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2019年5月 『ヒマラヤピークトレッキング 5. カラ・パタール』 May 2019 "Himalaya Peak Trekking 5. Kala Patthar"
ネパール ヒマラヤピークトレッキング #5
Kala Patthar (5550m)
カラ・パタール

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201410月、衣子とともに訪れたカラ・パタール。初めて目の当たりにしたエヴェレストに胸が震えた(201410月『エヴェレスト・三峠越えトレッキング』をご参照ください)。やはり、もう一度、エヴェレストに挨拶しておきたい。


429日(月)Chhukung (4,750m) to Dingbocheディンボチェ(4410m

 チェコチームと別れの時が来た。419Mera Peak BaseKhareDikさんが友人のガイド、リンジーさんに会ったことで、日本・チェコ合同チームが出来、AmphuLabcha La越えのための準備が整った。我々だけでは、ピタンバルさんが言っていたように、あの残雪の量と、誰一人入山していない状況では、おそらく難しかったろう。Dikさん、リンジーさんの出会いに、そして二人の周到な打ち合わせに感謝である。そして、気さくで思いやりに溢れるLiborLadiaの二人に感謝。昨夜はLiborが私にこんな言葉をくれた。「あなたは素晴らしく頑張った。あなたの成し遂げたことは、私たちのこれからの人生の目標だ」と。

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上写真、アマ・ダブラム

下写真、荒涼としたイムジャ谷。左にローツェ、右にアイランドピーク
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 私たちもチュクンをあとにした。アマ・ダブラム、ローツェ、そしてアイランドピークが見送ってくれた。写真にはないが、二人のスペイン人も私たちを見送ってくれた。二人は我々がチュクンに着いたときから、ゆっくりと本を読み、山を眺め、時に日帰りのクライミングに出かけている。彼らのクライミングは半端ではないようだ。日干ししている道具を見たが、50mロープ2本、アイススクリュー、アイスバーをはじめ大小さまざまなナッツ、カラビナなどなど。Big wallを狙っているわけではなく、楽しんでいるのだと。と言って、エヴェレストは過去に登頂しているそうだ。スペイン・ピレネーのガイドで、毎年のようにこの季節、1ヶ月はチュクンで過ごすとのこと。いい味をした山男達であった。

 1020チュクンを出発し、昼前にはディンボチェのLodgeEverestに到着した。アマダブラムが目の前の素敵なロッジ。今までのロッジ、テント生活と違い、人がたくさんだ。トイレも洋式だ。都会に戻ってきた気がする。今まで過ごしたMera PeakAmphuLabcha LaIsland Peakが遠い夢のようだ。



430日(火)Dingbocheディンボチェ(4410mto Lobuche(4,930m)

 今日も晴天。タムセルク(6618m)カンテガ(6783m)の美しい峰々を眺めながらカラ・パタールを目指す。
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Dingbocheディンボチェを0745に出発し、まずはトゥクラへ。トゥクラの手前の広い丘、ここにはエヴェレスト登山で亡くなったシェルパたちの墓がたてられている。ただ石を積み上げたケルンのようなものから、大きな墓石で作られたものまでおびただしい数である。その間を風が抜けタルチョがはためく。アマダブラム、タウツェ、チョラツェの鋭鋒が周りに聳え立つ。思わず涙がこぼれる。
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ヒマラヤ登山を支えているのはシェルパの人々。彼らがいなければどれだけの登山家がエヴェレスト登頂を果たすことができただろう。そして犠牲になっているのも、多くがシェルパの人々。今回の自分のピークトレッキングを振り返っても、ガイドさん、ポーターさんにどれだけ助けられたことだろう。
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ひときわ大きなお墓には”Rob Hall”の名が刻まれていた。難波康子さんも犠牲になったエヴェレスト大量遭難の時の隊長だった。息絶え絶えにニュージーランドにいる妊娠中の奥さんと衛星電話で言葉を交わした、そのエピソードはあまりに有名であり、その彼がここに葬られていたことに心を震わせる。どうやって遺体を降ろしたのだろうか。いや、遺体は山に残されたままなのだろう。祈りを捧げつつロブチェに向かった。
途中の急登でもまったく息が切れない。1130にはロブチェのロッジに到着。

(後日談:帰国後しばらくして、一通のSNSが届いた。「もしやして、トゥクラの丘でお会いしたのは、あなただったのではなかろうか」と。私がシェルパのお墓に祈りを捧げている時、素敵な日本人ご夫婦に出会った。日本語が久しぶりの私は嬉しくてたまらず、たくさんお喋りした。ところが奥様は私と同じ皮膚科医で、帰国後の会合で私のメル友に出会い、私のFBをみていただき、もしや430日のトゥクラの丘のあの日本人は「あなた」だったのではなかろうか、との顛末である。It’s a small world! 確かに世界は狭いけど、また私の世界は広がった。素敵な出会いでした。)


Dikさんから、隣のロッジで昨夜ポーランド人トレッカーが死亡したことを聞いた。遺体はさきほどヘリコプターで運ばれたそうだ。まだまだ油断はできない。今日は平成最後の日。明日から令和となる。


51日(水)Lobuche (4,930m) to Kala Patthar(5545m), back to Lobuche, and to Pangbocheパンボチェ(3930m

 0300 真っ暗な中、ロッジを出発。寒い!手袋は二重にして、間にホッカイロを挟んだが、それでもなかなか暖まらない。手以外はOKである。星が瞬いている。0500Gorak Shep (5170 m)到着。ここで朝食の予定であったが、早すぎたのかまだロッジが開いていない。手持ちのビスケットと紅茶で済ませて、カラ・パタールの登りへととりかかった。高所順応が順調とはいえ、やはりこの登り、つらい。会得したビスターリ、ビスターリの歩調でゆっくりと頂上を目指す。途中、エヴェレストの左肩から太陽が顔を覗かせた。

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あっという間に暖かくなる。カラ・パタールの後ろの
プモ・リ(7165mはすでに太陽の光で白く輝いている。0730、カラ・パタール頂上に到着。のんびり、ゆっくり過ごす。

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カラ・パタールの直下にエヴェレスト・ベースキャンプのテント村が見える。おびただしい数のテントが豆粒のように見える。今年のエヴェレストにはいったいどれだけの人が登るのだろうか。エヴェレストは逆光のため黒いシルエットだが、余計に不気味さが漂う。

 一人旅という日本の若者にカラ・パタールの頂上で出会う。「お幾つですか?」、「68歳です」、「エーーっ、ぜひ写真を一緒に写させてください!」。今度はこっちが「えーーっ」という番。「僕の目標です!」と。もう20日間も髭を伸ばしっぱなしで、その髭が真っ白だからだろう。よほど爺さんに見えるのか。ガックシ!

カラ・パタール下山時からの眺望。クーンブ氷河、その向こうにアマ・ダブラム(6814m)タムセルク(6618m)カンテガ(6783m)クシュム・カンガル(6370m
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ゴラク・シェプ(5140m)のロッジ群とクーンブ氷河
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ロブチェ(4910m)のロッジ群と、後方左にタウツェ(6495m)、右にチョラツェ(6335m)の鋭鋒
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1700、パンボチェの村にあるロッジ・カイラスに到着。この日の行動時間14時間!長かった。エヴェレストとの再会、そして日の出に感激し、足をひねって最悪の気持ちとなり、そして回復して安堵して、やっと着いた天国のようなロッジ。ジェットコースターのような一日であった。夕食のスープモモがとても美味しかった。この日はぐっすりと眠ることができた。


52日(木)Pangbocheパンボチェ(3930mto Khumjungクムジュン(3780m)

 今日も晴天。今回のトレッキングも残すところあと3日となった。Mera Peak以来、晴天の日が続いている。すべて計画通り、それも2日間前倒しで歩んでいる。Dikさん、アンビルさん、ダワさん、そしてこの晴天のお陰だ。人に、天に、感謝。0845、ロッジ・カイラスを出発。1000、タンボチェ。ゴンパ前の広場からエヴェレストを振り返る。エヴェレストはだいぶ小さくなったものの、ローツェ、ヌプツェを従え、近くにはアマ・ダブラムが美しく聳える。しばらく見入った。
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今日の行程はパンボチェ、クムジュン間で標高差は少ないが、途中のアップダウンは半端でない。最後の登りを終えて、クムジュンの村に入った。3年前の記憶のとおり、緑の畑に囲まれた家々が美しく、豊かな村だ。



53日(金)Khumjungクムジュン(3780m) to パグディン(2610m

 朝早くにはクンビラの頂が間近に見えていたが、0800の出発のころには曇り空となり、峰々は雲の中に隠れてしまった。別れの時か。パンボチェの丘まで緩やかに登り、ナムチェ・バザールまでは一気に下り、ナムチェではDikさんの事務処理を30分間ぐらい待ち、ナムチェからはDudh Koshi Riverに沿いながら何度も吊橋を渡って、途中ロバ隊の渋滞にひっかかったりしながらパグディンに1430到着。Dikさんが選んだロッジは、一番ありきたりの名前”Everest Lodge” 古くてさえない建物だが、ロッジのマスターはDikさんの師匠のような人。ギャルツェン・シェルパさんという。日本語が上手で、Dikさんがまだポーターをしていたころから指導を受け、とくにコックとしてたくさん教えられたとのこと。
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このギャルツェンさん、山野井泰史、妙子がギャチュンカン登頂を果たしたのち遭難しかかった時に、最後までベースキャンプで二人を待ち続け、二人を助けた人である。山野井さんがその時のことを「垂直の記憶」に著しているが、ギャルツェンさんはその中に登場する。夕食の間、その時の思い出を語ってくれた。夕食にいただいたチキンカリーはことのほか美味しかった。ギャルツェンさん、Dikさん、アンビルさんは、ラム酒を飲み始めた。私もすすめられたが舐めるだけにとどめておいた。
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54日(土)パグディン to Lukla(2,860m)

 この日は朝から雨。小降りになるのを待って0830、ギャルツェンさんと再会を誓って、別れを告げる。走るように快調にルクラへと歩む。


5
5日(日)霧、雨で飛行機は欠航、ルクラで停滞。


56日(月)ルクラ→ラムサップ→カトマンドゥ
 この日も悪天候で、やっとのこと1505離陸。
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1540ラムサップ空港着陸。空港ではアンビルさん(ポーターのアンビルさんとは別人)運転のジープが待ってくれていた。途中ひどい渋滞に遭遇したが、2200を少し回ったころ、カトマンドゥのサンセットビューホテルに到着した。1ヶ月ぶりのお風呂にゆっくりと浸かり、そしてビールを一人で乾杯。雄叫びこそ上げなかったが、大きな満足感に心が満たされた。トレッキングを支えてくれた皆に感謝、神様、仏様にも感謝、感謝。

明日は、神への祈りの日としよう。





by kobayashi-skin-c | 2019-06-16 15:45 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
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