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2012年7月 『Mt Kebnekaise & Kungsleden (王様の散歩道))』
2012年7月1日夕刻、 第3回世界乾癬・乾癬性関節炎会議とIFPA会議が終了した。同日17:50ストックホルム中央駅発、ノルウェー北極圏の町ナルヴィーク行きの寝台列車に乗り込んだ。17時間後の翌2日午前10:30、鉄鉱石で有名なキールナ着。さらに路線バスを使ってニッカルオクタまで行き、そこから憧れのKungsleden(王様の散歩道)のトレッキング、そしてスウェーデン最高峰Mt. Kebnekaise登頂を目指した。

c0219616_14411582.jpgc0219616_14412788.jpgストックホルム中央駅の出発ホームは大きなバックパックやら、釣りの道具を抱えた大勢の人々であふれていた。今回の旅でKungsleden、Mt. Kebnekaiseを目指したもう一つの理由に、「白夜の地を訪れてみたい」との願望があった。北へ北へと向かう寝台列車の車窓は、11時を過ぎてもまだ明るく、うつらうつらとしながら、いつ窓の外を見ても空の雲にはうす明かりが差していた。ストックホルム近郊は牧場と、広葉樹の森が多くみられたが、次第に森は針葉樹ばかりとなり、そしてたくさんの湖が現れては通り過ぎて行った。惜しむらくは、列車の窓が汚いこと。曇っていたせいもあるが、車窓の景色はうすぼんやりとしていた。

c0219616_14445750.jpgc0219616_1445197.jpg白夜の大地を疾走する国際寝台列車の旅。充実感と、緊張感を味わいながら、汽車は北極圏へ。途中かわいい駅を通り過ぎる。キールナ駅にはほぼ定刻通り、翌7月2日の10:30amに到着。ここでは多くの例の大きなリュックサックを背負った人たちが降り立った。

c0219616_14504644.jpgバスの終点ニッカルオクタから、Kungsleden(王様の散歩道)を歩き始める。Kungsledenは、ノルウェー国境に近いスウェーデン・ラップランド地方にある世界でも名だたるトレッキングコース。その全長は440㌔にも及ぶ。白夜の大地には、万年雪の山々が聳え、氷河が流れ、トナカイが群れる高地、可憐な高山植物が咲き誇る草原が広がる。と言っても、歩きはじめは雲と霧と雨で視界が悪く、気勢は上がらなかった。

翌朝7月3日、雨はやみ晴れ間がのぞいていたが、風が極端に強く、この日のMt Kebnekaise登頂は諦めて、SingiまでのTrekkingを楽しむこととした。

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3泊したKebnekaise Mountain Station(7月3日夕刻に撮影)。190ベッドが備わった山小屋(感覚的にはホテル?)で、食堂(レストラン?)のほかに自炊施設も充実、そしてサウナもあったのには驚いた。宿泊したのは、10人部屋のドミトリー。鼾はうるさかったものの楽しい仲間たちであった。Kungsledenには15~20㌔ごとに規模はもっともっと小さいが山小屋があり、食料を持たなくてはならないものの、宿泊は確実に提供される。


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Singiの山小屋。Kebnekaise Mountain Stationから14㌔の所。風が強く、山小屋の中で昼食をとらせてもらった。ベッド、自炊施設の充実ぶりがお分かりか。北海道の避難小屋も、「かく、ありなん」。


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トナカイの群れを見つけた。トナカイは臆病(人間嫌い)で、望遠レンズでも撮影はなかなか難しかった。それもそう、Kebnekaise Mountain Stationの食堂では、トナカイのステーキが供されていた。


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午後からはさらに晴れ間が広がり、風も弱まってきた。万年雪の山々、可憐な花々(白い花はイワウメか、ピンクの花はチシマツガザクラ?、そして北極ヤナギ)が出迎えてくれた。


翌7月4日、快晴の朝を迎えた(といっても、白夜のなのでいつから朝と言ってよいのか、・・・・・・)。いよいよこの日はMt Kebnekaiseにチャレンジ。氷河コースを辿りたかったが、氷河コースはガイドなくしては登山禁止で、すでに予約で一杯であったため、氷河を迂回する一般登山道を選んだ。
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途中までガイドツアーの後ろをついて行ったが、ガイドから「You cannot be with us!」と言われてしまった。ピッケル、アイゼン、ハーネスは必携とのこと。残念。


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迂回コースも途中からは万年雪の上。朝早く出発したため、日陰ではまだ雪が凍っていたので、スリップ・滑落が怖かった。ストックをしっかり使いながら登り続けると、やがて眼下には氷河が広がり、見渡す限り、雪と氷にまとわれた白い峰々が果てしなく続いていた。そして真っ白な雪田の向こうにKebnekaiseの頂が現れ、登りつづけると、やがてその頂は自らの足で踏まれることとなった。感激の瞬間であった。Kebnekaise Sydtoppen(ケブネカイセ南峰)2114mに到達である。頂は細い雪稜上にあり、両側はすっぱりと氷河へと落ち込んでいた。


この日も、可憐な花々に魅了された。北海道の高山植物とそっくりなのには驚かされた。北海道では、大雪山などの峰々の上にのみ生き延びた花々が、ここ北極圏では当たり前のように、いたるところでその命を広げていた。
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Kungsleden、Mt Kebnekaiseは、今までに経験したことのない景観であり、初めての北極圏の雰囲気に感動した。景観とともにスウェーデンの人達の暖かさも素晴らしかった。マウンテン・ステーションの同室の人達も楽しく、夕食の自炊室では一緒にビールを飲んだ。道ですれ違う時は「へ-イ!」。それがスウェーデン式あいさつ。みんなとてつもなく大きなリュックを背負っていたが、息を切らさず大きな声で「へーイ!」。たくさんの元気をもらった。
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下山したキールナの町で。白夜の夕陽に照らされて、
赤い教会と、青い空と、白い雲が、目に染みついた。「また来たい」、そんな余韻が残ったスウェーデン・ラップランドの旅だった。
by kobayashi-skin-c | 2012-08-29 14:49 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年7月 『第3回世界乾癬・乾癬性関節炎会議(ストックホルム)』
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2006年に続いて2回目のストックホルム。美しい街だ。
氷河が削った複雑な入り江、湖の水辺に街並みが広がる。街は整然として、緑も多い。


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対岸の街並みは旧市街ガムラスタン。「魔女の宅急便」のモデルの街となったと言われている。


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福祉国家で有名なるスウェーデンは、なんと今も王国。カール16世グスタフ国王が統治する。橋の欄干には王冠の飾り、対岸の大きな建物が王宮。


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メーラレン湖の向こうに建つ赤いレンガ造りの市庁舎。ノーベル賞授与式のあと、ここで晩餐会、舞踏会が催される。


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旧市街大広場、早朝。朝日を浴びた建物が美しかった。広場にはまだ日が射していないが、16世紀半ば、デンマークの侵攻に抵抗したスウェーデン貴族・高官がここで処刑された。「血の広場」とも呼ばれる。


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世界乾癬・関節炎会議の会場となったウォーターフロント会議場の大会議室。前面は壁いっぱいがガラス窓で、正面に市庁舎、メーラレン湖が眼前に広がる。そのパノラマは映画のスクリーンを見ている様。


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本当に水辺が美しい。水面に映る古色ゆかしい建物、汽船。


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ハマナスが咲いているのを見つけた。そういえば6年前のストックホルムではライラックが満開だった。そう、ストックホルムは札幌に似ているのだ。
by kobayashi-skin-c | 2012-07-26 13:21 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年5月 春の北大キャンパス
この冬の北海道は雪が多く、4月に入っても例年より寒い日が続いていた。ネパールの休日ののち札幌に帰ってくると、北大キャンパスでは春爛漫の花々と木々が待っていた。一期一会の出会いがそこにはある。

春がすみの北大キャンパス。新芽の木々の葉があたかも紅葉のような色を見せた、春紅葉。
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恵迪の森では花々が咲き乱れていた。
オオバナノエンレイソウ。
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ニリンソウ
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エゾエンゴサク
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旧理学部校舎(現博物館)前のクロフネツツジと枝垂れ桜
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中央ローンの緑の芝、モデルバーンの赤い屋根
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北大農学部農場にて
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by kobayashi-skin-c | 2012-05-29 22:58 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年5月 I Love Nepal. ネパールヒマラヤ再訪記(ランタン谷トレッキング)No.2
ネパールで出会った仲間たち、山で出会った花々。

美しい山々との出会い以上に、素晴らしい、素敵な仲間との、大好きな花々との出会いがあった。だから、Again, I LOVE NEPAL.

パタンの町のヒンドゥーのお坊さん。なにやら偉そう。
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バクタプルの町で。地元の高校生と。
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バクタプルの町で突然、「一緒に写真を撮ろう」と声をかけられた。インドから来た研修旅行中の学校の先生達。
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バクタプルの街中で。街角のいたるところにこうしたパティと呼ばれる休憩所がある。たいていは男がたむろしている。
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マッチェンドラナート祭にやってきた子供たち(パタンにて)
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カトマンドゥ出発の朝。登山口シャブルベシまで我々を運んでくれたランドクルーザーの前で。左端が運転手さん。左から二番目がNepal Himalayan Village Treks & Expedition (P) LTD.の社長Pitamber Gurung氏、右から二番目が名ガイドのDilli Gurung氏
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シャブルベシ出発の朝、ドイツ人夫妻のクラウスとレナーテ、そして彼らのガイドさんと。クラウスとレナーテの二人はランタン谷トレッキングの間、いちばんの仲間、話し相手となった。
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大切なトレッキングの仲間、ネパール式トイレ。
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ランタン村にて(左から我々のポータさん、ガイドのDilliさん、ドイツ夫妻のポータさん)。みんなで一緒に「はい、ポーズ!」
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ランタン村で一緒になったロシアからの女性トレッカー。
女一人での山歩き、そして半ズボン姿に驚かされた。シベリアのノボシビルスクに住んでいるのだそうだ。寒さに強いわけだ。
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高山に咲くアヤメ。高さは10センチほど。空の青さを映したかのように、濃い青色。
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ネパールリンドウ。直径1㌢足らずのほんの小さな薄紫色のリンドウの花。
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サクラソウは北海道で見るエゾコザクラに比べると花が房状で大きい。園芸種の西洋サクラソウ(プリムラ)にそっくり。
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キャンジンゴンパのロッジとテントを切盛りしていた女将さんたち。子供の頭を洗っていた。写真をうつしたら、私のスカーフをよこせと言う。子供の髪が薄いので頭に巻くのにちょうど良いと言う。だいじなスカーフだからと、丁重にお断りした。お互い片言の英語と身振りで、たぶんそんな会話だったのだと思う。
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ロッジの調理場はポータさんたちのたまり場でもある。カマドの火であたたまりながら談笑している。
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ジャガイモは南米アンデスが原産地であるが、地球を半周してここヒマラヤでも主食の一部を担っている。小さな茹でたジャガイモをヤクバターとヤクチーズを添えて食べた。
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ランタン谷の道を、馬に乗った地元の人も行き交う。ここは生活道路。
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畑の石垣で遊ぶ子供たち。
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ロッジの女将さんと談笑するDilliさん。ガイドにとってロッジの女将さんに気に入られることは大切なこと。
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ポータさんは、何でも運ぶ。鶏を6羽担いで歩いていた。
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ランタン谷ではラバの荷運びも多かった。そのせいで、道にはフン、フン、フン。
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マメ科の黄色い花が満開だった。
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シャクナゲの花はとにかく見事の一言に尽きる。標高の低いところから赤→ピンク→白と花の色が変わっていった気がするのだが、そんなことはないだろうか。
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ロッジのひとこま。日本の北アルプス辺りの山小屋に比べると十分なスペースがあると言える。持参のダウンシュラフに加え、毛布の貸し出しもあり、それに湯たんぽを頼むと、4000mに近いロッジでも十分に暖かく寝ることができた。
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トゥーロシャブルのロッジで、ガイドのDilliさんが女将さんを手伝って「モモ(チベット風餃子)」を握る。私も余興に日本風の餃子を1個仕立てた。向うに座るのは米国から来たカップル。
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バンブーロッジにて、フランス人カップルのジェシカとセザール。1年間の休暇を取り、世界一周の旅の途中。今回私たちは人生で一番長い休暇を取ったが、連休を合わせて全部で15日間。
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赤いシャクナゲ(ラリグリス、ネパールの国花)。
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トゥーロシャブルでであった姉妹。ランタン谷一帯にはタマン族の人たちが暮らす。
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ラウナビナへの登り道、シャクナゲ林の中で、イタリアのシチリアから来たアルベルトに出会った。3ヶ月の旅行も終盤。そろそろお金が尽きたとのこと。アルベルトも完全に”Himalayan Virus”に侵されている。
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ピンクのシャクナゲ。
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サクラソウ。
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ラウルビナのロッジは、客が少なかったせいか食堂のストーブは早々と消された。零下の気温、あとはフル装備で寝るだけ。3900mの標高にいても、だいぶ高度順応ができていたせいか頭痛もなく、食欲も戻って快調ではあったが、眠りに落ちるとすぐに息苦しくなり安眠はできなかった。
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色とりどりのシャクナゲ。
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ラウルビナでガーネッシュヒマールを背景に、Dilliさん、衣子、修行僧、ポータさん。4000mの高さで気温は零度前後というのに、修行僧の装束は一枚の布切れを巻いただけで下は裸。足は裸足で、このあと山道を走るように登って行った。Dilliさん情報で、修行僧はヒンドゥー教徒で聖地ゴサインクンドへの巡礼の途中。一言も喋らない無言の行を10年間続けているとのこと。
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イギリスとスイスから来たカップル(ラウルビナのロッジで)
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ラウルビナのロッジのマスター父子。14歳の子供は学校に行っていない。将来はコックになりたいそうで、私たちの夕食も朝食も彼が作った。日本だとこのお父さん、さしずめ児童虐待で訴えられそう。
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もう一人出会った修行僧。彼は英語でよく喋りたいへん上機嫌であったが、下山後のDilliさん情報によると、このあと高山病で動けなくなったらしい。昨日は、酸素マスクを付け、竹篭に背負われた日本人トレッカーが下山させられている姿を、この辺りでみかけた。
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ラウナビナからの下り道で、またジェシカとセザールに出会った。彼らは聖地ゴサインクンドを経てカトマンドゥまで歩いて帰る。
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下り道で突然現れた山羊たち。
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薪を運ぶ子供たち。5歳ぐらいから10歳ぐらいであろうか。私たちに笑顔を向けてくれた。私は、「頑張ってね」と声をかけた。ネパールの将来を背負う子供たち。その将来がいつまでも薪なのか、あるいはそれが便利な石油、自動車に変わっていくのか。どれが、何が、幸せなのか? 子供たちが担うネパールの将来について、とにかくみんな幸せでいて欲しいと祈った。
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さようなら、ランタン谷。さようなら、ネパール、ヒマラヤ。また逢う日まで、しばしの別れ。
by kobayashi-skin-c | 2012-05-29 21:16 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年5月 I Love Nepal. ネパールヒマラヤ再訪記(ランタン谷トレッキング)No.1
ネパール・ヒマラヤには、きわめて強力な病原体の”Himalayan Virus”が棲息し、訪れた多くの人が「ヒマラヤ山岳病」に罹ってしまうと言われている。私と衣子も、2012年正月にダウラギリ・アンナプルナトレッキングでネパールを初めて訪れたとき、このウイルスに罹患したようで、日本に帰ってからも夜な夜なヒマラヤの写真・本を見ては目が冴え不眠に悩まされ、ため息が止らなくなっていた。

その治療にはどんな薬も無効であり、ヒマラヤをまた訪れるしかない。私たちは治療のため、再びネパール・ヒマラヤを訪れることとした。ヒマラヤに分け入ったイギリスの探検家ティルマンが、1942年に述べた「世界一美しい谷、ランタン谷」。その最奥のキャンジン・リ(4550m)に登ることが今回の目標である。

“Himalayan Virus”にとりつかれた私たちは、旅行会社が設定したお決まりの日程・コースでは十分に癒されないと考え、今回は、往復の飛行機、現地での宿、そして山のガイド・ポーターも自分達で決めて手配することとした。その手配には、カトマンドゥのサンセットビューホテルの支配人HIROKOさんにたいへん世話になり、トレッキングのアレンジ、ガイドはNepal Himalayan Village Treks & Expedition (P) LTD.のPitamber Gurung氏、Dilli Gurung氏にお願いした。

 4月25日に札幌を出発し、成田からインド・デリーへ、一泊してカトマンドゥへ。そして4月28日から9泊10日間、ランタン谷に分け入った。

サンセットビューホテルから歩いてほど近いところに古都パタンがある。パタンは16~17世紀に栄えた王都。トレッキングの前、4月26、27日町を散策した。赤瓦が美しい王宮、寺院が建ち並び、ちょうどマッチェンドラナート祭(雨と豊穣の祈りの神)の時で、巨大な山車がゆっくりゆっくりとパタンの町を練り歩き、たくさんの人々で賑わっていた。
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王宮広場の一画に、"ネワールの飲み屋"と「地球の歩き方」に紹介されていた食堂があった。「ウォー」と呼ばれるネパール風お好み焼き屋さん。これが美味しかった。地酒の「チャン」もいただいた。満腹になって、いい気持ちになって、二人で140ルピー(約140円)。
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カトマンドゥ郊外のもう一つの古都、バクタプル。ひっそりと昔のままの姿を残す美しい町。
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4月28日、トレッキングの出発点はシャブルベシ村(1460m)。カトマンドゥからはジープで5時間のところ。村に一泊して翌朝(29日)、タルチョがたなびく吊橋を渡りトレッキングの開始だ。ランタン谷のはるか奥深くに、白い頂きが見えていた。今日は標高2340mのラマホテルまで。ランタン・コーラ(川)の左岸を、登ったり下ったりまた登ったり。谷は深く両岸は断崖絶壁。ときどき絶壁の切れ間にヒマラヤの高峰が顔をのぞかせる。渓谷の美しさを堪能しながら上流へと向かった。ラマホテルとは、ラマさんが最初に茶店とロッジを建てたのが始まりで、今は数軒のロッジが建ち並ぶが今もラマさんのホテルの名で呼ばれている。そのラマさんと写真に写った。
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4月30日、ラマホテル(2340m)からランタン村(3330m)へ。深い森の向うに真っ白なランタンリルン(7225m)、ランタンⅡ(6571m)が目に飛び込んできた。感激の一瞬。さらに途中、シャクナゲ林を通り過ぎようとしたが、あまりの美しさに見惚れたり、カメラのシャッターを押し続けたり、歩みが止ったままとなった。
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ランタン・コーラが作りだしていた深い谷、うっそうとした森林は次第に消え、標高3000mを超えるあたりから緑の草原となった。そして、ランタン・リルンを主峰とするランタンヒマールの山々の麓をたどり、奥には白く輝くガンチェンポ(6387m)をはじめとするガンジャーラヒマールの山々がどっしりと聳えている。シャクナゲの花が咲き誇っている。ここは桃源郷?
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ランタン村の入口には水車で回るマニ車(チベット仏教の経文が中に入った仏具、回すと経文を読んだのと同じご利益を得ることができる)があった。ランタン村は地元の家々に加え、多数のロッジ、寺院があり、チーズ工場兼ベーカリーもある大きな村だった。民家ではヤクも飼われていた。
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ランタン村の標高は3330m。そろそろ高山病の症状が現れる高さだ。持参したパルス・オキシメーターで頻繁に酸素飽和度を調べてみたが、深呼吸をすると90%以上を維持することができており、高山病の心配は無いように思った。しかし夜ぐっすりと眠れないのが気がかりではあった。

5月1日、ランタン村(3330m)からキャンジンゴンパ(3730m)へ。今までの3日間、午前中は雲ひとつない青空だが、お昼前から高い山の頂に雲が出始め、しだいに空一面に雲が広がり、夕方ごろになると雷が鳴ったり、雨がさっと降ったりした。そして夜からは星空となり、朝にはふたたび雲ひとつない青空という具合の天気が続いていた。朝はできるだけ早く出発できるよう、寝る前に翌日の荷物の準備を済ませ、朝食は簡単に短時間で済ませるようにした。この日の行程では、もう昼前にキャンジンゴンパに到着し、午後いっぱいは高所順応のため、キャンジンゴンパの村の散策、ゴンパでのお祈り、そしてキムシュン氷河の舌端、4000mを超える地点まで散歩を楽しんだ。とは言うものの、さすがに富士山山頂を超える標高では呼吸は荒く、足が重くなる。山に入ってから睡眠不足気味なのだが、昼寝はご法度だという。眠ると呼吸が浅くなるため酸素の取り込みが悪くなり、高山病に陥りやすいのだ。
 この日の夕方は、空一面に広がっていた雲に切れ間ができ始め、ガンチェンポ(6387m)、ポンゲンドクプ(5930m)、ナヤカーン(5844m)のガンジャーラヒマール、ドルジェヒマールの山々が夕陽で朱色に染まった。神々しいまでの美しさにうっとりと見惚れた。
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しかし見惚れていたのは私だけで、衣子は嘔気と頭痛のため夕食を食べることができず、はやばやとシュラフに入り込んでいた。夜中には、吐き気を抑えることができず何回も嘔吐した。頭痛、嘔吐、不眠の三つが揃えば、これは完全に高山病と考えられる。同宿していたドイツ人夫婦のレナーテとクラウス、そしてフランス人カップルのジェシカとセザールが心配してくれた。心強い限りであるが、パルスオキシメーターは、私の酸素飽和度よりも衣子のそれのほうが高いことを示していたので、診断は「高山病ではなく、疲労と緊張であろう」と確信した。レナーテが「私には同じ女性としてよく分かるわ。緊張がそうさせているの」と暖かくいたわってくれた。
 ガイドのDilliさんの心配もひとしおであったが、「すぐに下山させる必要はない。衣子の朝の状態をみて、明日の行動を決めよう。予定は夜明け前にロッジを出発し、キャンジン・リを目指そう」と打ち合わせた。

5月2日、衣子の嘔気は朝までおさまることなく、胃液だけの嘔吐を繰り返した。二人とも、また、ほとんど眠ることができなかった。その状況の中で「ロッジで休んでいなさい。僕はチョット!?、登ってすぐに戻ってくるから」と、夜明け前、衣子に提案した。「何を言っているの!私も登るわよ、具合が悪ければ途中で引き返すわ」と答えが返ってきた。従うしかない。私が「絶対に登ってやろう」と思っているのと同じように、衣子もそう思っているのがひしひしと伝わってきた。
 夜明け前にロッジを出発。私はカメラだけをぶら下げ、衣子は空荷。Dilliさんとポーターさんが、温かいお茶とビスケット、果物を持ってくれた。道はすぐに急勾配の山道となった。「ビスターリ、ビスターリ(ネパール語で「ゆっくり、ゆっくり」の意)」とDilliさんが声をかける。息が切れる。心臓が飛び出さんばかりに鼓動を打っている。ふと見上げるとランタン・リルンの頂に朝日が当たっている。ほどなくランタンコーラの対岸のナヤカーンにも朝日が差し始めた。美しい、しかし、つらい。そして寒い!零下10℃ほどだ。空は黒いほどの青さ、ヒマラヤンブルー。日が高くなるにつれ山々はその白さを増す。足下を見るとサクラソウが青紫色の花を咲かせている。深呼吸を繰り返しながら一歩一歩、足の幅だけずつ前に前に、上に上に進む。心配していた衣子の状態はと言えば、私よりも平気な顔で先を行く。それもDilliさんとお喋りしながらである。私は息が切れて喘ぐばかり。喋ることもできず、ときおりふっと気を失うような、陶然とした心地となっていた。おそらく酸素不足の脳障害が軽く現れていたのではなかろうか。

朝日を浴びるランタン・リルン(7225m)
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ランタンコーラ対岸のナヤカーン(5844m)
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キャンジン・リの頂のタルチョがはっきりと見えてきた。少し足が軽くなってきた。私がしばらく先行する。そして頂上の手前、衣子に道を譲った、「Lady, first」。あのコンディションの中で一生懸命に頑張ったのだろう、頂上に着くなり衣子の目からは大粒の涙がこぼれた。4550mの頂は、ヒマラヤにおいてはほんの丘の上なのだろうが、私たち二人にとっては感激のひと時であった。Dilliさんに、「ありがとう」。そして、しばし360度のヒマラヤの展望に時を忘れた。

タルチョ(祈願旗)の向うにランタンリルン(7225m)。チベット語で「ランタン」は「雄牛(ヤク)がたくさんいる平原」の意、「リルン」は「大きな山」の意。
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ランタンリルンとリルン氷河
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キムシュン(6745m)とキムシュン氷河・アイスフォール
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ランタンリルン(7225m)は端正な姿だが人を寄せ付けないような岩壁で纏われている。1978年、大阪市立大学山岳隊が幾多の失敗、犠牲を重ねながら初登頂した。
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しばし時を忘れ見入り続けた。
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キムシュン(6745m)の頂上直下から雪崩が斜面を走った。
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頂上でいただいた熱い紅茶とビスケットは喩えようもなく美味しかった。Dilliさん、ポータさんに感謝。
頂上ではフランス人の仲間達に会った。みんなのむくんだ顔が笑顔ではじけていた。
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群青色の空、白い氷雪の峰々はいつまで眺めていても見飽きなかった。また一段と強烈な”Himalayan Virus”が脳に入り込んだようだ。名残りを惜しみながら「ビスターリ、ビスターリ」と下山した。

この日は、午後になっても気持ちの良い快晴が続いていた。ぽかぽかと暖かく、疲れていたとはいえ気持ちは晴れ晴れとしていたので、午後からランタン・コーラ沿いの道を奥へ奥へと進んだ。どっしりとした三角錐のガンチェンポ(6387m)、奇岩の塊のようなランシサ・リ(6427m)、道を曲がるたびに次々と別の美しい山並みが姿を見せる。最奥のランシサ・カルカまで行くとチベットに聳え立つ幻の8000m峰、シシャパンマも見ることができるというが、日暮れを気にしながら途中で引き返した。草を食むヤクの群れが目をなごませた。
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キャンジンゴンパから今日登ったキャンジン・リを仰ぎ見る(右から二つ目の少しだけ雪をかぶった黒いピーク4550m)。
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その日の夜、衣子の食欲はまだ戻らなかったが嘔気と頭痛は消えていた。この日一日、よく頑張ったと思う。素晴らしいヒマラヤ、ランタン谷の一日であった。

5月3日、キャンジンゴンパ(3730m)からリムチェ(2440m)へ。この日の朝も快晴で、朝日に輝くランタンリルンが私たちを見送ってくれた。振り返り、振り返り、ゆっくりとランタン谷を下った。瞼の奥の奥まで永遠にこの光景が残ってくれるよう、心に祈りながら。
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5月4日、リムチェ(2440m)からトゥーロシャブル(2210m)。たった230mの標高差を下るだけの一日、ではないのである。まずはランタンコーラの河岸を下ったり登ったりを繰り返し、1610mのランドスライドへ。ランドスライドからは別の川沿いを緩やかに登って、高くて長い長い吊橋を渡って、そして段々畑の中の急坂を登り返して、尾根の上の村トゥーロシャブル(2210m)へといたるけっこう力の入るコース。しかし、高所順応ができた体には快適な山歩きとなった。トゥーロシャブルのロッジには暖かいシャワーがあり、冷えたビールも準備されていた。なんだか、とっても豊かで満ち足りた気分となった。

トゥーロシャブル村から続く段々畑。小麦が植えられていた。
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途中の高くて長い長い吊橋。Dilliさんが撮影してくれた。
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トゥーロシャブルの村にて
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5月5日、トゥーロシャブル(2210m)からラウルビナ(3900m)。この日は一気に1700mを上って、約4000mまで。すでに高所順応できているから可能な登行。さすがに息は切れたが、このトレッキング中で最難のコースも意外と平気に登ることができた。衣子はいたって快調であった。3000mを超えるあたりまでは、ずっとシャクナゲ林の中を歩いた。白とピンクの花をいっぱいに咲かせるこんな大きなシャクナゲの木を、日本では見たことがない。沈丁花の花も見かけた。3000mを超えてからは木が少なくなり、今度は地面に可憐な花々が咲き乱れていた。黄色のキク科の花、白と薄紫のスミレのような花、小さなネパールリンドウ、紫のサクラソウ。絨毯のように花々が広がっていた。しかし、登山道はそのお花畑を行く筋にも切り裂くように入り乱れ、土はえぐられ、心が痛んだ。聖地ゴサインクンドにいたる山道で、トレッカーだけでなく巡礼者が多いためとのことであった。この日は午前から雲が多く、途中小雨が降ったり、チョランパティでは霙から雪に変わった。雪を避けるために寄った途中のチョランパティでは、バッティ(茶店)で食べた昼食の「シャクパ」(チベット風、シェルパ族が作る麺と野菜が入ったスープ)がたいへん美味しかった。
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5月6日、ラウルビナ(3900m)からドゥンチェ(2030m)へ。ラウルビナは、このあたりいったいでは随一の展望台。ランタンリルンをはじめとするランタンヒマールの山々に加え、間近にガーネッシュヒマールを望み、遠くにはマナスル、アンナプルナの8000m峰まで見渡すことができる。ラウルビナは聖地ゴサインクンドに向かう途中の尾根の上にある展望台で、3軒のロッジがあった。
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ラウルビナ(3900m)からの約2000mの下山路はほぼ下りだけ。途中3000mあたり、シンゴンパの村までは尾根上の道で高山植物やシャクナゲの花を愛でながら、緩やかな道を下っていった。花に囲まれたシンゴンパはさしずめ「桃源郷」の中の村だった。
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シンゴンパを過ぎると道は一気に谷底に向かう急斜面となった。この道を登るのではなく、下っていることに安堵した。やっとトリスリコーラの河原に近づいたころ、今回のトレッキングは終了した。人で賑わう街道沿いの町ドゥンチェに日が傾く頃到着した。達成感と、喪失感がないまぜとなった心境。とにかくたくさん感激して、感動して、ますますネパール・ヒマラヤが大好きになった。”Himalayan Virus”はまだまだ私達の体内、脳内に居続けるだろう。

HIROKOさん、Pitamber さん、Dilli さん、ポータさん、山であった多くの仲間たち、お世話になったロッジの女将さんたち、ネパールの人々に心から感謝。

(この旅行記に記した標高について、文献によりその値に差があるため、「NEPA MAPS (Paolo Gondoni)、Lantang National Park」の記載に従った)
by kobayashi-skin-c | 2012-05-27 20:42 | PHOTO & ESSAY | Comments(1)
2012年4月 春のきざし
今年の札幌は例年になく春の訪れが遅いようです。
山々にはまだ深い雪が残っています。その残雪を踏みしめながら、春のきざしに包まれてきました。

塩谷丸山にて。
私達にとって定番の山。いつの季節に行っても美しい眺望を与えてくれます。今回は初めての残雪期の登山でしたが、頂上からの白い山々、青い空と海の展望に感嘆の声を上げました。つぼ足で十分でしたが、途中で追い抜いてくれた若者が居なかったら、ラッセルにきっと音をあげていたことでしょう。
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雪解けが進む沢辺に、もうヤチブキ(エゾノリュウキンカ)の花が咲いていました。春ですね。近くの森では、クマゲラが一心に幹をくりぬいていました。
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支笏湖、風不死岳にて。
残雪の急こう配を登ること約2時間、素晴らしい眺望を得ることができました。でも残雪はけっこうぬかるんできており、何度も腰まで埋まってしまいました。
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春のきざしは食卓にも届きました。
レストラン "Le Musee" にて
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by kobayashi-skin-c | 2012-04-19 12:15 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年3月 知床の春
骨折のリハビリ・療養を兼ね春の知床を訪ねた。温泉にゆっくりと浸り、のんびりと雪原を歩き、流氷に感動し、かわいい動物たちと触れ合った。

雪原の向こうに羅臼岳(1661m)を望む。
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知床連山(右端が羅臼岳、左端が硫黄山1562m)と、鹿たちと、そして左腕が不自由な私。
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オホーツク海を埋め尽くす「蓮の葉」氷。フレべの滝展望台から。
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海一面の流氷が夕日に照らされる。
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知床連山のアーベントロート。
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氷上のカモたち。
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梢のオオアカゲラ
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雪に覆われるまだこの時期、いっしんに樹皮を食べる鹿。
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by kobayashi-skin-c | 2012-03-17 17:46 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年2月 苦い思い出
症例:60歳、男性。2012年2月15日、札幌国際スキー場オフピステを滑走中に木に激突。自力で下山し、札幌市松田整形外科記念病院院長、菅原 誠先生を受診。左鎖骨、多発性肋骨骨折で気胸も疑われたため、市立札幌病院に救急車で搬送された。
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左鎖骨遠位端で骨折、変位があり、左肋骨第2,3,4の多発性骨折が認められる。
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胸部XPで明らかな気胸の所見はみられないが、左下肺野に胸水あるいは血胸の所見がある。CT検査では骨折した肋骨による胸膜の強い変形はみられるが、気胸の所見はない。

市立札幌病院整形外科の平地先生の適切な判断により、翌々日に左鎖骨骨折部の金属プレート接合手術が行われた。
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木にぶつかった瞬間、尋常ではないことを悟ると同時に、激しい後悔の念にとらわれた。案の定の重傷であり、診療を休まざるを得ない状況となった。苦い経験、と同時に貴重な体験でもあった。救急車、入院、全身麻酔下での手術とすべてもがはじめての体験となった。
by kobayashi-skin-c | 2012-03-17 17:28 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2012年1月 神々が生まれ、神々の棲むところ『ヒマラヤ』
新年明けましておめでとうございます。
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2012年の初日の出は、ネパールのポカラから。
2012年1月5日、ダウラギリ・トレッキングを終えた翌朝、ポカラ郊外の丘にある日本山妙法寺から、雲海に昇る「初日の出」を望みました。

朝日に輝く日本山妙法寺のストゥーパ(仏舎利塔)とアンナプルナ山群。
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誰もが訪れてみたい「世界の屋根」、「神々の棲むところ」ヒマラヤ。私にとっても長年の憧れでした。なかでも、最高峰エベレスト(8848m)は特別の存在。頂きを踏むことはできないのかも知れない。それでも、間近に仰ぎみてみたい。しかし、エベレスト山麓を目指すトレッキングは標高が5,500mに達するため、高山病の確率が高く、落伍者も多いと聞く。今回は、いきなりエベレストを目指すのではなく、トレッキングの標高が3,000m前後で、宿泊施設も比較的整っているというダウラギリ・トレッキングをツアー会社の案内で参加することとした。ヒマラヤの山歩き環境を知る、いわば予備試験というところ。
 しかし、見事にハマってしまいました。またネパールに何度も来てみたい。エベレストはおろか、アンナプルナ一周、ランタン谷、ムスタン王国、カンチェンジュンガ山群、・・・・・・、カトマンズの街、パタン、バクタプルの中世の街々、そしていっそうのことエベレスト山頂も。すっかり、ヒマラヤ、ネパール大好き人間となってしまったようです。

2011年12月28日、8・3プラザ診療室の最後の診療を終え、新千歳空港から成田へ。一泊して翌日、12月29日午前、成田からバンコクへ。ツアー会社の企画とはいえ、参加者はたったの3名。私と家内、そして横浜のHさん。3名ゆえに添乗員は無し。

12月30日、バンコクからネパールの首都カトマンズへ、さらに乗り換えてポカラへと至った。ポカラの街からアンナプルナ山群が近い。ポカラから見える象徴的な山、マチャプチャレが夕日を浴びながら、美しい三角錐の山容を見せてくれた。なんだか、もうこれで旅は終わってもいいぐらいに思えるほど美しかった。アンナプルナ山群のはるか東側には、夕日で赤く染まった大きな大きなマナスル山群がどっしりと立っていた。

ポカラの街からアンナプルナ山群を望む。左からマチャプチャレ(6993m)、アンナプルナⅢ峰(7555m)、アンナプルナⅣ峰(7525m)、アンナプルナⅡ峰(7937m)
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夕日に染まるマナスル
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夕陽に染まる左からマチャプチャレ(6993m)、
アンナプルナⅢ峰(7555m)
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12月31日。真っ暗な中、夜が明ける前にホテルを出発し、ポカラ空港へ。今日は、ジョムソムまで飛行機で移動。なんでも、ポカラ・ジョムソム間の飛行便は、風、雲、霧でしばしば欠航するので、移動手段の柔軟転換のために早い時間から待機するとのこと。日が昇り、山々が朝日に照らされる。7:30am、小型の飛行機に乗り込み無事に出発。そしてアンナプルナ、ダウラギリの山裾すれすれに、約30分飛んでジョムソム空港に着いた。空港といっても軍の管理、町らしい町は何もない。あたりは一面砂漠と岩山。気温は氷点下。石がごろごろする道路と、誰もいない河原を我々三人と、そしてガイドのスディールさんの四人で歩き始めた。河原の幅は広いところで1㌔もありそうだが、乾期の今は水量が衰え、幾筋もの細い流れが河原に数条走っている。川の名は「カリ・ガンダキ」。「黒い川」の意。下流ではガンジスの大河へと合流する。カリ・ガンダキはヒマラヤ造山活動の前からチベット高原に源を発し、インド洋へと注いでいた。ヒマラヤの山々がせりあがっても、川の浸食力で谷を深く削りながら、ダウラギリ、アンナプルナ山群を分かつように下流に流れ下り、山の頂きからは6,000メートルもの下方にその流れを維持している。

ジョムソムを出発し、カリ・ガンダキの河原を歩く。朝の早い時間、名物の強風はまだ吹き荒れていない。
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日が昇るにつれ気温は上がり、着膨れするほどだった防寒着を一枚一枚脱ぎ捨てた。歩いている時はあまり感じなかったが、着替えるためにうつむいたりすると、頭がくらくらとする。これは気圧が低く酸素不足状態のため。3000メートルと馬鹿にしないで、高山病に気をつけなくてはならない。
ジョムソムからマルファの町へ、ほどなく到着。町といっても100戸の家々ほどか。町一番の建物は、山の中腹に建つゴンパ(寺院)。マニ車を回しながら、急こう配の階段を上った。息が切れる。階段の上には、ヒマラヤンブルーと言うのだろうか、「青空」ではない濃く黒く透き通った「群青色の空」が広がる。ゴンパの金色の装飾、はためく五色のタルチョーが美しい。
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宿泊はマルファ一番のロッジだろうか。石畳の街道沿い、町の真ん中にあったその名も「パラダイスロッジ」。部屋には3つのベッドとトイレ。窓が大きく取ってあって景色は良いのだが、もちろん窓は閉め切っているのになぜかカーテンが風で揺れる。そう、部屋の中は外気と同じ。暖房は無い。とにかく寒い!
道路に出ると子供が遊んでいた。木の枝で作った弓矢を持っていた。
かわいいので、写真を撮ろうとすると「give me chocolate, give me
sweets」と言い寄ってくる。胸が痛んだ。60年前の日本、占領軍のアメリカ兵に同じようにねだっていたのだろうか。子供たちの皮膚は、紫外線に焼かれて黒いだけではない。鼻汁も、垢もこびりついて黒くなっているのだ。

マルファの街角で。
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マルファのロッジでは、日本人の父・息子の二人連れトレッカーに出会った。千葉から来られたとのこと、愉快で、痛快な旅を続けているとのこと。マルファ名物のアップルブランデーを皆で飲んだ。昼間はあれだけ晴れていたのに、ニルギリ山頂に雲がかかりはじめている。夜はありったけの下着と防寒着を着こみ、ロッジでもらった湯たんぽを抱き、冬用のダウンシュラフにもぐりこんで寝たが、途中暑くなって眠れなくなった。屋上に出てみると星は見えなかった。

1月1日元旦。残念ながら曇天。風が強い。この日はマルファの町から、カリ・ガンダキ下流の村ナウリコットまで歩く。その村に目指すホテル・タサンビレッジがある。ふたたび誰もいないカリ・ガンダキの河原を、そしてときどき村々の街道を四人で歩いた。この街道は「塩の街道」と呼ばれている。数年前に車が通れるようになったが、それまではウシ、ラバ、ヤギが運搬の主役だった。積荷は、チベットからインド平原に向かっては岩塩、逆は米などの農作物である。このあたりに暮らすタカリー族の人々がその交易に当たっている。途中のトゥクチェの村は、その交易の中心地。白い石積みの家々が美しく、牛も、山羊も、犬も、鶏も、そして人も渾然一体となって暮らしている。当然のように動物達の糞が道のいたるところに落ちているのだが、そんな風景にもどこか懐かしい、心静まる思いを抱いた。

世界で初めて8000メートル峰を踏んだフランスの登山隊(隊長エルゾーグ)は、この町を拠点にダウラギリ、アンナプルナへの登山ルートを探し続けたという。
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マルファの町から4時間。そしてナウリコット村の丘に建つタサン・ビレッジにたどりついた。ポーターの二人とお別れするころ、雲は低く垂れこめ、みぞれまじりの雪と変わった。どうも、私と衣子の二人旅に悪天はつきもののようだ。私はそれほどにも思っていないが、衣子いわく「私は晴れ女、あなたが雨男」と言う。ちなみに同行のHさんは「晴れ男」と言う。

丘の上に立つタサン・ビレッジ。
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タサン・ビレッジまで河原からの標高差は約200メートル。体が3000メートルの標高に慣れていないせいか、何度も立ち止まっては深呼吸を繰り返した。
建物すべてが手造りという。道路もなかったとき、主のタカリー族アルジュンさんの号令で、すべての建材を担ぎあげ、みんなの力で建て上げたホテル、タサン・ビレッジ。暖炉がなんとも嬉しかった。滞在した3日間で一番長い時間を過ごしたのが、山と星を見る屋上、そしてその次が暖炉の前であったろうか。

1月2日。朝起きると、窓の外はあたり一面の銀世界。この日はショコン・レイクへのハイキング。

新雪に埋まったナウリコット村。この日、ヤク追いの村人が二人、雪の山中で行方不明になったとのこと。村人達が心配そうに山を見上げていた。結局一人は助かったものの、一人は死体で見つかったとのことであった。
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雪をかぶったタサン・ビレッジ
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昨日まで歩いてきた砂漠のような景色から一変。ゴヨウマツやモミの深い針葉樹の森が新雪に覆われ、美しい。ハイキングの途中、少し気温が上がってくると、木々の雪が頭に落ちてきた。ショコン・レイクではまだ雲が低く、湖面に映るヒマラヤの山々を見ることはできなかった。午後から、切れ切れに青空がのぞくようになった。新雪をかぶった峰々がしだいに浮き出てきた。ニルギリがカリ・ガンダキの向うに、そして眼前にはダウラギリ氷河が迫り来るように見えてきた。鋭い稜線を雲が駆け上がり、うっすらと夕陽を浴びながら、やがてダウラギリⅠ峰が、信じられないほどの仰角の高みにその姿を現した。

タサン・ビレッジからカリ・ガンダキ上流を望む。
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姿を現したダウラギリ氷河とダウラギリⅠ峰(8167m)。寒空の下、アップルブランデーを飲みながら待つこと2時間、やっと願いがかなった。
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1月3日。未明から天気が気になり、衣子はとうとう屋上に偵察へ。満天の星だという。それからは日の出の時間までまんじりともせず、防寒着を着込んだままベッドの中で待機した。そしていよいよ日の出の時間、屋上へ。深い谷間に朝日は届かない。ダウラギリの頂きがまっさきに朝日を浴びる、その瞬間をまばたきもせずに待ち続けた。

ダウラギリⅠ峰(8167m)の頂に3つの赤い点が現れた。
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頂は光を増していく。
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朝日の栄光を浴びているのは、まだダウラギリ山頂部のみ。番兵のように聳える前衛の山々にまだ日は届かない。
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やがてダウラギリ山群全体が光り始めた。
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感激に目頭が熱くなった。でも、見上げているから涙はこぼれなかった。
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この日は、タサン・ビレッジからカリ・ガンダキを渡り、対岸の丘の上の村ティティガオンへのハイキング。真っ青な空と、真っ白く新雪をかぶった峰々を眺めながらの快適な山歩き。途中いくつもの美しい風景に出くわした。

カリ・ガンダキの河原を行く山羊の群れ。三人の牧童に導かれ、牧草地を目指すのだろうか。道草を食うものあり、山羊たちは右往左往しながら進んでいく。カリ・ガンダキの向うにはくっきりとニルギリ山群が見える。
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ナウリコットの村はダウラギリ氷河の舌端にある。すぐ傍まで畑、牧草地が広がり、人の生命力に驚かされる。そこで働く女性に美しさを感じた。ヨーロッパアルプスの牧草地では思いもしなかった感動である。
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カリ・ガンダキにかかる吊橋を渡る。今でこそ針金と鉄板で頑丈にこさえられているが、昔は蔓と竹で作られていたとのこと。安全を祈願する旗「タルチョ」が今も吊橋にくくりつけられている。分かる気がする。
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ティティガオン村への道には昨日の雪がまだ深く残り、日蔭ではカチンカチンに凍っていた。新雪の道、青い空、真っ白な峰々、黒い岩壁、緑の針葉樹の森、・・・・
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途中ニルギリ山群が眼前に迫ってきた。ニルギリ南峰(6839m)を望む。稜線から流れ落ちるひだ状の氷壁(ヒマラヤ襞)が美しい。
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振り返ると、ダウラギリが光り輝いている。山頂には、ジェット気流に吹かれてできた雲がかかり始めた。
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峠の上からは、ニルギリの右側に憧れのアンナプルナⅠ峰がその端麗な姿を見せてくれた。ダウラギリⅠ峰との共演。ここはまさにヒマラヤ。左がニルギリ南峰(6839m)、遠くの山の左ピラミッドがアンナプルナⅠ峰(8091m)、右がバラハ・シャンカー(7647m)。
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ティティガオンの村とダウラギリ山群・氷河。
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ティティガオンの村にて。
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カリ・ガンダキの河原へ戻ると、トゥクチェピーク(6920m)が美しかった。
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美しいこの日を締めくくったのは、夕陽に照らされたニルギリ山群。左からニルギリ北峰(7061m)、中央峰(6940m)、南峰(6839m)。
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1月4日。この日はジョムソム街道をジープで下り、ポカラの町へ戻らなくてはならない。本当に山々に、人々に、すべてに感謝。
さてこの日、聞きしに勝るはジョムソム街道のすさまじさ。ジープは時速10kmにも満たないスピードで、車体を躍らせながらカリ・ガンダキの深い谷間の底を走り、岩壁に張り付くような狭い道を下っていく。途中、バス(と言ってもマイクロバス)とすれちがう時は、自ら運転していなくても緊張を強いられる。
走行中に外の景色を見ることはできないが、途中立ち寄った宿場の町々から望むダウラギリ、ニルギリはいつまでも美しく、遠のく峰々に名残りを惜しんだ。

ガーサの村にて。我々を運んでくれたレンジローバーと一緒に。後はダウラギリ氷河、トゥクチェピーク(6920m)。
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走り下った道路は、まあこんな所。ゆれる車内からの撮影です。
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タトパニの町にて。だいぶ下ったのだろうか、いつの間にやら針葉樹は姿を消し、オレンジの木、ブーゲンビリアの花を目にするようになった。後方の黒い岩壁はニルギリ南峰。
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随分ときれいな紅葉がネパールにもあるものだと見惚れていたら、なんと日本ではクリスマスの時期に飾られるポインセチアの野生種だった。
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タトパニとはネパール語で「熱いお湯」、つまり温泉。カリ・ガンダキの河原に湯気を上げる湯壷があった。この宿場町で昼食をとった。ロッジで働く母、子がなんとも愛くるしかった。
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結局ポカラまでの道のりに要した時間は、9時間。途中休憩もあったが、その悪路に四苦八苦。ポカラに近付き少し路面がましになってからは、今度は飛ばすこと、飛ばすこと。バイク、歩行者などおかまいなく、追越をしていく。事故がないのが不思議なほど。ポカラのホテルに着いた時は頭も腰もくらくら。一安堵であった。しかしレンジローバーを操っていた若者は、またあの悪路を引き返すのだろうか。我々をホテルで下ろすと、すぐに颯爽と走り去った。あなどれない。

1月5日。この日は未明からポカラ郊外のサランコットの丘(1592m)に車で登り、朝日に照らされるアンナプルナ連峰を見、そして空港に移動、カトマンドゥへと飛び立つ予定であった。昨晩、夕食の後にガイドのスディールが少し浮かぬ顔で、「明日はバンダがあるそうです。まだはっきりしません。バンダとはゼネスト、ストライキのことです。ネパールでは年に何回かあります。そしたら車を使うことができません」と言っていた。「でもバンダは中止になるかもしれませんので、予定どおり未明に起床して準備してください」とも言った。
 未明にホテルのロビーに集合。バンダは決行とのこと。車が使えないので、サランコットの丘へは行けない、空港への移動も歩かなくてはいけない、外はまだ真っ暗、おまけに深い霧の中。日本を出てこのかた一度もトラブルはなかった。ジョムソムへの飛行便は、我々が乗ってから以降、強風、雪、滑走路の凍結で3日間も欠航したと聞いた。雪も青空も、朝日も、神々が棲む峰々も見ることができたのに。
 昨晩のうちに考えていたあるアイデアをスディールに相談した。サランコットの丘ほど高くはないが、日本山妙法寺が立つ丘(1113m)も絶景ポイントであると「地球の歩き方」に書かれていた。地図を見る限りサランコットよりも近い。スディールが「行けるだけ行ってみましょう」と言ってくれた。
 真っ暗で深い霧の中、ヘッドライトを点して四人で歩き始めた。驚いたことに、町の中は結構な人がすでに歩き始めている。それにしても街灯一つないこの暗い道を、懐中電灯も持たずみなよく歩けるものだと感心した。少し明るくなり始めた頃、後から一台の車。スディールがとめた。そして運転手と交渉。助手席に座っていた同乗者が降り、我々に乗れと言う。ネパールにもこんなヒッチハイクがあるのかと感心したが、スディールいわく、「随分とぼられました」と小声の日本語で囁いた。この車、闇を走る「ヤミタクシー」なのだ。ものの10分で、妙法寺下の駐車場に辿り着いた。しかし、あのまま歩き続けていたら、当然日の出には間に合わなくなっただろう。地図でみるよりもずっと遠かった。
 妙法寺の山門では白装束の修行僧が、手に太鼓を持って朝の祈りをささげていた。日本語であった。日蓮宗とのこと。ほどなく地平線上の雲海から、煌く朝日が姿を現した。ストゥーパ(仏舎利塔)の上に登り見つめた。感動的な光景であった。アンナプルナの峰々が朝日に輝く。眼下にはフェワ湖が見える。
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いつまでも居続けたい心持ちであった。神々が生まれ、神々が棲むこの地にとどまりたい。なんの信仰心も持たない自分ではあるが、生命と、地球と宇宙に感謝する、そのことが神の存在と思っている自分にふさわしいと。

スディールにうながされ山を下った。意外と険しい階段状の山道がポカラの町へと続いていた。「これを登ったら大変だったでしょう。車がみつかって良かったね」とはスディールの言。

町にはまだ霧が立ち込めていた。バンダのため車は通らない。まるで歩行者天国のようだと思っていたら、水牛の群れが歩いてきた。
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朝もやの畑の中、野良仕事が始まったのだろうか、二人の老女のシルエットが美しかった。今日の朝の経験は、ほんとうにスディールのお蔭。深く感謝です。
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カトマンドゥ空港も霧のため、折返し便に乗るための飛行機がポカラに来ない。空港内は待つ人でごった返していたが、待つこと2時間あまり、次々とプロペラ機が降りたち、あわただしく乗客を乗せ飛び立った。この飛行便が最高であった。晴天の中、左手にヒマラヤの山々を端から端まで見せてくれた。おまけに、カトマンドゥ空港の混雑のため上空で待機。たっぷりと空からヒマラヤを堪能した。
さて、カトマンドゥの街でも感動の連続。旧い中世の寺院、王宮も、そして道を埋め尽くす人ごみ、露天商の掛け声、道に並べられた色とりどりの野菜や果物、すべてに圧倒され、そして妙に懐かしい居心地良さに包まれた。また戻ってくるであろうカトマンドゥ。「しばしの別れ」と自らに言い聞かせ、ヒマラヤ、ネパールの旅を終える。

カトマンドゥの丘の上に立つスワヤンブナートにて。
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by kobayashi-skin-c | 2012-01-26 22:47 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2011年の思い出、憧れのスイスアルプスを訪ねて
2011年7月、ヨーロッパでの会合を機会に、憧れのスイスアルプスを訪ねました。グリンデルヴァルトの町を起点に、山小屋に泊まりながら、花々が咲き乱れるトレッキングコースを歩きました。美しい山々の姿は、あらゆる方向からも、みる時間帯でも、ちょっとした光線の加減でも、さまざまな感動を与えてくれました。急速に減少しているという氷河、あまりに観光化された麓の町々、あふれる観光客の問題にも気付かされましたが、トレッキングコースでは誰にも会わず静かな山歩きを楽しむことができ、自然の懐の深さに優しく抱かれました。いつまでも、永遠にその優しさと美しさを保ち続けて欲しい、そんなアルプスでした。好きな写真を何枚かご紹介します。

グリンデルヴァルトの町からアイガー北壁を望む
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クライネシャイデックへの散歩道からグリンデルヴァルトの町、その向こうにヴェッタ―ホルンを望む
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アルペンローゼの花と、後ろはメンヒ
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クライネシャイデックからヴェンゲンへの散歩道、アイガー、メンヒを望む
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ユングフラウの夕焼け(Abend rot)、オーベルシュタインベルク小屋から
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夕焼けのユングフラウと牛と。トレッキングコースは牧草地(アルプ)の中を巡る。したがって牛たちに囲まれながら、遠慮しながら、糞に注意しながらの山歩き。
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オーベルシュタインベルク小屋からブライトホルン氷河を目指す
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お花畑の中を歩く
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左からアイガー、メンヒ、ユングフラウ
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新雪のアイガー、メンヒ
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アルプスの花々
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オーベルシュタインベルク小屋


ルツェルンの町
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ルツェルン郊外、リギ山を歩く。ルツェルン湖畔の町フィッツナウを望みながら
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またきっと訪れたい、アルプスの山々、そんな思いにふけりながら
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by kobayashi-skin-c | 2011-12-28 12:58 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)