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2021年5月 『故郷広島へ、最終章』 May 2021 "My Home, Hiroshima"
広島の街に戻った。最近は毎年のように帰郷している。家族、友と元気なうちに会っておきたいし、広島カープを聖地マツダスタジアムで応援したい。

広島の街に帰るべき家はもうない。ホテルからみる広島市、幾筋もの川が流れ、その向こうに瀬戸内海、似島、江田島、宮島、瀬戸の島々が浮かぶ。
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平和公園に行き原爆資料館を訪れた。今はそれぞれ平和記念公園、平和記念資料館と呼ばれる。その原爆資料館時代、広島人としてあまり足が向くことはなく、客人をたまに資料館に案内するときも展示物を正視することはなかった。子供のころ、被爆の跡が町に残り、被爆の傷痕が人にも残っていた、その記憶があったためだろうか。久々に訪れた資料館はすっかりリニューアルされ、展示物が昔とまったく変わっていた。一人一人の被爆者にスポットを当て、被爆の状況、残された家族の悲しみ、生き延びた人のその後の人生を生々しく語りかけていた。一人一人の物語をじっくりと視た。驚いたのは、展示物の前から、みんながなかなか動こうとしないこと。多くの若者がじっと見入っている。原爆の無残さ、非情さを胸に刻み込んでいたのに違いない。自分にも涙が浮かんだ。
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ゴールデンウィーク中、広島の街ではフラワーフェスティバルが開かれていた。コロナ禍の中、人が集まるイベントは行われていなかったが、平和記念公園の芝生の上には、花文字で「それでも 花は咲く」と書かれていた。胸にしみる。


旅の最後、いよいよ聖地マツダスタジアムへ。この日は対巨人戦。上限1万人の観客数のいっぱいいっぱいが入場していたのだろう。スタジアムは結構赤く染まっていた。
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残念ながら、0 - 4 の惨敗。今年の不甲斐なさを象徴するような試合運びであったが、何人かの若手の登場があり、数年後の優勝が予感された。我慢のときだ!


夜は広島の街で、浪人生時代の友、皮膚科の仲間、沼田先生ご夫妻と「正弁丹吾」で食事。正弁丹吾へは親父もよく出かけていた。だからもう60年以上も続いているのだろう。瀬戸内海の美味しい魚と広島の名酒をいただいた。ご馳走さまでした。
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最後の夜、原爆ドームを訪ねた。「美しい」という言葉は似つかわしくないが、川面に映る姿は寂しげでもあり、綺麗でもあった。「戦争は犯罪でない」という。戦争で多くの人を殺した者が「英雄」と呼ばれる。このドームの中に、下に、まわりに原爆で倒れた広島の人々が居たことを忘れてはならない。戦争は犯罪でないのかもしれない。しかし戦争が「悪」であることは明白であろう。闇に浮かぶ原爆ドームがそう語りかける。


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故郷広島の旅から帰ると、北海道大学の構内にはまだ桜が咲いていた。日本は広いな、旅はいいな。

by kobayashi-skin-c | 2021-07-04 10:10 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
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