画になってしまった。そんなキャンパスの中に自然が今も残る一コマを見つけた。

キタキツネの一家
c0219616_22151631.jpg
c0219616_2215125.jpg


大野池には見慣れたカルガモ一家とは違うカモの集団が。オシドリ一家だ。お父さんオシドリが見えないので不思議に思ったが、この季節、繁殖期を過ぎるとお父さんの派手な羽は地味に毛変わりをするとのこと(エクリプス)。
c0219616_22205620.jpg


北海道大学の野生動物と言えば、・・・・
c0219616_2221131.jpg


野生とは言えない動物たちなのかもしれないが、都会の中の「オアシスのような北海道大学」ならではの光景。キャンパスの中には麦畑、野の花、庭の花も溢れている。
c0219616_22241965.jpg
c0219616_22242935.jpg
c0219616_2225820.jpg

[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-07 22:30 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年7月 大雪緑岳から黒岳へ July 2014 "Taisetsu Mountains"
大雪の花々に魅せられ、また訪れた。今回は大雪高原温泉に一泊し、緑岳、小泉岳、白雲岳、北海岳、そして黒岳を経て、層雲峡に下山した。お目当てのホソバウルップソウはすでに盛りを過ぎていたが、予想外の雪渓の大きさに目を見張り、チングルマ、エゾノツガザクラの花畑に心なごんだ。
c0219616_21574319.jpg
c0219616_220769.jpg
c0219616_21592749.jpg
c0219616_2205564.jpg


リシリリンドウ
c0219616_2212019.jpg


ミヤマリンドウ
c0219616_2214213.jpg


ヨツバシオガマ
c0219616_222129.jpg


イワウメ
c0219616_2245284.jpg

[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-07 22:05 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年6月 十勝岳 June 2014 "Mt. Tokachi"
十勝岳は、北海道のへその位置にある活火山中の活火山。今までも大噴火でたくさんの犠牲者を出してきた。それだけに火山礫と火山灰に覆われる無機質な裸山。日本百名山(深田久弥)のラインアップに誰しも首を傾げるが、北海道の人間にとって、とりわけ「何故?」と感じるのはこの山でなかろうか。この季節、花の富良野岳に登ろうと上富良野町を訪ねたところ、登山口が閉鎖(自転車大会のため)!やむなく十勝岳へ(ごめんなさい)。
c0219616_21342110.jpg

[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-07 21:41 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年6月 空沼岳 June 2014 "Mt. Soranuma"
札幌の西側には山々が立ち並んでいる。まず標高200-500m台の山のような丘のような山々。藻岩山、円山、三角山などだ。その山麓には住宅街が伸び、藻岩山原生林、旭山記念公園、円山公園などの市民の憩いの森がある。世界に名だたる大倉山シャンツェ、宮の森シャンツェの二つの大きなスキージャンプ台もこの中にある。藻岩山、円山、三角山の奥には標高800-1000m台の少し立派な山があり、夏の登山、冬のスキーゲレンデを提供してくれる。代表格が手稲山、百松沢山、春香山など。さらにその奥には1200-1400mの山らしい山々が南は支笏湖から、北は小樽まで壁のように立ち並んでいる。

その中にあってとりわけ空沼岳が好きである。最初に出会ったのが大学1年生の初夏のころ、友人に連れられて空沼小屋に泊まり、札幌岳まで縦走した。今でもその時のことを思い出す。

万計沼にて(1970年)、懐かしい姿
c0219616_19491930.jpg


万計沼にて(1975年)、学生時代にも幾度となく訪れた。空沼小屋が湖畔に見える。
c0219616_21113468.jpg


万計沼にて(2014年)、空沼小屋の屋根が見えるが、今はもう老朽化のため残念ながら閉鎖されている。
c0219616_21133492.jpg


湖畔にミツガシワ(三つ柏)が咲いていた。
c0219616_2121460.jpg
c0219616_21204712.jpg


万計沼からほどなく、広々とした湖がある。真簾沼にて(1970年)
c0219616_2115242.jpg
真簾沼にて(2014年)
c0219616_21164865.jpg


空沼岳の頂上に立つと、眼下に札幌の街並みが広がり、後ろを見ると支笏湖、さらに羊蹄山、ニセコ連山を望むことができる。だから、空沼岳を大好きなのだが、近頃は眺望以上に道端の花々を愛でることが多い。この初夏、サンカヨウ(山荷葉)の白い花弁が目に眩しかった。
c0219616_2126419.jpg

[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-07 19:53 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年7月 大雪黒岳、北鎮岳、愛別岳、北海岳 July 2014 "Flowers in Taisetsu Mountains"
海の日の連休、花が咲き乱れる大雪に登った。
(「海の日」に山に登って何が悪い?「山の日」なんて要らん!と私は思うのだが)

土曜日の診療を終えて2時過ぎに札幌を出発。黒岳ロープウエイを使い、黒岳石室には夕暮れに着いた。黒岳山頂を過ぎた辺り、エゾツツジが夕映えの中に紅く色輝いていた。
c0219616_1815754.jpg
c0219616_1863567.jpg
c0219616_186567.jpg


山小屋は楽しい。多少の寝苦しさもあるし、鼾もうるさいが、夕空から星空へ、そして黎明の時、茜色の空から煌くばかりの朝日が一瞬のうちにすべてを照らしはじめる。そんな時、自分が地球上に生きていることを実感する。ダイナミックな時の移ろいに感動を覚える。
c0219616_1818786.jpg


きりりとした晴天の山の朝、暖かいスープを作り簡単な朝食。そしてすぐに歩き始める。あたり一面はお花畑。北鎮岳から比布岳の斜面でチングルマ、エゾノツガザクラ、アオノツガザクラ、ハクサンイチゲ、クモマユキノシタ
c0219616_18244591.jpg
c0219616_18265488.jpg
c0219616_18284063.jpg
c0219616_18301797.jpg
c0219616_1836786.jpg


たおやかな頂が連なる大雪において、愛別岳だけが切り立った独立峰を見せている。表大雪の西端のこの山には雲がかかりやすく、なかなか頂上を見ることができない。この朝はすっきりとした姿を見せてくれていたのだが、頂上に立って間もなく、真っ白な霧に包まれてしまった。
c0219616_1841778.jpg
c0219616_18415463.jpg
c0219616_18433982.jpg


ふたたび北鎮岳に戻ってお鉢を一周。北海岳から黒岳への斜面も花々が美しかった。イワツメクサ、イワヒゲ、キバナシオガマ、エゾコザクラ、ミネズオウ
c0219616_184831100.jpg
c0219616_1849299.jpg
c0219616_18495560.jpg
c0219616_18501683.jpg
c0219616_18503367.jpg


飽きることのない大雪の山々、花々。この自然に感謝、感謝。
[PR]
by kobayashi-skin-c | 2014-11-06 18:04 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)