今年最後の旅に「熊野古道、お伊勢さん」を選びました。 この春には「四国八十八霊場の巡礼」を終え、夏には「ツールドモンブラン」。 そしてもう一度、祈りの旅です。 熊野古道を知るきっかけとなったのは、2004年ユネスコの世界文化遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」が登録されたことでした。以後ずっと熊野古道歩きに憧れていました。退職したことがきっかけとなり、祈りの旅へと背中を押された気がします。4月に四国遍路、そして熊野古道巡礼となると、いかにも神・仏の世界に入っていく敬虔な出家者を想像されるかもしれませんが、さにあらず。私にとっては、旅そして山登りの延長線上の楽しみかもしれません。こんな光景に憧れていたのです。 熊野古道について皆さまも良くご存知かもしれませんが、ちょっとだけ説明。 平安装束に身を包んだ女御さまが、奥深い山道を歩き、熊野本宮大社に参詣していますね。もちろん現代の写真ですが、熊野古道の光景としていちばん相応しいもので、皆さまもこれぞ「熊野古道」と思い浮かべることでしょう。 「熊野本宮大社」、そして「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」の三社を併せて「熊野三山」と呼びます。 歴史は古く、神代の時代にまでさかのぼりますが、 古代から中世にかけて神仏混交も相まり、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まりました。上皇・法皇・女院や庶民にいたるまで、旅人の切れ目がなく行列ができた様子から「蟻の熊野詣(もうで)」と例えられるほど多くの人々が熊野に参詣しました。 平安時代後期には白河上皇が12回、鳥羽上皇が23回、後白河法皇が34回、さらに鎌倉時代に入って後鳥羽上皇が28回と、皇族だけでも130年間で97回も熊野参詣がおこなわれています。和泉式部、在原業平、藤原定家などの名もあります。 「蟻の熊野詣(もうで)」と例えられるほど、なぜ人々に愛されてきたのか、その信仰的なバックグランドは歴史の本に譲るとして、私たちも歩いてそれを感じたいと思います。 熊野古道は、京の都から熊野三山を結ぶルートとして、古代から現代にいたるまで続いています。京都から大阪・和歌山を経て田辺に至る紀伊路、田辺から山中に分け入り熊野本宮を経て那智・新宮へ向かう「中辺路(なかへち)」、田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう「大辺路(おおへち)」、高野山から熊野へ向かう「小辺路(こへち)」、伊勢と熊野を結ぶ「伊勢路」、吉野・大峯と熊野本宮をつなぐ山岳修験道「大峯奥駈道」など、いくつかのルートがあります。 私たちは、もっとも多くの人が足を運んだ「中辺路」を、田辺市の「滝尻王子」から、「熊野本宮大社」へ。小雲取、大雲取を越えて「那智大社」。そして新宮の「速玉大社」へと歩みました。 上皇も、法皇も、女院さまも歩かれた参詣道。私たちには物足りないくらいかと想像していたのですが………… ここで一口メモ:「王子」とは? 京都から熊野三山にいたる途次、難行苦行の信仰の道をつなぐために設けられた神社。水垢離などの禊をおこなったり、和歌会、神楽などの法楽をおこない旅の安全を祈願する場でした。「九十九王子」と呼ばれるほど、たくさんの王子があったと言われます。現在、宮、社が残るのはわずかで、多くは碑がひっそりとたたずんでいるだけです。 滝尻王子を出発すると、いきなり急坂です。そして間もなく「胎内くぐり」の大岩が待ち受けてました。熊野三山は「甦りの地」と言われています。 熊野速玉大社が前世の罪を浄め、熊野那智大社が現世の縁を結び、熊野本宮大社が来世を救済するといわれ、熊野三山を巡れば、過去、現在、未来の安寧を得る「甦りの地」と考えられているのです。私たちもさっそくこの「胎内くぐり」をくぐり抜けて「甦りました」。けっこう狭いので(特に出口)、お腹周りが気になる方は、引き返した方が賢明です。 ![]() アップダウンを繰り返しながら杉木立の中を歩きます。足元はおおむね山道ですが、たいへんきれいに整備され、石段、石畳も続きます。 ![]() 紅葉もきれいでした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() この日の宿「民宿つぎざくら」に着いたのは、もう日が暮れかかるころでした。 「意外ときつかった!」。 この日歩いたのは、34,614歩、19.9km(のぼり1337m、くだり941m)、行動時間8:09でした。お宿のビールのなんと美味しかったこと!そして、夕食のなんと豪華だったこと。宿のお父さん、お母さんに感謝です。 12月2日、中辺路二日目。 翌朝お父さん、お母さんに見送られて出発。今日は湯峯王子(湯の峰温泉)まで。途中「赤木越」の難所もあります。まずは「継桜王子」にお詣り。境内の杉の巨木に抱かれ、新生、神聖な気持ちに。 ![]() ![]() ところが、この厳かな杉の木なのですが、歩けども、登れども、杉木立ばかり ![]() ![]() やっとのことで「湯峯王子」(湯の峰温泉)に到着。 ![]() この日歩いたのは、39,358歩、22.5km(のぼり1100m、くだり1478m)、行動時間8:26。 湯の峰温泉は「甦りの湯」とも呼ばれ、弱アルカリ性、肌がツルツルになりました。温泉で体を癒し、明日はいよいよ熊野本宮大社へ。 12月3日、熊野古道中辺路三日目。 早朝「湯峯王子」を出発し「大日越」の峠を越え、その先に「大斎原(おおゆのはら)」の大鳥居が目に入ってきました。熊野川の中州にあり、かつての熊野本宮大社はここに建っていました。明治22年の水害で大半が流出し、今の場所に遷座したとのことです。 ![]() さあ、さらに難行苦行が続きます。後半戦の記事にご期待ください。
by kobayashi-skin-c
| 2023-12-28 06:36
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