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2013年7月23日教室 『ネパールの人々の暮らし』
ヒマラヤトレッキングは、山歩きと同時に村々を訪ねる里歩きでもある。8000mの高峰を眺めるのは、ネパールの古い村々から、山里の段々畑から、深い谷にかかる吊り橋の上からであることも多い。そこで垣間見るネパールの人々の暮らしは、自分が生まれ育った昔の日本の情景を彷彿とさせる。人々の暮らしに触れるホームステイに、トレッキングの最後、ダディン県パトレ村を選んだ。去年のトレッキングでお世話になったガイドのディリさんの奥さんの実家である。
 アンナプルナトレッキングを終え、ポカラを出発。ポカラ・カトマンドゥ間の主要道路からさらに1時間、細く入り組んだ山道を車で行き、その道路の終点からはさらに10km、乾いた赤土の山道を歩いてようやくたどり着いたパトレの村。待ち受けてくれた村の人々、そしてその彼らの暮らしについて皆さんに紹介いたします。

また村の小学校を訪ね、ネパールの農村に暮らす子供達に
「アトピー性皮膚炎はあるのか?」

について調査を行いましたので、その結果も合わせて紹介いたします。


2013年7月23日教室 『ネパールの人々の暮らし』_c0219616_21174130.jpgパトレ村は乾いた赤土の畑にバナナの木が茂り、民家の壁は赤土で塗られていた。









私たちは、村の入口で村長さんはじめ多くの人たちの出迎えを受け、若い女性からブーゲンビリアの首飾りをつけてもらった。
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丘の上からパトレ村を見下ろす。村の総戸数は約50戸、200人が暮らす。最近では一家ごとカトマンドゥに引っ越してしまった家族もあり、空き家も生じているとのこと。日本の農村と同じことがネパールでも起こり始めている。

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ほとんどの民家は赤壁に青い柱で縁取りがされており、なかなか美しい。庭先は農作業場、1階では牛、山羊、ニワトリが飼われていた。
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薪はネパールの人々の生活になくてはならないもの。どこを旅してもこうして薪を担ぐ人々を見かける。たいていは女性か、子供である。







村に、下水・上水設備はなく、昨年トイレ掃除や洗濯に使える水の供給設備を完成させたが、飲水用、料理用には使えない。飲水はもっぱら近くの谷にわき出る水が供給源で、村人はかめを持って水汲みに行く。電気は24時間ではないが、小型の水力発電機で供給されている。しかし電灯のみで、そのほかの電化製品はない。燃料はすべて薪であり、家の周りには1年分の薪が積まれている。
2013年7月23日教室 『ネパールの人々の暮らし』_c0219616_1041489.jpg私たちには沸かした水を提供してくれた。貴重な水であり、まず左の手のひらを上手にまるめ、そこに水をとり、右手、顔の順番に洗う。






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台所兼食堂兼居間
食事中とつぜん牛の鳴き声が聞こえて驚いたが、階下は牛小屋となっている。
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薪を使って調理。火を燃やすのはこの場所だけで、冬はここで暖をとるとのこと。
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家の周りに積まれた薪。村が所有する山から、年に一度だけ伐りだしてくるのだそうだ。
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食事は基本的に「ダルバート」。「ダル」は豆スープ、「バート」はご飯。これに「アチャ」と呼ばれる漬物・野菜のお皿が数種類。野菜は豊富であるが、タンパク質は少ない様子。私たちのためには、1羽の鶏がしめられていた。申し訳ない。

ちなみに、ネパールについて(Wikipediaから引用)

正式名称は、ネパール連邦民主共和国 संघीय लोकतान्त्रिक गणतन्त्र नेपाल 。
面積は140,800km²
本州を除いた日本(北海道+九州+四国)にほぼ等しい。

人口 29,519,114人(2008年推計)

人口密度 209.65人/km²

年齢別人口構成
0-14歳: 38%
15-64歳: 58.2%
65歳以上: 3.8%(2008年推計)

平均年齢
全体: 20.7歳
男性: 20.5歳
女性: 20.8歳(2008年推計)

ネパールの経済状況
2011年のネパールのGDPは185億ドルであり、鳥取県より小さい経済規模である。一人当たりのGDPは652ドルであり、非常に低い水準である。2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は2200万人と推定されており、国民の70%を超えている。国際連合による基準に基づき、後発開発途上国に分類されている

訪れたパトレ村の産業は農業のみであり、ほぼ自給自足で現金収入はごく限られたものと推測された。現金収入を得るには、都市に出ざるをえず、カトマンドゥに人口が集中するようになった。しかしカトマンドゥでも就労の門は厳しく、スラム街が形成されている。私たちがお世話になったホームステイは、現村長と、村出身のガイドであるピタンバル氏の協力で実現されるようになったもので、村おこしとして期待されている。村を挙げての歓待はそんな事情もあるのだろう。

ネパールの子どもたちに、アトピー性皮膚炎はあるか?

ネパールの教育事情は?

識字率:48.6%。
(15歳以上で読み書きできる人の割合)
うち男性 :62.7%
うち女性 :34.9%
(2001年国勢調査)

2013年7月23日教室 『ネパールの人々の暮らし』_c0219616_12553289.jpg私たちはパトレ村小学校を訪ねた。2013年7月23日教室 『ネパールの人々の暮らし』_c0219616_1257138.jpg













校舎の壁には、この学校が日本のNPOの協力のもとに設立されたことを顕すプレートが、飾られていた。
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全校生徒は約80人、1年生から10年生まで(5歳~15歳)。5歳未満の幼稚園も併設されている。パトレ村近隣の村からも児童・生徒が集まっているとのこと。
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最上級生の授業を聴講させてもらった。すべてネパール語で授業は進み、さっぱり理解できなかったが、どうやらネパールの歴史について学んでいたようだ。
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副校長、PTA会長の同意をいただき、1年生クラスと、保育園クラスの全員について、皮膚の健康調査を行った。2013年7月23日教室 『ネパールの人々の暮らし』_c0219616_1381852.jpg



















その結果、
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(首、肘の湿疹はこの年代のアトピー性皮膚炎では必発症状)

この結果に対し、次のように考えました。
観察数は少ないが、
①アトピー性皮膚炎症状を持つ児童はいない。
②鼻汁を出している児童の割合が高く、衛生状況の悪さが推測される。
③はたけ(単純性粃糠疹)は、乾燥肌・日焼け肌をもとに常在菌が原因となって生じると考えられている。
④「鼻汁」(気道感染)、「はたけ」(常在菌)が免疫力を高めており、以前から指摘されているアトピー性皮膚炎の発症原因「衛生仮説」が実証された!?
⑤教師・保護者からの聴取では、「風呂はもちろん皆無、水浴びも夏で月に1~2回程度、冬はしない。石鹸はまれにしか使わない」のが子供たちの常であり、日本の子供たちの衛生環境とは大きく異なることが分かった。
⑥日本では「大人たちも子供たちも、皮膚を、体をきれいにし過ぎる」ことがアトピー性皮膚炎の原因となっているのではなかろうか。

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ホームステイの家の洗い場の石鹸。オレンジ色は洗濯用、白が人用であり、頭も、体も、手もこれだけ。日本の石鹸、シャンプーの氾濫のほうがむしろ異常のように思える。






3日目の夜、ホームステイの家の庭には、多くの村人が集まってきた。もしかすると村人全員だったかも知れない。子供たちも、女たちも、若者たちも、みんなが太鼓に合わせて唄い、踊り、笑った。私はロキシー(ネパールの手製焼酎)に酔い痴れた。翌朝、また多くの村人に送られながら、パトレ村をあとにした。
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2013年7月23日教室 『ネパールの人々の暮らし』_c0219616_1474415.jpg正直、私たちに3日間の村の生活は厳しかった。山のトレッキング生活のほうがむしろ快適であったように思う。それは欧米人・日本人向けに商業化されたトレッキングルート、ロッジだからなのだろう。




ネパールの人々の暮らしは、私が過ごした50年以上前の日本の暮らし・風景に通じるものがある。しかし、そのころの日本はもっと希望に満ちあふれ、年々、どんどんと生活は快適に楽になっていった。今のネパールでは未来への期待感が少ない。資源・産業の乏しさに加え、政治の混乱がネパールの発展を妨げているように思う。未来のネパールがどこに向かうのか。欧米型の近代社会がかならずしも正しいとは言えない。ネパールの未来の子供たちは薪を背負い続けるのか、それとも・・・・・・・・・・
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by kobayashi-skin-c | 2013-07-23 21:22 | 「皮膚の健康教室」抄録 | Comments(0)
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