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2014年5月 『富士山大滑降』 May 2014 "Ski in Mt Fuji"
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2014年5月24日早朝、快晴の空に、雪の帽子をかぶった富士山がすっくと立っていた。『涙のアルプス・オートルート』から帰国してすぐ、「雪山登山・スキー訓練に」と思いたち、ノマド社が企画する『世界遺産 日本のてっぺんに立つ そして大滑走』に参加することを決めた。なんだか「破れかぶれ」の感がなきにしもあらず。ガイドは、『羊蹄山 春スキー』を案内してくれた小田さんである。

今年の富士山は例年になく残雪が多いんだとか。富士吉田登山道5合目の駐車場から、凍った雪道を歩き始める。スキーやアイゼンや、水に、食料、そして着替えが詰まったバックパックを背負い、スキーブーツをはいて歩くのは大変である。でもこれも訓練、訓練。しばらくは夏道をたどる。
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ほどなく6合目からは、スキーブーツにアイゼン(クランポン)を装着し、雪渓上を直登する。
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勾配が増すにつれ雪も硬く締まってきてからは、ピッケルを手にして登り、さらに急勾配では小田さんとザイルで繋がりながら登った。5月の連休のときには二名が雪渓上の滑落で命を落としている。「転んだら最後、止まらないだろうな」と思いつつ、真っ青な空と、真っ白な雪渓、黒い岩肌を見あげる気分は爽快である。
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24日1400、この日は本八合目の小屋にスキーをデポ(置いておく)、頂上アタックは明日とする。帰りは雪渓を尻滑りで降り、5合目の佐藤小屋に宿泊した。
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25日0430、佐藤小屋を出発し頂上を目指す。薄曇りではあるが、気温はプラス、風も穏やかで絶好の登頂日和。本八合目まではスキーを担がなかったぶん、快調に高度をかせいでいった。高山病症状もなく、ピッケルを突き刺しながら、アイゼンを蹴込みながら登る雪山は充実感に溢れていた。
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9合目の鳥居をくぐり、ほどなく吉田口山頂に至る。思わず万歳をしたくなる。
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富士山山頂はお釜の向う側。爽快に大雪原を横切り、おっかなびっくり頂上直下をトラバースし、山頂に立った。山頂には十数人もいただろうか。お釜にスキーで飛び込んでいく強者もいた。
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我われは、吉田口山頂から5合目まで続く「吉田大沢」を一気に滑り降りた。小田さんからは「空気が薄いですから、滑り降りるときに息を止めないこと!『ワーーッ』でも『ギャーーッ』でも叫びながら息を吐き出して下さい、そしたら息を吸い込みますから」との指示。それにしても富士の大斜面を滑り降りる爽快感と緊張感は、これぞ『日本のてっぺんからの大滑降』。小田さんの注意も忘れてたぶん息をするのを忘れていたのだろうか、何回かのターンを終えると止まって肩で息をしていた。
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余裕の衣子、そしてみんなで『シー・ハイル(スキー万歳)!』
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下山後、河口湖湖畔から夕焼の富士に見とれながら『あの頂きからスキーで降りてきたんだよ!』と信じられないような誇らしいような、知らない誰にでも言いたかった。
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by kobayashi-skin-c | 2014-05-28 16:21 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年5月 『5月の札幌』 May 2014 "Sapporo in May"
毎年5月下旬、札幌ではライラック祭りが開かれる。今年のライラックは例年よりも2週間早く、かぐわしい香りとともに薄紫色の花房を咲かせた。北海道大学構内、ポプラ並木のたもとにて。
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野草たちも足早に花をつけ、恵迪の森のオオバナノエンレイソウ(大花延齢草)はすでに萎れかかり、わずかに一輪が美しい姿を見せてくれた。かわりに恵迪の森は一面のニリンソウで覆われていた。
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この季節、札幌の庭々はあでやかな色に染まる。これはいったい何でしょう?
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正解は、シバザクラ(芝桜、phlox)の花。別名ハナツメクサ。原産は北米。園芸種として日本に持ち込まれ、花の絨毯を作ることから、公園や庭に好んで植えられるようになった、とのこと。自転車で走っている途中、農家さんの裏山が真っ赤に染まっているのに気付き、無断で撮影させていただいた。すみません。
by kobayashi-skin-c | 2014-05-28 16:07 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年5月 『羊蹄山、春スキー』 May 2014 "Mt. Yotei, Ski in the Spring"
アルプス・オートルートから帰国したその週末、羊蹄山に登った。すでに来年のオートルート再チャレンジを目指したトレーニングである。アルプスのような山並みでなくとも、いろいろな雪面に慣れることができる。それに夏以外の羊蹄山も魅力そのもの。

5月11日、山岳ツアー社「ノマド」の小田さんに連れられて真狩(まっかり)登山口から登り始めた。麓はエゾヤマザクラが満開の時を迎えていた。
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登山口から2合目まではスキーを背負って登る。そしてシールを履いて頂上直下まで続く雪渓を登った。小田さんが切る登りはキツイ。クトー(スキー用のアイゼン)を装着するが、それでもスリップが多く体力を消耗する。私たち二人は遅れ気味で、同行の男性3人に申し訳ない。
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予定よりも1時間遅れで山頂に達した。雪不足、時間不足で念願の頂上火口(お釜)の滑降は断念。それにしても、いくら雪焼け防止といっても、まるで道化師の化粧みたい。
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頂上直下から標高差約1000mのダウンヒル。雪はザラメに締まっており滑りやすかった。
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昔からのあこがれ、羊蹄山滑降を楽しく終えて、真狩温泉の露天風呂から今日滑った雪渓のシュプールを探した。次は羊蹄山(蝦夷富士)から、ほんものの富士山にチャレンジだ。
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by kobayashi-skin-c | 2014-05-18 18:25 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年5月 『ツェルマット、マッターホルン、サース・フェー』 May 2014 "Zermatt, Matterhorn, Saas-Fee"
5月3日、アルプス・オートルートはアローラの村で終わり、バスと汽車を利用してツェルマットへ移動した。ツェルマットにも雨が降っていた。あのマッターホルンは見えない。スキーシーズンを終えようとするツェルマットの街は閑散として寒々としていた。

5月4日早朝、昨晩遅くには星が見え始めていたので、未明から起き出した。薄明かりの中のマッターホルンの山影をみつめ続ける。そしてマッターホルンは朝日に照らされ始めた。荘厳な舞台の始まりである。
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この山でしかない、『孤高の一人舞台』。従者の山々に守られることもなく、まったく脇役なしに独り、すっくと立ち上がる。その姿で皆を魅了し続けてやまない。

矢も楯もたまらず始発のロープウエイでKlein Matterhorn クライン・マッターホルン(3883m)へと駆け上がった。富士山より100m以上も高いというのに息が切れない。高所順応ができているようだ。

まず目に飛び込むのはBreithorn ブライトホルン(4164m)。強風をついて頂上を目指す幾組かのパーティーも見える。
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そしてMonte Rosa モンテ・ローザ(4634m)。いくつもの真っ白な大氷河を従えている。
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北側にはMattertal マッター谷やツェルマットの街並みが中央に黒く見え、その谷の右側にMischabel ミシャベル山群(Dom ドーム、Taeschhorn テーシュホルン)、谷の左側にWeisshorn ワイスホルン(4506m)、そして名も知らぬ峰々の大パノラマ。
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そして主役のマッターホルンが眼前に聳える。ツェルマットの街から見る姿とあまりに違うため、「どこにマッターホルン?」と訝る人もいるとか。
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さらに西側に目を転じるとモンブランの白い頂も。
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クライン・マッターホルンの展望をひとしきり楽しんだ後は、とにかくスキーを滑りまくった。ピステもオフピステの新雪の上も。なんと快適なこと。晴天、そしてバックパックの何と軽やかなこと。

Schwarzsee シュヴァルツゼーから望むマッターホルン。
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イタリア側の登山基地Cervinia チェルビニアから望むマッターホルン。
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マッターホルンに向かって、Ober Theodul Glacier オーベルテオドール氷河上の新雪のオフピステを滑る。「ここで死んでもいい」ぐらいの嘆息がもれる。
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Trockener Steg トロッケナー・シュテークでマッターホルンを眺めながら小休止。
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スキーを終えて山を下り、マッター谷の東側のサース谷へ向かった。Saas-Fee サース・フェーの村に友人のBernhard バーニーを訪ねた。
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(村を見下ろすアルペンブリックにて)

バーニーの案内で村を巡り、山に見とれた。
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朝焼けのMischabel ミシャベル山群の主峰 Dom ドーム(4545m)(右側)と双耳峰のTaeschhorn テーシュホルン(4491m)。スイス・イタリア国境沿いのモンテ・ローザを除くと、スイス国内にある山としてドームは最高峰とのこと。ちなみにアルプスの最高峰モンブランはフランスとイタリアの国境にあり、あのマッターホルンはスイスとイタリアの国境にある。

バーニーとサース・フェーの村と山々に癒されながら、今回の旅、オートルートを終えた。
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Larch ラーシュ(カラマツ)の花。日本のカラマツにもこんな花が咲いていたかな。

バーニーこと、BERNHARD RUDOLF BANZHAF, Carl Zuckmayer-Weg 63/Postfach 57, CH-3906 Saas-Fee, www.banzhaf.org。
彼も山の案内人。Christopheとは違い公認山岳ガイドではないが、世界中の山々、秘境に人々をいざなう。去年ネパールのアンナプルナトレッキングで出会った友人である。オートルートは涙のうちに閉じてしまった。マッターホルンのスキーでそのうっ憤をいくぶん晴らしたが、マッターホルン北壁をくぐり抜けながら迎えるオートルートのフィナーレを味わうことはできなかった。しかし、ChristopheとBernyの二人を訪ねたこの旅は、私たちの人生の大きな糧となった。
by kobayashi-skin-c | 2014-05-18 14:57 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年4月 『涙のアルプス・オートルート』 April 2014 "Alps Haute Route in tears"
アルプス・オートルートは、シャモニー(フランス)とツェルマット(スイス)の間、アルプス山脈の中央部を縦走する山道。フランス語で"Haute Route(高い道)"。1861年、英国The Alpine Clubのメンバーが初の踏破を成し遂げ、1911年には冬期間のルートが開拓され、以後夏・冬ともにトレッカー憧れの存在となっている。

その憧れのオートルートに、山スキーで挑んだ。計画では、4月27日シャモニーを出発し、Argentière Hut アルジェンティエール小屋(2770m)、Trient Hut トリアン小屋(3170 m)、Montfort Hut モンフォール小屋(2457m) 、Cabane des Dix ディス小屋(2928 m)、Cabane des Vignettes ヴィネット小屋(3158m)、Bertol hut ベルトール小屋(3311 m) での6泊を経て、5月3日ツェルマットへ至るロングコース。オートルート Haute Routeのクラシックコースと呼ばれる。23の氷河を越え、累積標高差は10,000mに及ぶという。

出発点となるシャモニーには、時差調整、高度順応のため5日間滞在した。
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シャモニー駅に降り立つとすぐ背後にシャモニー針峰群が覆いかぶさる。

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シャモニーの街中をアルヴ川が流れる。氷河から流れ出した川水はミルク色をしている。その向こうにモンブラン(4810m)を望む。

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エギーユ・デュ・ミディ(ミディ針峰)展望台から間近にモンブランを望む。

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シャモニーの街とエギーユ・デュ・ミディ(3842m)の間はこんなロープウェイで結ばれている。富士山山頂より標高が高い展望台へはエレベーターが運行されていた。その展望台の一画にガラスの小部屋が絶壁の上に突き出し、ガラスの床の下は1000m以上の落差でシャモニーの街へ落ちる。下の写真、チョット気味悪い。
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モンタンヴェールの展望台からメール・ドゥ・グラス氷河、その最奥のGrand Jorasses グランド・ジョラス(4208m)を望む。グランド・ジョラスはアイガー、マッターホルンと並ぶ三大北壁を成す。幾多の冒険、そして悲劇が語られている。

高度順応と氷河滑走の訓練のため、ガイドのChristopheに連れられてVallee Blancheを滑った。エギーユ・デュ・ミディの展望台から氷河上のスキー出発点までは、氷った急勾配の頂稜を降りなければならない。シャモニーの街が真下に見える。Christopheとはザイルで結ばれた。
Vallee Blancheの雪原は広大で、前夜の新雪に覆われ、快適な滑降を楽しむことができた。
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高度が下がるにつれて雪面は氷と化し、セラック(崩れやすい氷の塔)、クレバス(氷の裂け目)が現れ、緊張とバックパックの重みに自由な滑りができなくなった。
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氷河滑走の難しさは想像以上であり、ピッケル、ハーネス、ジャラジャラとぶら下がるいくつものカラビナとアイススクリュー、ザイル、そしてショベル、プローブ、クランポンなどが詰まったバックパックを担ぐ重みに、前途多難を実感させられた。

オートルートクラシックコースは、まずシャモニーから少し離れたアルジェンティエールの村へバスで向かい、ロープウエイでLes Grands Monte グラモンテ(3295m)に登り、アルジェンティエール氷河を滑り降りる。グラモンテの頂の眼前にLes Dru ドリュ針峰(3754m)が迫り、その向こうにモンブランが雄大に広がる。
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(写真はシャモニー滞在中、高度順応に訪れたときのもの)

広大なアルジェンティエール氷河を望む。氷河の向う、左からAig. du Chardonnet シャルドネ針峰(3824m)、Aig. d'Argentiere アルジェンティエール針峰(3901m)、そして氷河の最奥にフランス・スイス・イタリア三国をまたぐMont Dolent モンドラン(3820m)。
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(写真はシャモニー滞在中、高度順応に訪れたときのもの)


Day 1st さて、アルプス・オートルートの『涙』は初日から始まった。あれだけ晴れ渡っていたアルプスの空は、出発前日の午後から黒い雲に覆われ、シャモニーの街では雨が降り始めた。ガイドのChristopheと打ち合わせる。天気予報では、2日間は谷間で雨、山では湿雪の吹雪模様とのこと。吹雪で視界の効かない中を進むのは、危険でもあるし、また体力・気力を奪われる。同じホテルでオートルートを目指す英国人グループは、出発を遅らせるとのこと。私たちは、オートルート出発点をVerbier ヴェルビエールの街に変更し、何としても5月3日までにツェルマットに着く計画に切りかえた。シャモニーからヴェルビエールまではChristopheの車で移動した。山では天候が全てであるが、車で移動するこの気持ちのやるせなさ。

Day 2nd ヴェルビエールからはスキーゲレンデの横をスキーシールで登り、モンフォール小屋に至った。雪と霧で何も見えない。モンフォール小屋で2日間停滞し、その間、装備の点検、そして冬山の訓練をChristopheから受けた。なんといっても、ピッケルも、ハーネスも、ザイルも、トランシーバー(ビーコン、雪崩に埋もれたときの捜索機器)も使ったことがない。「ビーコンは何のために使う?」と質問されて、「雪崩で遭難したら、死体を早く見つけてもらうため」と答えたら、Christopheはいくぶんあきれた様子であった。2014年4月 『涙のアルプス・オートルート』 April 2014 \"Alps Haute Route in tears\"_c0219616_22272031.jpgクレバスへ落ちたときの救助訓練が最優先課題。まずはビレーの確保(落ちた仲間を助けるための支点)、そしてザイル、テープの結び方、そしてユマール(登攀補助具)、プルージック手法を用いたザイル登行。「分らないことは絶対に繰り返し聴け」とChristopheは言うが、「とても分らない」。救助訓練のあとはビーコンを使った雪崩遭難者の捜索訓練。吹雪の中、Christopheが隠した疑似遭難者を10分以内に見つけなければならない。汗まみれになって頑張ったかいがあって、これは合格した。


Day 3rd モンフォール小屋3日目の朝、空は青々と晴れわたり、冷気が山々を包んでいた。
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登り始めてからモンフォール小屋を振り返る。

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純白の雪面の上を黙々と歩み続ける。青空と雄大なアルプスの峰々に囲まれて爽快な気分。ただ高度は3000mであるため深呼吸を続けないとすぐに息が切れる。喉の渇きも強い。

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Grand Combin グラン・コンバン(4184m)の雄大な山並を望む。

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Grand Desert グラン・デザート氷河(大砂漠氷河の意?)。まさに雪の砂漠である。

この日はモンフォール小屋からPrafleuri Hut プラフリュ―小屋へ、そして体力が残っていればLac des Dix ディス湖を経てディス小屋を目指すのがChristopheの目論見だった。Rosablamche ローザブランシュの峠から左に折れて、プラフリュ―小屋へ下った。新雪の粉雪をけたてながらの快適な滑降を楽しんだ。

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プラフリュ―小屋。快適な小屋であったが、このわずかな晴天の日、もう少し頑張ってローザブランシュからディス小屋へ直接向ってもよかったのかもしれない。けれども青空の下、この日はオートルートを十分に満喫した。

Day 4th 翌日は、またしても深い霧と雪。プラフリュ―小屋から200mの登り返しで峠を越え、ディス湖を左に見ながら緩やかに下りつづける。そしてPas du Chat パ・デュ・シャからはGl. du Cheilon シェイロン氷河を一気に800m登り、ディス小屋へ至るのが、今日の日程。距離は短く、Christopheの説明では「一番楽な日、2-3時間の予定」であった。しかし、またしても『涙のオートルート』。このルートの写真は一枚もない!霧と雪の中、標高の低いディス湖への降りはまさに悪夢であった。雪面はアイスバーンで、少ない雪の間にはゴツゴツとした岩が露出している。その間をかいくぐって下降していくのだが、曲者は霧、ホワイトアウト。まるでスキーを滑っている感覚がない。宙をさまよっているようで、上りも下りも分らず、目前に現れた岩に腰が引け、バックパックの重みで尻もちをついてしまう。アイスバーンの上ではまともに起き上がることはできず、バックパックの重みに引きずられてズルズルと滑り落ちる。バックパックを背中からおろして、身軽になってから起き上がることを思いついたのは、何回かの転倒を経てからであった。見るに見かねたChristopheが、私のバックパックを取り上げた。「リラックスしなさい!残りの下りの間私が荷物を持つ!」。なんという敗北感、屈辱感。この下りだけで2-3時間もかかってしまったような気がする。

シェイロン氷河の800mの登りは苦しいの一言。たび重なる転倒で足の筋肉を使いつくしたのだろうか。キックターンのたびに、乱れた息と、疲れ切った筋肉のため、静止せざるを得なかった。

ディス小屋を目の前にしたときの嬉しさと言ったら、・・・・・・。しかし、私の頭の中はある考えでいっぱいになっていた。下の写真はディス小屋を目の前にして、疲れ切り情けない表情のわたし。
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夕食前のミーティングで、私は「クリストーフ、・・・・・」と呼びかけた。「その呼び方は何か重要な相談だろう」とChristopheが答えた。もうここまで一緒にいると、山岳ガイドの彼には顧客が何を考えているのかも分るのだろう。「Christophe,この天気の中では私にはもう無理だ。体力も技術も私の限界だ、明日の朝には麓の村へ降りよう」と進言した。しかしChristopheは私に、「明日の午前中は晴れる。寝ればまた元気が出る。ヴィネット小屋へまず行こう。途中ハシゴで登る楽しい峠もある。ヴィネット小屋ではまだもう一日の停滞予備日があるので、ベルトール小屋は難しいが、天候を見ながら、途中Cabn. du Bouquetins ブクタン小屋に泊まって翌日ツェルマットへ楽に行ける。ブクタン小屋は無人の避難小屋だが8角形の大変素敵な所だ。星も美しい」と励ましてくれた。「Christophe, I understand!」。涙がこぼれそうであった。

Day 5th
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翌朝、晴天の青空の下に輝くMont Blanc de Cheilon モンブラン・シェイロン(3870m)が私たちを迎えてくれた。予定していたPigne d'Arolla ピン・ダ・ローラ(3796m)越えは、深い新雪のため諦め(1週間前に二人が遭難し発見されないままとのことであった)、Pas de Chevre シェーブル峠に向かった。

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待ち受けるのは垂直に切り立つ30mの鉄梯子。凍った岩壁にそそり立つハシゴにいやがおうでも緊張がみなぎる。Christopheが繰り出すザイルが頼りである。2014年4月 『涙のアルプス・オートルート』 April 2014 \"Alps Haute Route in tears\"_c0219616_22583455.jpg
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登り切って「Thank you, Christophe!」

シェーブル峠からは快適な新雪の降りを楽しむことができた。昨日の落胆が嘘のようなひとときであった。滑り降りたシュプールを見あげる、そしてChristopheと。
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再び真っ青な空の下、純白の雪の中のツアーリングが始まる。前を行くイギリス隊を写す。
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この日は降りでの転倒がない分、登りも順調でヴィネット小屋へは昼過ぎに到着。しかし小屋に着くころ、空は再び雲に覆われた。
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小屋に到着してからというもの、外は強い風と吹雪。見えるべきはずのピン・ダ・ローラもMont Collon モンコロン(3837m)も何も見えない。明朝は天気が許せば、L'Eveque レヴェークの峠を越えてツェルマットを目指す。無理な時はブクタン小屋に避難する予定。しかし、天気予報は悲観的であり、ヴィネット小屋に今日宿泊する3つのパーティーのガイドが相談を重ねている。


Day 6th この日の写真も一枚も残っていない。朝は相変わらずの強風と横なぐりの吹雪。ガイド3人が雪の状況の偵察に出かける。私たちは、途中避難も想定に入れた水と食料の供給を山小屋で受け、バックパックに詰める。重い。天候の回復はなく、雪の状況も雪崩がきわめて危険と。13時まで行動は延期。ぼんやりと吹雪を眺めたり、本を読んだりして過ごす。13時になっても回復なし。15時ごろ吹雪が小やみになった時点で、ほかの2パーティーは出発の準備を始めた。Christopheの決断は?

「我々は残る。明日麓のArolla アローラに降りよう。どうしても前に進みたいのなら行ってもよいが、・・・・」。「異論はない」、「でも、悔しい」、出発する2パーティーのメンバーを見送った。

Day 7th 昨夜は緊張が解けたせいかぐっすりと眠ることができた。ゆっくりと朝食を済ませ、アローラに滑り降りた。
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低い雲の中に向かって滑降開始。

そしてまた涙を流した。標高が下がるにつれてまた霧の中、何度か激しい転倒。技術不足を痛感しながら、アローラの村に着いたとき、ジャケットのポケットのジッパーが半分開いているのに気づいた。収めていたはずのコンパクトカメラがない!たしかヴィネット小屋を出発する際に写真を一枚写し、遅れまいとして閉まりにくかったジッパーをそのままにしたことは確かである。「やってしまった・・・・」。オートルートでは荷物を軽くするため、愛用の一眼レフカメラを諦め、コンパクトのNikon Coolpixで撮影を続けた。「7日分の写真を収めたカメラが・・・・・。」

こうしてアローラの村で私たち(わたし?)のオートルートは終わった。

2014年4月 『涙のアルプス・オートルート』 April 2014 \"Alps Haute Route in tears\"_c0219616_15522337.jpgアローラの村からバスでシオンの街へ。左写真の私たちの表情が、その時の気持ちをよく表している。

シオンからは鉄道を使ってツェルマットへと向かう。

Christopheとシオンの駅のプラットホームで別れの言葉と抱擁を繰り返した、最後のオートルートの涙とともに。


Christophe Kern Guide, La montagne en pente douce, Organisation Formations Outdoor
Le Chef Lieu, 05120 Les Vigneaux, mob. 0033 (0)6 80 90 87 50

Christophe Kern, 彼なしに今回の私たちのオートルートを語ることはできない。私たちにとってはまさに唯一無二のガイド、そして人生の語り部。3年前、ユングフラウ山麓のLobhorn Hut ロープホルン小屋でChristopheに出会った。その時は冗談まじりに「モンブラン、マッターホルンに連れて行ってほしい」と話した。そして今回は文字通りまがりなりにも「モンブランからマッターホルン」へ、雪山をいざなってくれた。次の機会には、Christopheの故郷の山「エクラン」を訪ねてみたい。もちろんその前に「オートルートの完走」を果たしたいものだが。

1.あらゆる状況の雪面を滑る技術(深雪、アイスバーン、湿雪、悪天候下の滑降などなど)
2.冬登山技術の習得(とくに氷河歩行)
3.3000mの高山を歩き続ける体力
4.フル装備のバックパックを背負う体力

の必要性を痛感し、オートルートの再チャレンジを胸に期した。
by kobayashi-skin-c | 2014-05-15 11:41 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)