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2016年9月 『カープ、カープ、カープ広島、広島カープ!』 September 2016 "Hiroshima Carp!"
2016年9月10日、東京ドームにおいて巨人に勝利し、広島カープが25年ぶりのセリーグ優勝を果たした。
1975年の初優勝の時も後楽園球場。巨人を破ってつかんだ栄冠だった。あの時も、そして今回も、勝利に涙した。
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         (9月11日『日刊スポーツ』)


好調カープの試合を、広島のマツダスタジアムで観戦したいと、7月から旅行の手配を行っていた。しかし、必ず優勝するとは思っていても、「もし応援に行って負けづいてしまったらどうしよう」の思いがぬぐいきれず、観戦の決心がなかなかつかなかった。というのも20年前のこと。今も伝説として語り継がれる長島巨人の「メイク・ミラクル」。その大逆転優勝は、札幌円山球場での対広島戦3連勝からスタートした。その三連戦を私は応援していたのだ。以来、私が観戦・応援するたび、カープは目の前で負けた。今年の対ファイターズとの交流戦は珍しく2勝1敗と勝ち越したが、私が応援したのはその1敗の時だった。友人であり、現広島球団オーナーの松田君からは「頼むけー来てくれるなよ」と言われていた。

しかし、あろうことか、今年のカープは「神ってる」。どんどんとマジックナンバーを減らしていった。予定どおり9月7,8日、故郷広島に帰ることとした。松田君には帰る前日に「明日帰るけー、席を頼む」と伝えた。松田君も「だめじゃ」とは言わなかった。
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北海道広島県人会の赤いはっぴを着て、マツダスタジアムのオーナー室に乗り込んだ。松田君は「わしも優勝が信じられん、ほいじゃけど、これでやっとたくさんの人達に恩返しができるような気がするんじゃ」とつぶやいた。

応援した9月7日、8日は中日ドラゴンズに快勝。真っ赤なマツダスタジアムで私たちも燃えた。目の前の胴上げを見ることはできなかったが、優勝を確信させるマジック1まで到達した。
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広島中が真っ赤に燃え、面白いものも発見した。
「赤いローソン!」
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赤い「カープの鯉人」(明らかに、北海道の『白い恋人』のパクリ!)
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カープ坊やの「カープカレー」、黒田の「男気カレー」
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心なしか赤く見える「お好み焼き」
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そう言えば「宮島さん」も赤い!
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次は日本一!
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他球団を応援される読者の皆さま、さぞ不愉快な記事であったことと思います。25年ぶりの無礼をなにとぞご寛容ください。この記事を掲載している今日、北海道日本ハムファイターズがパリーグ優勝を決めた。凄い!!、おめでとう。
# by kobayashi-skin-c | 2016-09-29 16:58 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2016年9月『乾癬学会に付随して、日光、男体山』 September 2016 "Nikko & Mt Nanntai-san"
第31回日本乾癬学会が宇都宮市において開催された。
「日光を見ずして、結構ということなかれ」の言葉があるくらいなのだから、死ぬまでに一度は訪れておくべきなのだろう。華厳の滝、中禅寺湖、そして男体山もずっと気になっている。

かくして、乾癬学会の2日前から宇都宮を目指した。東京までは飛行機、東京からは新幹線で宇都宮、そして日光線に乗り継いで日光へ。途中宇都宮の駅では「焼餃子」、「水餃子」をさっそくいただいた。どうして宇都宮名物なのか理解に苦しむ。
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日光では「金谷ホテル」に宿をとった。なんでも日本最古の西洋式ホテルとのこと。明治時代、外国人の避暑地として人気を博したらしい。
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私たちが案内された部屋には、1922年、アインシュタインが滞在したそうな。外観も内装も古めかしく、アインシュタインが今でも歩いていそうな雰囲気である。
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日光といえば東照宮。東照宮こそが「日光を見ずして、結構ということなかれ」のはずであったが、現在「平成の大改修工事中」。あの陽明門も、本殿もビニールシートで覆われ、「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿と、あの眠り猫にいたってはレプリカに置き換えられていた。まあ、その情報は知っていて訪れたのだが・・・・・・
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東照宮から「パワー」を感じることはなかった。伊勢神宮では強烈なパワーを感じ取った。出雲大社でも敬虔な気分に浸った。故郷の厳島神社とその背景の弥山では幽玄な気持ちになるのだが、ビニールシートと、大勢の外国人観光客に囲まれた日光東照宮は、「残念!」(徳川東照大権現様、ごめんなさい)。

翌日には華厳の滝を見物して、男体山に登った。日光には東照宮以前、奈良時代に開山したと伝えられる二荒山(ふたらさん)神社があり、背景に御神体である男体山(2,486m)、女峯山(2,464m)、太郎山(2,368m)があり、男体山(古名は二荒山)は二荒山神社の奥宮となる。華厳の滝を含め、こちらはパワースポットであった。
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男体山の登山口は神社境内の奥から。入山料ではなく参拝料500円をおさめて出発した。中禅寺湖から一気にせり上がる男体山は意外に厳しい山道で、修験の場であったことを実感する。
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下山後は中禅寺湖の美しい景色に癒された。明日から乾癬学会。
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# by kobayashi-skin-c | 2016-09-29 11:25 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2016年9月教室『第31回日本乾癬学会の話題から』
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第31回日本乾癬学会が宇都宮市において開催されました。学会会長は自治医科大学皮膚科教授、大槻マミ太郎先生です。学会のテーマは『乾癬、その深淵へ』。乾癬の原因追求、乾癬の治療開発、乾癬患者さんへの思いやり、すべてに通じるテーマです。全国から1000人をこす参加者があり、入りきれないぐらいの聴衆で溢れた会場もありました。第1回は、学会に発展する前の乾癬研究会の名で、大分県別府市の郊外にある城島高原ホテルで30年前に開催されました。講演・発表が行われたのはホテルの大広間の畳の上でした。隔世の感があります。

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学会プログラムは盛りだくさんで、5つの会場に分かれて同時進行のため、すべてを聴くことはとてもできません。

プログラムの中でもとくに目立つのが『生物学的製剤』関連のシンポジウム、セミナー、一般演題が多かったこと。この数年の傾向ですが、とくにスポンサード・セミナーのほとんどがそうでした。思い返せば、1999年、米国サンフランシスコで開催された国際会議で生物学的製剤の存在を知りました。当時は『標的療法』と呼ばれていました。乾癬発症の免疫学的メカニズムの解析が進み、当時主流の考えであったヘルパーT細胞を標的とするモノクローナル抗体が、米国で治療として使われ始めていました。「あまりに実験的過ぎて乱暴な治療法である」と当時は感じました。

乾癬発症の免疫学的メカニズムの解析は飛躍的に進み、2012年に開かれた国際会議では「TH17経路」が主役であると結論付けられました。同時に、この経路で重要な役割を演じるIL17をブロックする生物学的製剤が乾癬に大変よく効くことが報告されました。そして昨年、今年と、相次いでこれらの抗IL17治療薬がわが国でも上梓されました。
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第三世代と呼ばれる抗IL17治療薬(コセンティクス、ルミセフ、トルツ)ではPASI90改善率(全身のほとんどの乾癬が目立たなくなる)が5割の患者さんでみられるということです。

しかしながら、同時に頭をよぎるのは「薬剤費」が高すぎるということです。「オプジーボ問題」という話題をご存知ですか。京都大学の本庶先生が発見し、ノーベル賞に値するとも言われる抗がん剤「オプジーボ」。この夢のような抗がん剤が国を滅ぼすというのです。
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夢のようによく効く乾癬の治療薬「生物学的製剤」も同じような問題を含みます。
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乾癬の患者さんも、そして私たち皮膚科医も、優れた働きを持つ「生物学的製剤」の使い方を真剣に考えなければなりません。

大きな感銘を与えてくれた講演が、特別セッション『乾癬が身近にあるということ』でお二人の先生からありました。
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現在の治療の主体となっている「免疫抑制作用を持つ治療薬(とくにステロイド)」に警鐘を鳴らす講演がありました。
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ステロイド外用治療で起こるリバウンド現象が理論的に説明されました。大きな課題が自分に突きつけられた、そんな思いで塩原先生の講演を聴きました。

学会の最後には、今は恒例となった全国の乾癬患者友の会主催による学習懇談会がありました。
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福島乾癬の会の相談医であり自らも乾癬を持つ佐藤守弘先生、大分乾癬の会の相談医であり、やはり乾癬を持つ佐藤俊宏先生が、「医師として、患者として」どんなふうに乾癬と関わりあってきたか、向き合ってきたかを全国から集まった100名をこす患者さん、医療関係者にお話しくださいました。「乾癬を持ってつらいと思ったことはない」(佐藤守弘先生)、「正直つらかった」(佐藤俊宏先生)と本音を語りながら、「家族への感謝」、「乾癬を持つことでしか得られなかった貴重な経験」を共通して述べられました。講演の後には聴衆の方々からの質問コーナーがありました。全国の相談医が勢ぞろいして考え、答えを出していく光景は圧巻でした。「心強い」と心の芯から思いました。

小生も、今では乾癬学会のマイナーとなってしまった「ビタミンD3外用剤」について、そして長年の課題であった「豊富温泉湯治効果」について報告を行いました。
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「乾癬の深淵」を垣間見ることができた学会でした。ここで学んだことをクリニックの中で、また患者会の中で皆さまと共有したいと思います。
# by kobayashi-skin-c | 2016-09-28 18:32 | 「皮膚の健康教室」抄録 | Comments(0)
2016年8月 『マッターホルン』 August 2016 "Matterhorn, The Fricle Mountain"
ツェルマット1日目 この日は、マッターホルンの登山基地、ヘルンリ小屋まで登る予定であった。しかし、昨日のこと、シャモニーからツェルマットへ移動後、すぐにツェルマット・アルパインセンターを訪ね、得ることができた山の情報は、「明日のガイドツアーは積雪のため中止。ガイドはキャンセルになりました。2-3日は難しいのではないか」との回答であった。予期していたものの「ガクッ」。

この日はハイキングとする。ツェルマットの町は早朝霧に包まれていたが、ゴルナーグラートへの登山電車は朝から満員。電車が高度を上げていくと、途中から霧がなくなり、青空と山々が広がった。満員の電車内に歓声がこだました。「あの山」が聳えていた。
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「美しすぎる!」

ゴルナーグラートからはゆっくりと山道を降った。目の前にはずっと「あの山」が立っている。リッフェルゼーに映し出されるその姿は、・・・・、「美しすぎる、・・・・・」
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「あの山」は周囲のアルプスから隔絶されて一人で立ち上がっている。「孤高の巨人」といわれるゆえんだ。緑の森をとおしても、「美しすぎる、・・・・・・」
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エーデルワイスとのツー・ショット、「美しい!」
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こんなに惚れているのに、「あの山」がこんなにも気まぐれで、私の心を翻弄するとは、・・・・・・・

ツェルマット2日目 晴天。予定では今日がマッターホルン登頂日。朝一番に、またアルパインセンターを訪れた。「明日はマッターホルン・ガイドが行われます」とのこと。一瞬喜んだが、「あいにくガイドは予約でいっぱいです。キャンセル待ちも難しい状況です。明後日であれば予約可能です」と告げられた。さらに「明後日は天候が崩れる予報で、中止の可能性もあります」とのこと。奇跡を信じて、明日のガイド・キャンセル待ち、そして明後日のガイド確保をお願いし、頻繁に連絡を取り合うこととした。

少しでもマッターホルンに近づいておいたほうが有利と考え、この日はシュヴァルツ・ゼーまでゴンドラで上がり、終点にあるシュヴァルツゼーの山小屋に泊まることとした。
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シュヴァルツゼーから見上げる「あの山」からは、「威圧感」を感じる。「恐怖感」さえ覚える。周囲をハイキングした。美しい。しかしマッターホルンを眼前にした待ちぼうけに、心は晴れない。
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ツェルマット・アルパインセンターとのやり取りで、結局、「明日のキャンセル待ちガイドは無理。明後日の予約はOKであるが、天候次第」とあいなった。インターネットの天気情報でも「明日深夜から雪、明後日は午後から吹雪」。登頂は困難な状況だ。大きな葛藤が始まった。命のかかった登山である。「行くべきか、諦めるべきか?」、「大丈夫か、危険すぎるか?」、「高額のガイド料金を取り戻しておくべきか?」、・・・・、もうこの山の姿を見るのも鬱陶しくなってきた。
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日が沈むころ、ゴルナーグラート氷河の向うのモンテ・ローザは夕映えに赤く染まり、残照が「あの山」を照らした。
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。「チャレンジもしないで撤退はいやよ」の衣子の言葉で、どんな天気であろうと、マッターホルンに登ることを決心した。

ツェルマット3日目 予定では下山日というのに、我々はまだすそ野にとどまったまま。晴天の空に上った太陽が、マッターホルンを赤く染めた。今日は多くの登山者がもうあの壁を登っているのだろう。悔しいなあ!
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ヘルンリ小屋まで登り、まずは取り付き口の偵察を行った。登り始めは垂直の壁だ。
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ヘルンリ小屋での夕食の時、ガイドのヨハン、イヴォンヌと顔を合わせ、食後、装備のチェックを受けた。夜半起きだしたとき、星が見えていた。もしかして、・・・・、・・・・

ツェルマット4日目 3:40am起床、4:00am装備すべてを整えて朝食。4:20am小屋を出発した。我々以外には、若い男女二人組だけが後ろに続いた。曇っているが視界は良い。風も微風で暖かい。マッターホルンでは、ガイド一人に、客が一人の一対一。私はヨハンとロープで結ばれ、ヘッドランプの灯りのみをたよりに、岩壁を攀じ登り始めた。凍った雪渓では緊張を強いられたが、恐怖感はあまりない。

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しかし、我々のマッターホルンは4時間で終わった。3940mまで登ったところで吹雪。ヨハンから「この天候、君たちのスピード・技量ではここまで!」と、下山を指示された。ヘルンリ小屋に帰着したのは8:30mだった。ただただ無念、無念。たしかに下りではすでに雪が3センチほど、もう積もっており、岩はスリップしやすかった。危険であることは百も承知だが、「まだ登れたのではないか、もっとチャンスがほしかった、昨日の天気だったら・・・・・」と無念の思いがこみ上げた。移り気で気まぐれな山に翻弄され続けた4日間。それでも、未練が残る。
# by kobayashi-skin-c | 2016-08-26 23:58 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2016年8月 『アルプスの女王、モンブラン』 August 2016 "Queen of the Alps, Mont Blanc"
シャモニーの町に来るのはこれで4度目。今年の4月、オートルート(山スキーの縦走)へ来たばかりであったが、今回の目的はツェルマットから登るマッターホルンであり、シャモニーから登るモンブランはあくまで高所順応の訓練のため。昨夏のモンブランは、熱波による落石事故多発のためグーテ小屋コースが閉鎖となり、三山縦走コースでモンブランに初めて登頂した。なかなかの難コースで登頂の歓びはひとしおであった。

今年、高所順応に訪れたエギーュ・デュ・ミディからふたたび昨年のコースを見上げたが、クレバスだらけのあの斜面をよくも登れたものである、とあらためて感心した。
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シャモニー1日目 時差調整、高所順応にまずラック・ブラン(Lac Blanc 白い湖) へ出かけた。道々モンブラン山群全体を見渡すことができ、また山の斜面ではアルペンローゼの花がちょうど満開の時を迎え、楽しいハイキングとなった。
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シャモニー2日目 終日雨と強風のため宿で停滞。日本人アルピニスト神田氏が経営する「シャレー・ジャポニアール」は自炊設備があり、また庭にはジャグジー風呂も備えられ、だれに気兼ねすることもなく快適に休息を取った。

シャモニー3日目 予定を一日遅れとして、高所順応のためValee Blanche氷河の上をエギーュ・デュ・ミディからイタリア側のエルブロンネへと歩いた。
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真っ青な青空、新雪が積もった真っ白い氷河、垂直にそそり立つ黄色い岩壁に囲まれて幸せな一日であった。

途中、急斜面の小ピークに上がった。
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小ピークの上でポーズをとるガイドのオルトンヌ。モンブランへは彼が私達二人をガイドする。
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イタリア側のエルブロンネからフランス側のエギーュ・デュ・ミディまでは、このゴンドラに乗って戻った。絶景の展望を望みながらの30分間の空中散歩であったが、この三連結のゴンドラは、人の乗り降りのたびに数分間隔で停止する。最高所での宙ぶらりんには、「まいった」。風が少なくて幸いだった。
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シャモニー4日目 シャモニーからバスでレズーシュへ移動、ロープウェーに乗ってベルビューへ上がり、今度は登山電車に乗り換えて二・デーグルへ。ここが登山口となる(2372m)。それにしてもこんな急勾配を電車が登ってくるなんてすごい。
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すでに森林限界を越えた急勾配の砂礫地をジグザグに登り、3167mのテート・ルース小屋がある雪渓へと至る。ここでクランポンを履き、ハーネス、ヘルメットを装着する。眼前に真っ黒な岩の急斜面が立ちはだかる。この急斜面にいくつかの細い谷間があり、横切っていかなければならない。ここが昨年落石で多くの人の命を奪った「グランクーロワール」。「Rock, Roc, Rock, Roc!」の大きな叫び声の後に、乾いた音をたてながら猛スピードで岩が転がり落ちていく。一つだけではなく、いくつもの岩が続く。それも何度も。「まったくなんでこんなところを登らなくちゃならないんだ」と言ったってしょうがない。ガイドのオルトンヌとロープで結ばれ、小走りに雪渓を横切った。
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下山する人たちとすれちがいながら、岩の急斜面を3時間、攀じ登った。下山してきた人たちのほとんどは、今日の悪天候でモンブランには登頂できなかった、と残念そうに語っていた。昼過ぎに3817mのグーテ小屋に到着したが、深いガスと雪のため、視界はゼロ。気温はマイナス5℃。グーテ小屋は完成したばかりの現代建築物であるものの、中も寒い。おまけに部屋が最上の4階であったため、息を切らせながらたどりつかなくてはならなかった。

シャモニー5日目 1:45am起床、2:00朝食。今日もグーテ小屋泊りの予定であるため、出発競争には加わらず、ゆっくりと小屋を3:00amに出発した。外は真っ暗で凍えるような寒さであった。ヘッドランプを点し、オルトンヌ、衣子、私の順にロープで結ばれ、雪の急斜面を登り始めた。ヘッドランプで照らされるわずか1平方メートルもの視界だけを見つめながら、息を切らせながら、ただひたすらに登り続けた。周囲にはガスがかかっているようだ。グーテ小屋を出発してから約2時間、少し山の稜線が白み始めるころ、避難小屋であるヴァロー小屋に到着した。オルトンヌの判断で、ガスが晴れるまでの間、小一時間、小屋の中で待機した。ほんの小さな小屋の中に、シュラフにくるまった登山者が転がっているのにはびっくりした。

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小休止のあと外に出ると、空は晴れ上がっていた。モンブランの頂上がまだずっと先のほうにある。
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小さなクレバスを越え、その向こうに続くボス山稜の細いリッジ上の踏み跡をみて、「あんなところを歩くのか」と少しびびる。頂上への稜線上には、登る人と降りる人で、列ができている。続いた悪天候のため今日に集中したようだ。
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そして、頂上へ至る。晴天、気温はマイナス8℃。申し分ない。アルプスの峰々と雲がはるか下に見える。遠くには紛うことなく、マッターホルン。その隣にモンテローザ山群。
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登頂の歓びは、「ウーーーム、去年のほうが格段に大きかった」かな。
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せっかくの頂上、それもこんな天気の良い日に、思いっきり写真を撮りたかったのだが、ガイドのオルトンヌは「ロープをはずしたらだめ」、「写真もだめ」と言う。客の安全のためには仕方ないのかも知れない。写真を撮れないぶん、しっかりと網膜に焼き付けたつもりではあるが、いかんせん記憶装置の劣化はどうしようもない。やはり写真が欲しいところ。頂上に名残を惜しみ、グーテ小屋へと降った。
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昨日は全く見えなかったグーテ小屋が全貌を見せた。まるで「宇宙船」を思わせる外観。中身はいまいちなんだけど、かっこいい。

シャモニー6日目 7:00amに朝食。7:30amには下山を開始した。落石の危険を避けるため、グランクーロワールをできるだけ朝早い時間に通ったほうが良い。
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無事に通り抜け、雪渓の上を尻滑りしたり、登りでは見れなかったお花畑に感嘆したり。出発点の二・デーグルに引き返し、登山電車に乗ってシャモニーへと下山した。
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シャモニー7日目 悪天候で一日予定が遅れたため、休息日なしにツェルマットへ移動。昨夜来、雷が鳴り響き、雨が降り続く。予報では「山間部は雪、高所で40-50㌢の積雪」とのこと。
# by kobayashi-skin-c | 2016-08-25 17:11 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)