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2020年4月『50年の時を刻むニセコ・チセヌプリ』 April 2020 "50 years of Niseko"
1970年5月、ニセコ・チセヌプリ。
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1970年、小林 仁は北海道大学医学部に入学。憧れていた北海道の山、スキーに誘われた。その中に、小樽潮陵高校から同じく北海道大学医学部に入学したスキーの上手い枝 衣子がいた。

北海道大学医学部スキー部が新入生勧誘のために企画した「5000円でニセコ春山スキー!」に魅かれて、二人は、ニセコの山で出会った。そのエピソードを昨年のスキー部部誌で綴ったので、その文面を皆さまにも紹介する。

「潰えた青春の思い出」

52期 小林 仁

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この倒壊した建物をみて「あっ!」と思う者はどれぐらいいるだろうか。ニセコ湯本温泉「チセハウス」、2018年冬、雪の重みで倒壊した。

余談になるが、昨年春、ニセコ五色温泉からアンヌプリへと春スキーを楽しんだ帰り道、ふと立ち寄った「チセハウス」の惨状を目の当たりにして、部誌「Ullr」への投稿を思い立った。「Ullr住所録の変更はございませんか、近況報告を投稿されますか」の電話を昨春現役生からもらったので、「投稿するよ」と答えた。執筆依頼の手紙でも送ってくるのかと思っていたら、そのうち昨年号の「Ullr」が届いた。というわけで、一年がかりで暖めていた「潰えた青春の思い出」を、あらためて今、パソコンに向かいながら書いている。

 私の記憶では「チセハウス」で春合宿を行ったのは、53期生が入学した昭和46年まで。その後の春合宿は同じニセコでも「国鉄山の家」、「五色温泉」に移った。私が北海道大学に入学したのは昭和45年。前年の昭和44年には、東京大学の入学試験が学生運動のため中止された。学生運動は当然北海道大学でも過熱し、大学封鎖が続いたため、今度は北海道大学の入学試験も中止になるかと危惧された年である。昭和454月、入学式はなく、4月も下旬になってから入学説明会のようなものがあった。その中の一つに「535日、5000円でニセコ春山スキー」の案内があった。高校時代は広島でバレーボールをやっていたので、迷うことなく北海道大学バレー部に入部し、5月の連休中には体育館での合宿に参加するよう指示を受けていた。医学部52組の教室では、ガラガラ声をしたマドンナのような女子学生を中心に、春山スキー参加のグループができており、私もフラフラとそのグループに加わることとした。

 53日当日朝、私はその前夜、あとにも先にも初めて!という女性からのナンパを受け、不覚にも二日酔いで寝過ごしてしまった。神に誓って言うが、ナンパされたと言っても「飲みに行っただけである」。札幌駅に急いで駆けつけたが、哀れにも急行ニセコ号は、目の前のホームを発車して行った。人生いろんな分岐点がある。しかし私の人生において、この時ほどの大きな分岐点は他になかったろう。まだ19歳、暮らし始めて2週間もたっていない北海道の地で、ニセコチセの名だけを頼りに、汽車に乗り、バスを乗り継ぎ、そしてニセコチセハウスにたどり着いたのだ。なぜ諦めなかったのか、その時の心情までは記憶していない。

 チセハウスではスキー部の先輩が温かく迎えてくれた。そしてスキー初心者の私をチセヌプリの頂上から滑らせてくれた。チセハウスにはイオウ臭い泥温泉があり、温泉のあとにはものすごい「新入生歓迎コンパ」が待っていた。薄暗いチセハウスの2階で、酒が注がれ、一気飲みの声援が上がり、やがて世にも卑猥な歌、踊りが目の前で繰り広げられた。大学生になったばかり、今までとまったく別の世界に足を踏み込んだことを実感した。そして、止むことのない猥歌、酒にひるむことなく笑顔を見せているマドンナ女子学生に不思議な魅力を感じた。

 ニセコから帰って、バレー部をやめて、医学部スキー部に入った。スキーが好きというよりも、先輩の魅力にひかれた。さらに、小樽出身でスキーの上手いマドンナ女子学生の存在が大きかった。スキーはさっぱり上手にならなかったが、5年間のスキー部ディスタンコ生活は苦しくも楽しく、先輩も同級生も後輩も、大好きな仲間ばかりだった。そして6年生の時には、そのマドンナ女子学生と結婚した。卒業後も郷里の広島に帰ることなく、北海道にとどまり、今の私がある。素敵な人生の分岐点を与えてくれた「チセハウス」。建物は潰えてしまったが、これからもわが心の青春の思い出であり続けるだろう。

 

 さて、もう一枚の写真もお見せしよう。

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20169月、夕張岳登山口に向かう際に撮影した写真。ダム湖と架けられたばかりの橋が見える。前年の2015年、夕張シューパロダムが完成し、大夕張の町は新しいシューパロ湖の底に沈んでしまった。寒い炭鉱住宅で布団を寄せ合い、クズ石炭ストーブの煙にむせながら、炭鉱病院の患者食を食べて、雪まみれになって「神社の坂」を滑っていた時代があった。こちらは「沈んでしまった青春の思い出」。


50年の時を経て、二人でニセコ・チセヌプリに登った。記憶が鮮明に蘇った。北海道は素晴らしい。二人の出会いに感謝。


50年の時を経ても山の姿は変わらない。衣子も変わらず・・・・。
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50年が過ぎた今も、元気に斜面を登る。そして頂上へ。
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そして、豪快に滑り降りる。シー・ハイル!
50年のときを刻む二人の歴史、見守ってくれた北海道の山々。
思い出のニセコ・チセヌプリに感謝。
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by kobayashi-skin-c | 2020-04-28 22:01 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
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