長年の夢だった。どれぐらい長年かというと、学生時代までさかのぼる。
友人の有馬 滋君から、「日高山脈には夢の楽園のような所がある」と聞かされていた(有馬 滋君については、このブログの2016年11月『晩秋、落穂ひろい』の坂本直行の記事を参照してください)。それが七つ沼カールである。広島出身の私には「カール」という言葉の理解ができなかった。「氷河圏谷」と説明されてもピンと来なかったが、「北海道」、「日高山脈」、そして「氷河」と聞くだけでワクワクした。もう40年以上も昔のことである。
憧れの七つ沼カールに下り立ち、テントを張った。
七つ沼の辺はお花畑。我々以外には、誰もいなかった。いたのは1頭のオス熊、鹿、そしてナキウサギ(声のみ)。気付かないほうが良かったのかも知れないが、夕刻、オス熊がカールの上辺で草を食べているところを見つけてしまった。だんだんと降りてくる。鍋を鳴らすと、私たちに気付いた様子だった。しばらくこちらを視ていたが、そしらぬふうに草を食べ続けた。彼が去るまではこちらも安心できず、1時間あまり観察していた。すると彼はハイマツ林に入り込み、そのまま見えなくなってしまった。そこがねぐらだったようだ。翌朝、カールの山道にはホヤホヤの大きな糞が残されていた。
幌尻岳の肩から俯瞰した七つ沼カール。
池のたもとには、チングルマ、ハクサンイチゲ、アズマギク、エゾノツガザクラ、・・・。まさに夢の楽園だった。
幌尻岳は日高山脈の盟主(2053m)。
長い林道歩きがつらく、沢登りが楽しく、そして山上に楽園が待つ。盟主にふさわしい山だと思う。その幌尻岳から戸蔦別岳へと縦走した。
登り終えて、大きな達成感があった。つらい縦走、テント泊を経験したこと、熊に出会ったこと、そして長年の夢を果たしたこと。そして、何よりも歩ききった衣子に脱帽、そして感謝。この日が結婚42周年目の記念日だった。