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2025年3月 『ヴェネツィア、ロンドン』 March 2025 "Revenge Tour to Venice & London"
リベンジツアーの続編です。

3月6日早朝、コルティナの町からバスに乗りヴェネツィアへ。
昨年衣子は怪我のため、コルティナからベッルーノに救急搬送され、そのまま入院、手術。入院はたったの3日間だけでしたが、手術後の安静と松葉杖の歩行訓練のため、ベッルーノの町のホテルで4日間を過ごし、予定していたヴェネツィア訪問はかないませんでした。下2枚の写真はその時のもの。

ベッルーノの病室で
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ベッルーノのホテル(B&B)の庭で歩行訓練
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ヴェネツィアを訪れるのは今回で3回目。1回目は2013年2月、1回目のドロミテスキーに行く途中、ちょうど ”マスカレード” の時でした。
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憂愁を秘めたヴェネツィアの美しさにすっかり魅了された私でした。イタリアは訪れるのに最高の国です。歴史、自然、気候風土、そして食べ物。中でもヴェネツィアの街並みには一番心を惹かれます。

2回目のヴェネツィアは2020年2月。あのコロナがイタリアで爆発する、あたかも寸前のことでした。
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到着したその夜は”マスカレード”の狂乱のさ中でしたが、その翌日からすべてのイベントが中止。ヴェネツィアの街から人が消えました。ロックダウン直前、私たちはなんとか帰国することができました。



そして今年。怪我もなく無事に下山、快晴のヴェネツィアに迎えられました。これもリベンジ旅。憂愁のヴェネツィアです。
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狭く入り組んだ路地を歩くたび、運河にかかる橋を渡るたび、ラビリンスに迷い込みます。
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出会いも待っていました。
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そう、もちろんワインも、食べ物も!
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ヴェネツィアングラス
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あっという間の3日間。ヴェネツィアに名残を惜しみながらロンドンへ。
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ボートに乗って、飛行機に乗って、あっという間のロンドン。人と車と、活気にあふれた街。
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動画でもロンドンの活気をご覧ください。

去年はこの街を車イスと松葉杖で走り回りました。障害者に対するロンドン市民の暖かさに感謝いっぱいでした。
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今年は元気に歩きました。まずのお目当ては、ロイヤルオペラ&バレエ。

”ロミオとジュリエット”
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ジュリエット役の Francesca Hayward の綺麗だったこと!


次にコヴェントガーデンのミュージカル”ライオンキング”
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セリフの英語が分からなくても楽しめます!



昼の間にはロンドンの公園散歩を楽しみました。ロンドンの総面積のおよそ40%は緑の公園であるとのこと。

Hamstead Heath 公園。広大な敷地の中に ”Kenwood House" と呼ばれるお屋敷があり、屋敷内は美術館のようになっています。さりげなくフェルメールの “ギターを弾く人”、レンブラントの ”自画像” が飾られていました。
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翌日の午前中に訪ねた Kew Gardens(王立植物園)
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とにかく広大です。公園の中は早春の花々に彩られていました。
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そしてもう一度ロイヤルオペラ&バレエの ”イル・トラヴァトーレ” を観劇
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この夜が旅の最終幕でした。ロイヤルオペラハウス内にある素敵なバルコニーレストランで、開演前・幕間に夕食をいただきました。
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こうしてリベンジツアーを終え、無事の旅に心から感謝、二人の元気さに大したものだと自ら感心、そして日本が、家がやはり一番!と帰国に感激。
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朝日を浴びる富士山


「冒険の旅をいつまでも続けていたい」と思う反面、「大変だなあ、面倒だなあ」の思いもだんだんと首をもたげています。

「青春とは人生のある期間ではなく 心の持ち方をいう」(サミュエル ウルマン)
 若さを裏付けるのは情熱や冒険心であり 歳を重ねただけで 人は老いない
 歳月は 皮膚にしわを刻むが 情熱を失ったとき 精神はしわだらけになる

それも疲れるなあ そろそろ枯れるのも 人生かなあ



# by kobayashi-skin-c | 2025-03-28 19:00 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2025年3月 『コルティナダンペッツォ、リベンジ戦』 March 2025 "Revenge Visit to Cortina Cortina" 
昨年2024年2月4日のこと、イタリア・ドロミテ山塊のコルティナダンペッツォのスキー場で、イタリア人スキーヤーと交錯、転倒して右大腿骨頸部骨折の重傷を負い、イタリアで入院・手術の体験をした衣子(2024年4月記事を参照ください。2024年2月 『悲嘆のドロミテから感謝のロンドン -パート1-』 February 2024 "From Dolomites to London : Part 1"

めげることなく「リベンジするわよ!」とリハビリに励み、今冬に入ってからはスキーも見事にカムバック。2025年2月26日、コルティナダンペッツォに戻ってきました。紺碧の空、黄色い断崖の山々、真っ白な雪、これがドロミテです。衣子は昨年コルティナで買った”Dynafit”のピンクのウエアを着て感無量の面持ち。でも慎重に滑り出しました。はじめはね101.png
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ドロミテ山塊には12のスキーエリアがあり、コルティナはそのうちの一つですが、コルティナエリアは、さらに大きくTofana山群、Faloria, Cristallo山群、5 Torri, Lagazuoi山群に分かれ、互いのエリアがリフト、ゴンドラで結ばれています。コルティナエリアだけでも約50基のリフト、ゴンドラがあり、スキーコース総延長は140kmと言われています。上の写真はTofana山群の断崖の下まで伸びたスキーコースの最上部、標高は2850mのところです。
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この動画は昨年のもの、上の写真と同じ場所です。怪我をしたのはこの動画の数分後です。
2024.02.04 イタリアのコルチナ・ダンペッツォで。 (youtube.com)
たしかにあの時はスピードを出し過ぎていましたね。
それにしても、大怪我からよく復帰して戻ってきました。


次にFaloria, Cristallo山群。名峰Cristallo, Tre Cime (Drei Zinnen)をめがけて滑り降ります。左後ろの大きな山が Mt Cristallo、右後ろの逆Wが Tre Cime(有名な北壁の裏側の景色)
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続いて5 Tolli, Lagazuoi山群を滑ります。
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後に聳えるのは Tofana 山群の南端


滑る行く手に見える中央の山が Marmolada (3343m)、ドロミテ山塊の最高峰で氷河が残っています。数年前、この氷河のセラックが崩壊し数名の登山者が亡くなる事故がありました。
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札幌を出発して羽田、ロンドンを経由して、イタリア・ヴェネツィアへ。そしてバスに乗り継ぎコルティナの街まではまる二日かかりました。到着翌日は一日休養しながら、レンタルスキー選び(スキー靴は持参)、リフト券購入、食料品の購入(ワインもね)などをして過ごしました。翌3日間はコルティナのホテルに泊まりTofana山群エリアを滑りました。そして昨年果たすことができなかった念願の山小屋へ。Rifugio Faloria(ファローリア小屋)、Rifugio Scoiatolli(スコイアトッリ小屋)、Rifugio Lagazui(ラガツォイ小屋)に三連泊です。

ロープウェイ、ゴンドラ、リフトを駆使して、滑り降りて、そしてまたリフトに乗って山の上。そこに山小屋があります。

Rifugio Faloriaから見るCristallo, Tre Cime の夕焼け。
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スキー場のリフトが止まるとすぐに雪上車が動き始め、雪の整備が始まります。
その模様の向こうに夕日が沈んでいきました。
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夕日はTofana山群の左側。
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そして嬉しい夕食。
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翌朝、朝日に照らされたTofana山群が赤く輝いていました。
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Faloria, Cristallo エリアを滑って滑って、コルティナの街にいったん下ってから、Tofana エリアを斜めに横切り、新しいゴンドラに乗って5 Torri エリアのスコイアトッリ小屋へ。いったい何㌔ぐらい滑ったのだろう。ビールがうまかったあー!スコイアトッリ小屋のテラスにて。
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スコイアトッリ小屋はこんな感じです。
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スコイアトッリ小屋にはなんと露天風呂!
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この日も夕焼け、夕日にみとれました。

夕日に照らされた Le Cinque Torri (2361m)
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左が Monte Antelao (3263m)、右がCroda da Lago (2715m)
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夜のとばりが下りたころ、7時過ぎから夕食が始まります。山小屋の食事はにぎやかです。
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こんなご馳走でした。マグロの赤身ではありません。ビーフカルパッチョ!
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黎明の時の美しさと言ったら、それはそれは言葉にできないぐらい! 宇宙を感じさせます。そしてまた朝日、朝焼けを迎えます。まさに「浩然の気」。
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朝一のゲレンデを滑って、

この日はビビるリフトを乗り継ぎ 、Super 8 (8の字型スキーツアー)を辿って Lagazuoi 小屋へ。

大袈裟ながら Lagazuoi 小屋は世界で一番好きな山小屋。
なんと 2752m の天上で裸のサウナ!そして夕暮れの山々に乾杯!
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夕日を見送り、地球と宇宙の境の色の移り変わりにいつまでも瞳を奪われました。
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そしてドロミテ山塊最後の朝が明けます。





もう別れの時、2752mの Lagazuoi 小屋から1200mのコルティナの街まで、名残を惜しみながらゆっくりと滑り降りました。
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ラストランの動画は YouTube で


ドロミテへの、コルティナへの愛は深まるばかり。また来たい、君と二人で。
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# by kobayashi-skin-c | 2025-03-27 17:39 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2025年3月 『思い出写真 in 2024 ④』 February 2025 "Memories in 2024 #4" 
「光陰矢の如し」、「少年老い易く学成り難し」
もはやこの歳で少年もありませんが、年齢とともに過ぎ行く時の速さは加速度的です。
「チコちゃんに叱られる」で、「歳をとるとなぜ時が早く過ぎるのか」の質問がありました。答えは「大人になるとワクワクすることが少なくなるから」でした。この歳になってもじゅうぶんに「ワクワクしているのに!」と思うのですが、とにかくあっという間の1月、2月でした。

2024年の思い出写真、もう少しご紹介したい景色が残っていましたのでご覧ください。

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2024年11月、長野県美ヶ原の日の出、朝焼けです。動画でもご覧ください。


美ヶ原に先立って富山の東岩瀬を訪ねました。初めての「ズワイガニ体験」。「香箱がにの内子、外子」の美味しかったこと!生の蟹卵の卵かけご飯は今まで味わったことがない桁外れの美味しさでした。さらに「毛蟹の卵かけご飯」。毛蟹と言えば、北海道の特産品ぐらいに思っていましたが、富山湾、日本海でも獲れるのですね。ところが、北海道ではメスは禁漁。網にかかったメスの毛蟹はすべて海に返されるそうです。ところが富山湾で獲れる毛蟹は、ズワイガニ漁で混獲されるもので、メスも食べられるそうなのです。毛蟹の卵かけご飯も生涯初めての衝撃の美味しさでした。
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東岩瀬は、江戸時代から明治、大正にいたるまで「北前船」で栄えた港町です。昔の廻船問屋が連なる町並みが残り、旧家を訪ねるだけではなく、リノベーションされた家屋、土蔵を使って地ビール醸造所、バー、レストラン、ギフトショップなどたいへん魅力的な町が創られています。
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続いて東岩瀬から山あいに入り、「風の盆」で有名な越中八尾を通り過ぎて
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さらに山奥の利賀村を訪ねました。「LEVO」、地産地消を実践するレストラン。谷口シェフが作り出す料理はジビエ、山菜などをふんだんに、しかも絵画のごとく美しく仕上げられるお皿の数々でした。感激しました。
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富山からは糸魚川へ、そして糸魚川線で白馬村。新雪の白馬三山と麓の紅葉の競演はまさに白眉の彩り。
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美ヶ原の朝日に向かって万歳をした後は、松本に下って「特急あずさ号」。到着した東京駅の夜景も、またこれも感激的でした。そんな晩秋の旅でした。
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# by kobayashi-skin-c | 2025-03-16 18:12 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2025年2月 『思い出写真 in 2024 ③』 February 2025 "Memories in 2024 #3" 
2024年10月1日、ピレネー山脈を越えたスペインのパンプローナの街で、31日目にして巡礼を終えました。その模様は2024年10月、11月のブログでご紹介したとおりです。

パンプローナ大聖堂
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パンプローナ城壁門
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パンプローナからバスでサンセバスチャンに戻り、さらにフランスバスクのビアリッツから飛行機に乗りパリに移動。日本への帰国前、パリで4日間を過ごしました。パリオリンピック2024のモニュメントがまだたくさん残っていました。下はバスチーユ広場のモニュメントです。バスチーユ広場と言えば、1789年7月14日、ここからフランス革命が始まったところですね。
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すぐ近くのサンマルタン運河、セーヌ川。セーヌ川の遠く下流に工事中のノートルダム寺院が見えています。
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2019年4月、ノートルダム寺院は大火災で焼け落ちてしまいましたが、フランス国民の強い意志、そして国際的な協力もあり、2024年12月からふたたび一般公開をするまでに再建されました。写真を映した10月5日の時点ではまだ再建途上だったようです。
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この日のパリは快晴でエッフェル塔を目指して歩き、エッフェル塔のたもとからは遊覧船に乗船し、セーヌ川からのパリの景色を楽しみました。パリオリンピックの開会式の日は雨模様でしたが、すごい演出でしたね。
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パリは「芸術の都」、オペラ座、美術館も巡りました。

オペラ座バスチーユにて
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この日の演目はプッチーニ作曲の「蝶々夫人」でした。衣装も舞台装置も極めて簡素、そして歌い手の所作も日本の「能」を意識したと思えるゆるやかさがあり、日本文化の浸透を感じました。素晴らしい舞台でした。
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続いてポンピドゥーセンターへ。カラーで見るポンピドゥーセンターは現代的であり、雨に煙るパリの街並みは白黒が良く似合っていました。
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近代美術を集めたポンピドゥーセンターでは、おりしも日本の漫画展が開かれていました。なんと手塚 修、白土三平らの漫画が額縁で飾られていました。会場は子供たちで賑わっていました。ここでも日本文化の浸透に触れ大変感動しました。
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上映中のテレビ漫画の前は子供たちでいっぱいでした。


パリは「食の街」でもありますね。楽しみました、ワインも一緒に107.png
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日本の文化は食の面でも大いにフランスに浸透しています。"Suhi", "Tempura" はもちろんのこと、"Dashi", "Wasabi", "Yuzu" は頻繁に聞きました。そして"Wagyu" が一流レストランの最高級メニューとなっていることには驚きました。日本酒はもちろんのこと日本産ワインも大人気でした。スペイン巡礼の途次にも「日本に行きたい」「日本旅行が素晴らしかった」「今度日本に行くのが楽しみ」の声をたくさん聞き、観光、文化面で日本に興味を持っていただけることをたいへん誇らしく感じました。いっぽう残念に思ったのは旅行中、巡礼中、日本人に出会うことがたいへん少なかったことです。スペイン巡礼では数多くの韓国、中国の人々に出会いました。日本の経済状況から海外旅行者が減っているのでしょうか。違うと思います。日本がもっと貧しかった時代、多くの人たちが団体旅行で、そして多くの若者たちはバックパックを背負って海外に出ていました。その活力を失い、内向きな状況になっていることが、海外に出かける人々が減っている原因だと思うのです。


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スペイン巡礼の途中、出会ったこの方は、歳の候は同じ、そして二度目のスペイン巡礼。それも今度は自転車で!
出会ったのはこの方が道に迷ったから。「いやあ助かりました、英語もわからないし、携帯電話も使いこなせないので紙地図だけが頼りなんですよ‼」とのこと。こちらがびっくりしました。何もかもが便利になり、スマートフォン、GPS、クレジットカードがあれば何でもできる時代、この方のことを「チャレンジャー」「冒険家」と思いました。「何とかなりますよ!」の言葉を残されてまた自転車をこいでこの方は前に進んでいきました。この方の無事を祈ったことはもちろんですが、この方の活力を見習わなければと感じ入りました。

高橋さん、と言われていたかな。無事に帰国されたかしら101.png

# by kobayashi-skin-c | 2025-02-25 11:36 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2025年2月 『利尻山、ふたたび!』 February 2025 "Come Back to Mt Rishiri !"
利尻山にふたたび戻りました。
一昨年は私の左腓骨外果部骨折、昨年は衣子の右大腿骨頸部骨折のため、私たちは2年間利尻を訪れることができませんでした。満を持しての利尻山スキー、お互い74歳もの齢を重ね「あといく度来ることができるのか」の思いで訪れた3年ぶりの利尻でした。

札幌丘珠空港の出発ロビーに入ると、髭面の外国人とおぼしき男性が私たちに手を振っていました。近付いてきた外国人の口から「ボリスです!」、「オーーッ、ボリス!」、なんと2019年の私たちの初利尻スキーで一緒になったボリスでした。

下段右がボリスです。ちなみに上段は衣子と私、下段左・中はガイドの金村孔介さん、佐々木翔平さん。
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丘珠空港を出るときは曇り空でしたが、利尻島に着くころには快晴。真っ白な利尻山が青空に映えていました。
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最後に来た2022年にはあの頂に立っていたのです。
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天気予報ではこのあと連日雪と雲、結局利尻山の頂上を見ることができたのは空港に降り立った時だけでした。
でも新雪が降り積もりました。
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動画でもご覧ください。


感謝の利尻山の3日間でした。
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ちょうど一年前、利尻山では痛ましい雪崩事故がありました。山とはなんと美しく残酷なのでしょう。こんなにも美しく楽しい山が牙をむき人の命さえ奪ってしまう、そんな大自然に心から感謝しつつ畏敬の念を覚えざるを得ません。

また来たい!

# by kobayashi-skin-c | 2025-02-22 13:29 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)