スペイン巡礼の間に大雪山の紅葉は逃してしまったが、札幌の街は心が浮き立つほど赤に黄色に彩られた。北海道大学キャンパス、中島公園をそぞろ歩き。
10月20日には初雪、そして11月7日には初積雪。また来年の紅葉を待たなければならない。 美しい札幌の街、秋の散歩にお付き合いください。 北海道知事公舎 最後の紅葉、平成ポプラ並木が黄色に染まり、青空に向かって堂々と立つ いよいよ本格的な冬が迫ってきたようです。 クラーク博士も雪の帽子と首飾り。 皆さま、ご自愛ください。
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by kobayashi-skin-c
| 2024-11-30 13:07
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昨年春のことでした。 『おいしい映画を観て、おいしい料理を楽しむ を盛り上げる映画制作を行うため、私たちの大好きなレストラン「ラ・サンテ」での食事風景に出演してくれないか、というお誘いがあったのです。題名は「北の食景(Northen Food Story)」、監督は上杉哲也氏、登場するのは「ラ・サンテ」の他、「アグリスケープ」、「味道広路 あじどころ」、「〇鮨」、そして北海道の生産者の方々。なんと4店中3店が私たちの大好きなところです。喜んで撮影に協力することといたしました。 ![]() そして完成作品は「スペイン・サンセバスチャン国際映画祭」に出品されるとのこと。「ええっ、ひょっとしてあのレッドカーペットを歩く!!」などと妄想を膨らませましたが、私たちが登場した映画が「まさかねえ」、とあまり期待もしていませんでした。 ところが、なんと「北の食景(Northen Food Story)」が映画祭の「Culinary」部門受賞作品の一つにノミネートされた、とのニュースがすでに日本を出発していた私たちの耳に飛び込んできました。 ![]() 巡礼24日目、巡礼路「Le Puyの道」の終着点Saint-Jean-Pied-de-Portから、スペインSaint Sebastián へやってきました。すぐにサンセバスチャン国際映画祭の会場へ。そこには「ラ・サンテ」の高橋シェフご夫妻、「味道広路」の酒井大将ご夫妻、そして我らがフードライター小西女史の皆さんが私たちを待ってくれていました。なんと言う奇跡のようなストーリー。食が繋いでくれたこの出会い、感激です。 ![]() さっそくレッドカーペットの上で記念撮影 ![]() そして9月25日、「北の食景(Northen Food Story)」がプレミア上映されました。会場前で上杉監督と記念撮影。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 一番盛り上がっていた№10テーブル。スペイン語、日本語、バスク語で3回乾杯、それをシャンパン、白ワイン、赤ワイン、日本酒のたびに🥂🥂🥂🥂 ![]() ![]() 現地の食材を使ってみごとに北海道の味を引き出した「ラ・サンテ」高橋シェフ、「味道広路」酒井大将に感服です。お二人に、そしてチームの皆さんに、会場から惜しみない拍手が送られました。また映画、パーティーの企画、準備に当たられたオフィスキュー社長伊藤さん、フードライター小西さん、お見事でした、ご苦労さまでした。この思い出は私たちにとっても一生のもの。いや冥土の土産となることでしょう。ありがとうございました。
![]() ![]() 衣子の言葉、 "未来とは今想像も出来ない素敵な事が起こりうる時間空間である" 昨年6月ラ・サンテで映画の撮影時、マダムと「サンセバスチャンで一緒にレッドカーペットを歩きましょう」と冗談の様に話してた夢が現実になりました。札幌、栗山の大好きなレストランのシェフ、スタッフの方々が私達を連れて来てくれて、時間を共有できたサンセバスチャン、人生最高の思い出になりました、ありがとう! サンセバスチャンはほんとに美しい街!ビスケー湾(大西洋)から入り込む帆立の形をした入江に真っ白な砂浜が広がり、砂浜を取り囲むように街が立ち並びます。 ![]() ![]() ![]() ![]() サンセバスチャンは「美食の街」としてもたいへん有名で、ミシュランの星付きレストランがいくつもあります。食べ物好きにとって、レストランばかりではなく「バル」も人気があります。 サンセバスチャン旧市街。この道の両側にはバルのお店が立ち並びます。となりの小路も、あっちの道もバルだらけ。そこに地元の人たち、世界中の観光客が集まって来ます。 ![]() ![]() ![]() ![]() 巡礼27日目、San Sebastián から再びSaint-Jean-Pied-de-Portへ。サンセバスチャンもスペイン巡礼路「北の道」の宿場町の一つなので、巡礼27日目! ![]() またバックパックを背負って、多くの思い出が詰まったサンセバスチャンの街を出発。途中短縮した巡礼路の最後をピレネー越えで終えることとしました。4泊5日でSaint-Jean-Pied-de-Portから70km先のPamplonaを目指します。 巡礼28日目、前夜には巡礼者送り出しの祝福を受け、Sain-Jean-Pied-de-Portから国境を越えてピレネー山脈の麓Valcarlosの村へ。 ![]() 巡礼29日目、いよいよピレネーを越えてRoncesvalles の村へ。思いのほか軽々と峠を登り切りました。途中2000mを超える山々を望みながら、広葉樹の森、清流の小川を渡り、青空の下、Roncesvallesの教会にたどり着き、そしてPyrénées越えの乾杯! ![]() ![]() ![]() 巡礼30日目、Pyrénéesを下ってRoncesvallesからZubiriへ。巡礼も残すところ明日一日となりました。昨日のRoncesvalles 教会のミサ、夕焼けが心に残ります。 ![]() ![]() 夜明けとともに歩き始めると、なんと列をなすほどの巡礼者たち! ![]() ![]()
巡礼31日目、Zubiri(スビリ)からPamplona(パンプローナ)。パンプローナと言えば「牛追い祭り」、ヘミングウェイの「日はまた昇る」でよく知られる街です。堅固な城壁に守られた城塞都市で、跳ね橋を渡り、城門をくぐり、古い街並みを進んでいると、忽然と大聖堂が現れました。今回の巡礼旅の終点です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 大聖堂でクレデンシャル(巡礼通行証)に印をいただき、その印の数は31。歩いた距離は500kmを超えました。 ![]() サンセバスチャンでの得難い体験をはじめ、コンクでの貴重な経験、そして美しい村々、広大な大地、思い出はつきません。皆んなに、すべてに感謝。とりわけ衣子には無理を強いてしまいましたが、最後まで共に歩んでくれてほんとに、ほんとにありがとう。 また、来年、サンチアゴ・デ・コンポステーラを目指しましょう。 最後までフェースブックにお目をとおしていただいた皆さま、ありがとうございました。 #
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| 2024-11-13 17:22
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巡礼の歓び、私にとって最大は「自然の中を歩くこと」。 そして次に「友を知ること」。 巡礼者の垂訓(TheBeatitudes of the Pilgrim) その2 「巡礼者は幸いである。あなたが大切に思っていることが、『ただたどり着くことではなく、他の人と一緒に目的地に到着する』ことならば。」 四国遍路のときもそうでした。仲間、友の大切さを知りました。 その友はすぐに現れました。ル・ピュイを出発して間もなく、後ろから追いついてきた女性が「日本人ですか?」と尋ねてきたのです、日本語で! ![]() ![]() 同じく一日目の宿で一緒になったオーストラリア人家族。お父さんは80歳、お母さんは78歳。とてもお元気で私たちとはいつも先になったり後になったりしながら歩きました。お父さんは現役の耳鼻科医、お母さんはメルボルン大学でリハビリ科教授とのこと。ご家族で340km先のCahors カオールの町を目指す。 ![]() ![]() たいへんお世話になった一人歩きのベルギーのセシル(左)。ベルギーの母国語はフランス語。大多数のフランス人はフランス語しか話しませんが、ベルギーの人たちは英語も、ドイツ語も、オランダ語も話します。セシルには荷物配送サービスの申込みを教えてもらいました。 ![]() パリから来たご夫妻 ![]() 時には町で、村で一同が一緒になることも。みな口々に「Bon Chemin!」(Buen Camino, 無事の巡礼を!)が合言葉。 ![]() ![]() 四国遍路とスペイン巡礼の違いについて、四国は舗装道路が主体で、スペイン巡礼路は土の道が大半であることを前回述べましたが、もう一つ決定的に違っていたのが巡礼者の男女比です。四国遍路ではほぼほぼ男だけでした。女性一人のお遍路さんはドイツから来たSabineさんだけだった気がします。 なぜスペイン巡礼では女性の方が多いのか? なぜ一人旅が多いのか? 歩きながらたびたび衣子とこの話題について話しました。 まず日本の四国遍路がなぜ圧倒的に男なのか、 これについては、①日本の男は家で余されて行き場がないので「お遍路」に出る。お遍路に来ると「お接待文化」の中で自分の存在感を保つことができる(甘やかしてもらえる)。「だから退職した男が多いのよ!」(衣子の意見、そう言えば私がお遍路に旅立ったのは退職して4日後でした)。 もう一方の意見、②日本はまだまだ男社会が根強く、女性の一人旅が社会的に許容されていないので、宿泊施設などで女性の不便さ、不安さが制限要因となっている。最近は一人歩きの山ガール、山女が増えつつあり、「お遍路」への女性参加も増えていくのではないか(仁の意見)。 次に本題の、なぜスペイン巡礼では女性の方が多いのか? なぜ一人旅が多いのか? これは実際に聞いた声、①夫に先立たれた。思い出の旅、②歩くことが好き、旅が好き、スペイン巡礼は安全、③夫は出不精、自分はアウトドア派、などでした。 私たちの観察では、①とにかく安全。日本では男部屋、女部屋に分けられた山小屋がありますが、こちらは大部屋でもすべて男女一緒。シャワー後だろうが着替え後だろうが下着姿で歩き回るのが平気。②女性一人旅が多いのでお互い友達を作りやすい、そして何と言っても③女性が強い(差別的発言?)。大きなバックパックを軽々と背負っている!そして自立している! 巡礼路を歩きながら動物、植物たちも大切な仲間でした。 オーブラックでは牛さんたち、バスクが近付いてからは羊さん、それに牧羊犬たち。 ![]() ![]() 牧羊犬にしろ、飼い犬にしろ、フランスではたいていが首輪、リーシュコードにつながれていません。それも大型犬が多いので、近付いてくるとちょっと身構えます。牧羊犬にいたっては大きな声で吠えて威嚇します。犬嫌いの衣子にとっては試練でした。 巡礼路沿いの花々、木の実も私のたいせつな仲間。とくに秋の木の実が気になります。北海道でもどこでも木の実を見つけると口に入れます。無論、毒ではない食べられる木の実です。 もちろん一番大切な仲間は、 二人合わせて147歳。来年は「金婚式」を迎えます。まだまだこれからも同じ歩幅で歩き続けるでしょう。サンチアゴ・デ・コンポステーラまで、まだ半分の道のりが残っています。 次回は、サンセバスチャン(スペイン)でのかけがえのない体験について記事をお届けいたします。
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| 2024-11-13 17:20
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巡礼者は、いったいどんな一日を過ごしているのでしょう? 巡礼の心得、巡礼のエピソードも交えながら綴っていきます。 まずは一日の始まり、 ![]() 最初の5日間は背負いましたが、「ル・ピュイの道」前半はアップダウンが多く、途中からは配送サービスを利用することとしました。 ![]() さて「750kmを歩こう」なんて計画、いったいどのようにして始まったのでしょう。 本格的にこのスペイン巡礼の旅を考え始めたのは、「熊野古道、中辺路」を終えてからでした。 ![]() 田辺市熊野ツーリストビューローのホームページにこんな書き込みを見つけました。 ![]() ④Camino de Santiago - Via PodiensisLe Puy to the Pyrenees on the GR65スペイン巡礼(サンチアゴ巡礼)の巡礼路にはたくさんのルートがありますが、フランス国内を出発し、ピレネー山脈を越えスペインの大地を歩くコースを選択しました。中でも美しい「ル・ピュイの道」を選び、ピレネーまでを前半(フランス部分)、ピレネーからサンチアゴまでを後半(スペイン部分)に分け、まず今年は前半の巡礼路を辿ることとしました。経験者の旅程、日程についてもブログなどに詳しく掲載されています(リンクから)。「ル・ピュイの道」750kmを30‐35日で歩くのが標準のようでした。9月1日にル・ピュイを出発(日本を出たのは8月9日、8月10日~31日の間の出来事はまた後日掲載いたします)、そして到着を10月5日に想定し、日本への帰国は10月6日のパリ・東京便を予約しました。参考とした旅程では一日10~30kmの歩行、平均で25㎞弱/日の計算でした。 「ル・ピュイの道」巡礼路は広大な自然の中、そして美しい村々を通り抜けて歩きます。 巡礼路の8割は土の村道、農道で、ところにより勾配のきつい山道も通らなければなりませんでした。2割ぐらい舗装道路はありましたが、交通量は少なく安全でした。ここが「四国お遍路」と大きく違う点で、四国では舗装道路が大半を占め、時には大型トラックの行きかう幹線道路の端を歩かなければなりませんでした。 私たちはMICHELIN(ミシュラン)が発行する緑本の簡易地図だけで歩きました。巡礼路を示すGPSも公開されているようでしたが、iPhoneとにらめっこすることは避けました。道標がしっかりしておりそれだけを目印としました。2日に1度は道標を見逃して間違った道に進むことはありましたが、大きな道迷いはありませんでした。むしろGPSを頼りに歩いていた他の巡礼者から道を聞かれたこともあったぐらいです。 ![]() 日中の大半は歩いていますが、大切かつ大変だったのが泊まるところの確保と、食事の選択でした。「ル・ピュイの道」は人気の巡礼路であり、また9月は最適シーズンなので、早くから予約することが勧められていました。しかしながら、歩き始めてみないことには体力、体調の具合が分かりません。出発地のル・ピュイ、そして3日目までの宿を控え目の歩行距離で、日本出発前に予約しておきました。あとは「出たとこ勝負!」、しかしこれは甘い考えでした。 宿は大きく3種類に分けられます。 ①公営(あるいは教会・修道院付属)のいわゆる巡礼宿 ②私営の巡礼宿。フランス語で「Gite(ジットゥ)」。日本では「民宿」、「山小屋」にあたる。 ③ホテル ①公営(あるいは教会・修道院付属)のいわゆる巡礼宿。歴史的建造物が多く、11~12世紀に建てられたものが改築を経ながらも、巡礼者のたいせつな宿として現在まで使われています。2食付きで30-40€。 ![]() Accueil du Couvent de Malet(Saint-Come-d’Oltの修道院) ![]() Accueil Abbaye de Sainte-Foy (コンクのサント・フォア修道院) ![]() ![]() モワサック市が運営するGîte l’Ancien Carmel ②私営の巡礼宿。フランス語で「Gite(ジットゥ)」。日本では「民宿」、「山小屋」にあたる。多くは2食付き、大部屋で30-40€、個室で50-60€。なかには「宿代はなし、Donation(寄付)のみ」という所もありました。 1日目の宿、MontbonnetのGîte l’Escole。15名が泊まれる宿。ご主人メフディと。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2日目の宿、RoziersのChambres d’hôtes l’Arche de Gabriel。牧場の中の素晴らしいところでした。夕食も最高においしく、昨夜の同宿者が我々を含め8名。ワインを飲みながら、日本の技術力の素晴らしさ(おもにウオッシュレット)を話題に最高に盛り上がり、顎が外れるほど笑い転げました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 食事の途中でちょっとシモの話題。海外旅行を経験した方はよくお分かりかと思います。日本のトイレ事情がいかに素晴らしいか!裏を返せば、海外では・・・・・・。ところがこの巡礼路、そうではありませんでした。 ![]() ![]() と絶賛したのですが、この施設が置かれていたのは最初の3日間だけ。あとは「自然の中」。まあ私にはたいへん気持ち良いのですが、女性は大変です。森の中だと人が来ないのを見計らって・・・・なのですが、タイミングを間違えると・・・・・。何度か他人様の「白いおしり」を見る羽目となりました😲。 8日目、Saint-Chély-d’Aubrac村のGîte Communal Chez Fanny et Jérémy。朝食のみで25€。気さくで親切なファニーとジェレミーでした。夕食が付いていないときは村/町のレストランに行きます。この時ばかりにと美味しいものを食べたいのですが、どこに行けば?役に立ったのはGoogle Mapのクチコミでした。この夜はオーブラック牛のステーキでした。生涯一のステーキでした。肉質が和牛とはまったく異なります。肉に弾力があり、脂が少なく、噛めば噛むほど肉の味がじわっと口の中に広がります。さもありなん、オーブラック牛は自然放牧、自然の牧草だけを飼料とし(サイロ、サイレージの牧草も使いません)、牧草の中には香草も含まれており、肉の旨味を引き出しています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 「Gite(山小屋、民宿)」のほとんどは、古い農家を利用したもので、200年~300年前に建てられた家でした。 Limogne-en-Quercyの”Gîte le Mas du Cartographe” ![]() ![]() ![]() ![]() 「ル・ピュイの道」の終着点、そして「フランス人の道」の起点であるサン・ジャン・ピエ・ド・ポーの「Gite」。下の写真、衣子はどこにいるでしょう? ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ③ホテル 大部屋の生活、大勢での食事が続くと疲れてきます。大きな町ではホテルも利用しました。予約もインターネット予約サイトが使えるので簡単にできました。便利ですが少し贅沢になります。二人で一部屋が100~200€。 Saint-Alban-sur-Limagnoleの村で宿泊した"Hôtel Relais Saint-Roch"。"Relais"ですから昔のお屋敷です。古色蒼然としたたたずまいでホテルの従業員?は老夫婦お二人だけ。宿泊者も私たち二人だけ。 ![]() ![]() ![]() ![]() もう一つ思い出に残るFigeacの”Hôtel Mercure Figeac le Château Viguier du Roy” ワインはブルゴーニュ・ボーヌの赤 巡礼路の途中で、ほんとに罰が当たりますね。 そして一日の終わり、教会・修道院の付属宿泊施設では夜のミサが巡礼者祝福のために行われます。コンク(Conque)のAccueil Abbaye de Sainte-Foy (サント・フォア修道院)でのミサは生涯忘れえぬ思い出となりました。 80人の巡礼者が一堂に会した夕食の終わりに、修道僧から「フランス人の巡礼者?」、「ドイツ?」、「イギリス?」、・・・・・・・、「日本?」の質問にみんなが挙手します。そしてその最後、「フランス人を代表して、あなた!」、「海外からはアメリカ人のあなた、そして日本人のあなた!ミサにおいて聖書の一節を朗読してください」。なんと衣子が指名を受けたのです。むろんフランス語での指名に何が何だか訳が分からない私たちでしたが、巡礼仲間のベルギーの方が英語で教えてくれました。 ![]() そして朗読は、YouTubeでご覧ください。 キリスト教徒ではない私たち、たいへん戸惑いましたが、巡礼者であることに誇りをもって引き受けました。また衣子はカトリック系の幼稚園(小樽ロース幼稚園)の卒園生。少しは資格があったのかも知れません。聖書の日本語コピーが手渡された、とのことでした。 続いて「スペイン巡礼の旅-その③、巡礼の仲間たち」をお届けします。 #
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| 2024-11-02 12:46
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![]() フランス中南部の町ル・ピュイにある大聖堂から、スペイン西端、大西洋にほど近い聖地サンチアゴ・デ・コンポステーラに向かって歩き始めました。大聖堂は聖地に向かって建てられています。赤い屋並みがル・ピュイの町、その遠くに広がる緑の向こうの、向こうの、そのまた向こうの向こうにサンチアゴがあります。 なぜ巡礼、それもキリスト教の聖地? 昨年4月、退職を契機に四国遍路の道を歩きとおしました。そのとき驚いたことに多くの外国人お遍路さんに出会い、ともに歩いたのです。そしてその彼ら、彼女たちの口から出たのが「スペイン巡礼」です。「スペイン巡礼は素晴らしい、だから日本の巡礼路にも来た」と。 ![]() ![]() ![]() なぜ、巡礼? 私にとって、それは歩くことが「楽しい」に他ならないから。そしてそれが古から続く祈りの巡礼路ならばなおさらのことです。四国遍路では歩きとおすことにより「自らを知り 自らにおごらず 自らに挑み 自らを超える 日々人生遍路」と学びました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 大半は牧場の間を抜けていきますが、時折森の中の小道、山道を歩きます。台地はけっして平坦ではなく、幾筋もの沢が流れており、沢への斜面に森が残され、この沢の登り・下りではけっこうな急斜面が待っていました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 標高が高いオーブラック台地に風が吹き抜けます。気温も10℃を下まわり、これは想定外でした。 巡礼8日目、Saint-Come-d’Oltの宿泊所の修道院 ![]() 巡礼10日目、世界遺産の村、エスタン ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() もう、巡礼21日目。Eauze (エオーズ)へ。今日、明日はバスを使って一気に200kmを進みます。エオーズ大聖堂ではおりしも結婚式。私たちも祝福の列に加わりました。そして大聖堂前の広場では秋祭り?豚が葡萄の枝で丸焼きにされていました。ここでもお祭り気分の一員に加わりました ![]() ![]() ![]()
巡礼22日目、ここはもうバスク地方。家の紋章もバスク語にバスク模様。牧場の緑は濃く、陽射しも強い。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() あの大怪我からまだ7ヶ月、衣子はよく歩き続けました。頑張って共に歩いてくれてありがとう。明日からはサンセバスチャンの街、映画祭を楽しみましょう! サンチアゴへの道はまだ続く。 また続編をご覧ください。 #
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| 2024-10-23 07:43
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