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2014年10月 『エヴェレスト・三峠越えトレッキング』 October 2014 "Three Pass Crossing in Everest"
エヴェレストトレッキング(カラ・パタール、ゴーキョ・ピークと3峠越え) 
Super Three Pass Trekking of Everest



2014年10月3日 カラ・パタールにて
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9月11日~22日のムスタン巡礼の旅をボーダナートで終え(本ブログ ”Photo & Essay” の2014年9月「ムスタン巡礼の旅 前篇・後篇」を参照)、23日を休養日と当てた。

そして、長年の夢を果たすときがきた。


Day 1st (09/24)

前夜は、私たちよりも一日遅れでカトマンドゥに帰着したムスタンメンバー全員と、チベット宮廷料理のギャコク鍋を囲み、英気を養うとともに、エヴェレストトレッキングの激励を皆から受けた。
朝5時、まだ真暗闇の中、カトマンドゥ空港に向けてサンセット・ビューホテルを出発。空港では長い列に並ぶ。ガイドのディリさん、サブガイドのプラカシュさんが今回のトレッキングの案内人。サブガイドは必要ないだろうと、計画・見積りの段階でトレッキング会社と交渉したが、「ガモーバッグ、酸素ボンベを持ち歩くために必要です」と押し切られてしまった。「ガモーバッグ」は高山病に陥ったときに用いる高気圧バッグである。
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しかし、この日は結局6時間も空港待合室で待ったが、ルクラ便は一機も飛ぶことはなかった。天候不良によるルクラ空港の閉鎖は日常茶飯事で、もう3日間も待っているアメリカ人トレッカーがいた。たった一日の延期(かどうかは分からないが)ぐらいで、へこたれてはいけない。まだ「雨季」が終わっていないようだ、とのディリさんの話の方が気になる。

しょぼくれてサンセットビュー・ホテルに戻り、見送りを受けた皆と再会。「あら、どうしたの?」、「また皆さんとお会いしたかったのよ」、「そうよねぇーー、残念だったわねえーー、またお食事しましょうよ」と慰められつつ、皆の顔は嬉しそうでもある。お世話になります。


Day 2nd (9/25) カトマンドゥ→ルクラ→モンジョ

この日は何とか順調に飛んだ。ルクラ空港(テンジン・ヒラリー空港)に降り立ってみて、いかに危険な空港であるかよく分かった。
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カトマンドゥから約40分でオンボロ飛行機はヒマラヤの峰の一端に突っ込んでいった。滑走路は460m、山に向かって勾配!が12度。着陸の時にはブレーキ代わりとなり、離陸の時は逆に下り坂でアクセル代わりを果たす。ここの離着陸はすべて有視界飛行。

ここで、今回のトレッキングの行程概念図を記しておこう。
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1~14の宿泊地(ナムチェは買物で立ち寄っただけ)、①~⑦の峠、ピーク、そして3つの8000m峰(+マカルー8463mがすぐ東側にある)。エヴェレストが美しいのは、シャンボチェの丘、タンボチェの尾根、カラ・パタール、ゴーキョ・リ、チョー・オユー・ベースキャンプ(BC)、そしてコンデである。3700m~5550mを順にぐるっと回るSuper Three Pass Trekking、エキサイティングなコースだ。高度順応がその成否を分かつ。私たちはムスタン巡礼で4000mを越える高さを経験していたので、自信はあった。思わぬアクシデントが待ち受けていたが。それは後で述べる。


Day 3rd (9/26) モンジョ→ナムチェバザール→シャンボチェ

計画ではナムチェ泊まりであったが、シャンボチェまで行くこととした。途中ナムチェの定期市が開かれていたので、果物、行動食の買出しをした。市場には近隣の村々から運ばれてきた野菜、果物、穀類、お肉、そして中国国境から持ち込まれた日用雑貨、衣服が所狭しと並べられている。
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それにしても肉屋の迫力のあること。日本のスーパーのパックからは想像もできない大きさの肉が売られていた。ほとんどが水牛、ヤクの肉である。敬虔なヒンドゥー教徒、仏教徒はけっして牛肉を口にしない。水牛やヤクのお肉が堂々と売られているのには、いささか違和感を覚えるのだが、水牛もヤクも「牛」ではないそうな。「でも、・・・・・・」。


Day 4th (9/27) シャンボチェにて高度順化

未明、まだ薄暗いうちに目を覚ました。外に出るとなんと雲一つない!
濃紺の空の向こうに見えていた。まごうことなくエヴェレスト!
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左から、タウツェ(6495m)、エヴェレスト(8848m)、ローツェ(8516m)、アマ・ダブラム(6814m)
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シャンボチェから見るエヴェレストは想像以上に近く、大きい。長年の夢が現実となった景色なのだが、なにかあっさりとしすぎて、不思議な気がした。
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クムジュンの村からアマ・ダブラム(6814m)を仰ぎ見る。
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クムジュン村には広々とした畑、ヤクのカルカ(牧場)があり、たいへん豊かそうだ。村人はジャガイモの収穫と、ヤクの糞の乾燥に忙しそうであった。ヤクの糞は、森林が少ないこの辺りでは、貴重な燃料となっている。排泄されたヤクの糞をドッコ(竹篭)に集め、家々の庭ではそれを取り出して手で丸め、ホットケーキのように平たく延ばし、20センチぐらいの大きさにして、一枚一枚地面や石垣に貼り付けてから、天日で干す。この作業はすべて素手で行われている。恐れ入ったものだ。そしてカチカチに乾かしてから、ストーブやカマドにくべる。煙には独特の刺激臭がある。


Day 5th (9/28) シャンボチェ→クムジュン→サナサ→プンギタンガ→タンボチェ→パンボチェ

Day 6th (9/29) パンボチェ(3930m)→ディンボチェ(4410m)

Day 7th (9/30)  ディンボチェ(4410m)で高度順化

高度順化のため5085mのディンボチェ・リに登った。イムジャ・コーラの向うに、左からカンテガ(6783m)、タムセルク(6618m)が美しい雪峰を見せていた。5085mのピークに到達することができたことから、随分と気が楽になった。気懸りは天候。早朝は必ずといって良いほど晴れるが、早い時は10時になると雲が湧き始め、あっという間に真っ白な霧の中。山々の展望はかき消されてしまう。
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ネパールリンドウの向うに雲間の・アマダブラム。
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Day 8th (10/1) ディンボチェ(4410m)→チュクン(4730m)

Day 9th (10/2) チュクン(4730m)→コングマ・ラ(5535m)→クーンブ氷河→ロブチェ(4910m)

4:30AM起床、5:30AM薄明かりの中チュクンを出発した。霜の降りた草原を緩やかに登り、コングマ・ラ(峠)を目指す。
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アマダブラムの頂、続いてカンテガ、タムセルク、遠くコンデ・リが朝日で輝き始めた。雲ひとつない晴天、寒い。足許の草原は霜で真っ白。エーデルワイスの花が霜で凍っていた。
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小川をいくつも渡り、白く輝き始めた峰々を望みながら、どんどんと高度を上げていく。なんと美しいことか。草原から岩山へと辺りの景色が変化する。ヌプツェのギザギザとした尾根が真上に迫る。ローツェ南壁も垂直に聳えている。
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二つの湖が現れた。美しい花が咲くその湖畔で、持参したチャパティとゆで卵の昼食をとりそしてチュクンのロッジを出発してから5時間半、11:00AM コングマ・ラに辿り着いた。
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コングマ・ラからはまず岩礫の急坂を一気に下る。登り坂とは対照的に、花も草もない。やがて傾斜は緩やかに、無機質な岩屑、砂礫の坂道を注意深く、クーンブ氷河に向かって下っていった。しかし、足許が悪いため脚力をすっかりと消耗した。クーンブ氷河のサイド・モレーンの登りに一苦労。そして、滑りやすい砂礫状の道を行く氷河横断にはことのほか難儀した。氷河とは名ばかり。所々に氷の断面がむき出しになったクレバスがあるものの、砂と岩の小山が延々と続く蟻地獄、いやトレッカー地獄。ほとほと疲れきって、やっとのことでロブチェのロッジに着いた。3:00PM。延々9時間半のコングマ・ラ越えとなった。


Day 10th (10/3)  ロブチェ(4910m)→ゴラク・シェプ(5140m)→カラ・パタール(5550m)→ロブチェ

3:00AM起床。3:30AM、ヘッドランプを装着してロッジを出発。空には星が瞬いている。ヘッドランプの灯りだけを頼りに、岩礫の山道をただひたすら登る。寒い、とにかく寒い。道にはうっすらと雪が積もっている。
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プモ・リ(7165m)が目の前に大きく近付いてきた。しかし、呼吸はつらい、体は寒い。
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ヌプツェの頂から太陽が顔を出した。一気に暖かくなる。カラ・パタールにはためくタルチョも間近だ。
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そしてついに、カラ・パタールの頂上に立った。エヴェレストは目の前にあった。
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時を忘れて見(魅)入った。あの辺りがベース・キャンプ、そしてアイスフォール、この春多くのシェルパが命を落としたところ、その上にローツェ・フェース、そしてサウス・コル、難攻不落の南西壁は正面に聳えている、イエローバンド、そして頂、手に取るように見える。
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カラ・パタールを去るのは悲しかった。


Day 11th (10/4) ロブチェ(4910m)→ゾンラ(4830m)

今日はゆっくりとゾンラへと下った。小川のほとり、ロブツェ・イースト(6090m)の南側山腹をゆっくりと下って行った。美しい。

小川の向うに、カンテガ(左)とタムセルク(右)。
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振り返るとプモ・リ、リントレン、エヴェレストに続くチベット国境の雪峰。
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やがてタウツェ(6495m)、チョラツェ(6335m)が現れ、その麓にはエメラルド色のチョラ湖が横たわっていた。
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ゾンラのロッジには昼前に到着した。午後はゆっくりと休息に当てた。夕食後、ディリさんが「体調が悪い」と言う。頭が痛く、元気が出ない、とのこと。ガイドも高山病になるのだ。ダイアモックスを渡して内服するように指示した。明朝の回復を待つ。
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Day 12th (10/5) ゾンラ(4830m)→チョラ・ラ(5368m)→タンナ(4700m)

4:30AM起床。5:00朝食。ディリさんは「私もうだめです。ぺリチェに下山して病院に行きます。ガイドはプラカシュに任せます。調子が良くなれば、ゴーキョかターメで合流します。調子が悪いままだとカトマンドゥに帰るかもしれません。」とのこと。「だめだ」というわけにはいかない。日本語も英語もほとんど通じないサブガイドのプラカシュと、まったく言葉が通じないポーターのハルカに任せるしかない。「何とかなるさ」。

6:00AM、ディリさんに見送られてゾンラのロッジを出発。二番目の峠、チョラ・ラを目指した。今朝も晴天。寒い。山道はカチカチに凍っていた。花々も凍っていた。
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チョラ・ラは岩山の峠。途中岩壁を登り、最後に氷河を渡る。3峠で一番の難所と言われている。9:15AM、タルチョがはためくチョラ・ラの頂上に立った。プラカシュ、ハルカとがっちり握手。持参した昼食を食べながら、今来た氷河上の道を振り返った。
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Day 13th (10/6)  タンナ(4700m)→ゴーキョ(4790m)、ゴーキョ・リ(5357m)往復

6:00AM、タンナからゴジュンバ氷河を横断してゴーキョを目指す。ゴジュンバ氷河はクーンブ氷河よりまだ大きく、巨大なクレバスが口を開け湖を作る。そこに映る峰々が美しかった。
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ゴジュンバ氷河の最奥には端正な姿のチョー・オユー(8201m)が聳えている。そして、氷河右岸のサイドモレーンを登りきったところで、ドゥードポカリ、ゴーキョのロッジ群、ゴーキョピークを望むことができた。美しい。
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9:15AM到着。早めの昼食を摂り、10:15AMゴーキョ・リにむけて出発した。ドゥードポカリの湖畔から約600mを一気に上る。
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すでに高度順応は十分であったので、1時間半でゴーキョ・リの頂上に着いた。しかしながら残念!エヴェレストは雲に隠されつつあった。
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眼下のゴーキョ、ドゥード・ポカリ、ゴジュンバ氷河。
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その最奥に連なるチョー・オユー(8201m)、ゴジュンバカン(7864m)、ギャチュンカン(7922m)、いずれもチベット国境沿いの山々だ。ギャチュンカンの初登頂は1964年、長野県山岳連隊によって、ゴジュンバカンは明治大隊(あの植村直巳)が1965年に初登頂を成し遂げている
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我われ以外誰もいない山頂で、エヴェレストが顔を出すのを待ったが、雲は増すばかりであった。やむなく下山。明日もう一度ゴーキョ・リに登るか、チョーオユー・ベースキャンプを訪ねるか思案。


Day 14th (10/7) ゴーキョ(4790m)→チョー・オユーBC(5200m)→ゴーキョ

5:00AM起床、5:30AM朝食。6:15AM、チャパティとゆで卵の弁当を持ってロッジを出発。この時間の山の麓はいつもながら凍えるほど寒い。出発の時間は霧で覆われていたが、ゴジュンバ氷河右岸を奥へ奥へと進むうちに霧が消え、群青色の空の下、真正面に白く輝くチョー・オユーの姿を見ながら、快適に歩いた。


左から、チョー・オユー(8201m)、ゴジュンバカン(7864m)、ギャチュンカン(7922m)
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途中三つの大きな氷河湖のふちを通り、ゴジュンバ氷河右岸のサイドモレーン上に立つ。たくさんのケルンが建てられている。そして氷河の向こうに、すこし頭を左に傾けたエヴェレストが堂々と立っていた。エヴェレスト、ゴジュンバ氷河のアイスフォール、その奥に聳えるギャチュンカン、ゴジュンバカン、そしてチョー・オユー、そして静寂。周囲は氷河運んだ岩と砂山だけ。
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エヴェレストを望みながら、チャパティとゆで卵と紅茶の極上ランチを楽しんだ。
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Day 15th (10/8) ゴーキョ(4790m)→レンジョ・ラ(5360m)→ルンデン(4380m)

最後の峠、レンジョ・ラ越えの日、長い一日に備え4:30AMに起床、5:30朝食。6:30、ゴーキョのロッジを出発した。ドゥード・ポカリの湖畔を半周して、いよいよレンジョ・ラに向けた上り坂が始まった。最初に、チョー・オユーに別れを告げた。
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緩やかに登りながら、やがて湖の向うにエヴェレストの頂が顔を出し始め、しだいに大きくなっていく。いくども振り返り振り返り眺めた。
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エヴェレストを眺めながら、あまり苦しさを感じることもなく、5360mのレンジョ・ラの頂上に登りついた。9:15AM、4人で抱き合った。嬉しかった。
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10:10AM、峠を出発し下り始めた。石の階段が切られていたが、雪に覆われていた。11:00AM、岩壁の下の素晴らしい氷河湖のほとりで昼食をとった。今日のランチは、ゴーキョのフィッツロイ・ロッジで作ってもらったエッグサンドとツナサンド。美味しい。そう言えば、ヤクステーキも、スパゲッティ・アーリオ・オーリオも美味しかった。また来たいものだ。緩やかな下り道となり、周囲はヤクの放牧地。カルカが点在する。気持ちよく下山を続け、三つ目の氷河湖(Rengo Tscho)を過ぎてからは道は急坂となり、ルンデンのカルカまで一気に下った。ヤクはヒマラヤが似合う。お肉にするには可愛すぎる。
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Day 16th (10/9) ルンデン(4380m)→ターメ(3800m)

7:30AM、ルンデンのロッジを出発し、ボーテ・コシの右岸沿いに緩やかに下って行った。ターメの村が近づくころ、タムセルク、カンテガが姿を現した。その端麗な雪峰を借景とするゴンパ、チョルテンを訪ねる。あたりの牧草に座り込み、のんびりと山々を眺めていた。
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11:00AM、ターメのロッジに到着した。大きなゴンパで有名なカルカの村。村には暖かい日差しが届いていた。久しぶりの洗濯をする。ロッジの食堂には何枚かの写真が飾られていた。たいていは、家族の記念写真、チベット仏教の高僧の肖像写真が多いのだが、山の写真に目がとまった。エヴェレスト山頂で誇らしげに立つ登山家の姿だ。このロッジのご主人に違いない。
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夕食を食べているとき、そのご主人が食堂に姿を現した。エヴェレスト山頂に立った人に会うのは、今回が二度目。もう一人は大学の先輩、三浦雄一郎さんである。ロッジのご主人の名は「アン・ソナ・シェルパ」。なんとエヴェレスト山頂にすでに10回立ったとのこと。2000年には野口健さんを山頂に導いたそうである。一緒に写真を撮らせていただいた。
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Day 17th (10/10) ターメ(3800m)→コンデ(4250m)

今回のトレッキングのお世話をしてくださったピタンバルサンから、「エヴェレストを眺めるのに最も美しいところ、そして素晴らしいホテル」と勧められて、トレッキングの最終行程に組み入れられた。早朝こそ晴天に恵まれ、朝日に輝くコンデ・リを眺めながら歩いたが、ところが道は険悪となるとともに、霧と雨の中へ。そして道は果てしなく続き、ピタンバルサンを呪ったものであった。
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途中、鋭い鳴き声を発しながら、山腹を這うように滑空する美しい大型の鳥を目撃した。ネパールの国鳥、ダンフェである。あっという間に視界から消え去ったが、ただ「美しい鳥」だけではなく、山の帝王のような雄々しさも併せ持っていると感じた。カメラは雨のためリュックにしまいこんであった。残念!
 霧の中、やっと建物のようなものが見え皆で喜んだが、近づいてみるとタルシン、タルチョだけであった。やっとロッジに着いたとものすごく嬉しかっただけに、その分大きく落胆したが、ものの数分も歩かないうちに、プラカシュが「ホテル!」と大きな声を上げた。霧の中に大きな赤い屋根の建物が見えた。1:50PM、ターメから7時間半、やっとコンデに着いた。コンデのロッジも客は私たちだけ。やはり寒い。ところが食堂に入ると、ここには薪ストーブが置かれてあり、冷え切った私たちの体を存分に温めてくれた。ヤクの糞ストーブよりも格段に暖かく、木が燃えるにおいは心地よい。コンデのロッジ(コンデホテル)には暖かい布団も用意されており、食堂の調度品などもヒマラヤらしかなぬ贅沢な造りであった。


Day 18th (10/11) コンデ(4250m)からシェルパ・リ(4650m)を往復

晴天の朝を迎えた。あまりの美しさに、昨日の落胆はすっかり嘘のように消え去った。コンデのホテル、そして今日目指すシェルパ・リ。その背後にコンデ・リの峰々。
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シェルパ・リからの眺望は、ピタンバルサンの言うとおり、嘘いつわりなく誠に素晴らしいものだった。
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左からタウツェ(6495m)、エヴェレスト(8848m)、ヌプツェ(7864m)、ローツェ(8516m)、アマ・ダブラム(6814m)、マカルー(8463m)
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アマ・ダブラム(6814m)、マカルー(8463m)、タムセルク(6618m)、クシュム・カンガル(6370m)
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夕刻、夕陽がエヴェレストを照らしはじめた。まさに奇跡的に雲間に赤いエヴェレストが顔をのぞかせた。切望していたエヴェレストの夕焼けを初めてみることができた。一瞬の間だけ。
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Day 19th (10/12) コンデ(4250m)→トクトク(2760m)→パグディン(2610m)→ルクラ(2840m)

7:20AMホテルを出発した。今日の行程は、まず4250mのコンデの尾根から一気にドゥード・コシの川沿いの村、トクトク2760mに下った。気持ちの良い牧草地の下りでは、エヴェレストの雄姿がずっと見えていたが、急坂のジグザグ道を何度か曲がっているうちに、エヴェレストの頂は隠されてしまった。
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11:20AMにトクトクでエヴェレスト街道に合流した。エヴェレスト街道は、私たちが登っていった18日前とは、様相を一変させていた。トレッカーが続々と登ってくる。大きな荷物を背負ったポーターも、ヤク・ゾッキョの荷役隊も次々に登ってくる。吊り橋渋滞も発生していた。日本人グループ2組にも出会った。
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そして0:00PM、パグディンで昼食。ロッジのテレビニュースが、インド洋に発生した大型サイクロンの進路を話題にしていた。パグディンからは緩やかながら登り道が延々と続き、ルクラの村の入口ゲートが見えてきた。嬉しかった。4:00PM、無事ルクラ帰着。
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Day 20th (10/13) ルクラ→カトマンドゥ

Day 21th (10/14) カトマンドゥ・予備日
終日、雨、雨、雨。一日、本を飲みながらホテルで過ごす。(この日、アンナプルナ方面で悪天候と雪崩のため多くのトレッカー・ガイド・ポーターが命を落とした。)

Day 22th (10/15) カトマンドゥ→デリー→成田→羽田→札幌
 デリー行きの飛行機からは、アンナプルナの美しい雪峰を望むことができた。多くの人々が遭難したとも知らずに、・・・・・。
# by kobayashi-skin-c | 2014-12-17 16:01 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年9月 ムスタン巡礼の旅(後篇)
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旅を続ける(「ムスタン巡礼の旅(前篇)」から)。

Day 7th (9/17)  ダクマール(3820m)からツァーラン(3560m)へ。

ツァーランでは、寺院(ゴンパ)と王城(ムスタン王の夏の別荘)を訪ねた。

ところで今回のムスタントレッキング、ローマンタンへの旅には、建築家の楜沢先生を団長として、先生の山の友人・仲間たち、そしてナウリコット村でこども達と一緒に絵を描くグループ(ネパール児童絵画教育プロジェクト)の仲間たちが集まった。私たちは「この旅をたまたま知った」いわばよそ者であったが、グループの皆さまにたいへん暖かく迎えていただき、実に楽しい旅の時を過ごすことができた。そして何より、この旅を支えてくださったのが、タサンビレッジオーナーのアルジュン・トラチャンさんと、そしてロイヤル・ムスタン・エクスカーション Royal Mustang Excursion, LTD 社長のジグメ・センゲ・ビスタさんである。楜沢先生、アルジュンさん、ジグメさんの三人にはたいへん密接なつながりがあり、このお二人のサポートにより、さらに私たちの旅は快適で充実したものとなった。
 冒頭の写真は、現ムスタン国、ジグメ・パルバル・ビスタ国王肖像(前出の「ムスタン 曼荼羅の旅」の写真に国王からサインをいただいたもの)である。ツアーをサポートしてくれたジグメさんはその国王の息子であり、本来ならばムスタン国の次期国王である。実は「ジグメ・ビスタ殿下」なのだ。しかし、ムスタン国の自治権は現国王限りであり、現国王の死去とともにムスタン国は消滅する。だから、ジグメさんは自国の人達の雇用の確保、ビジネス創出のために、先を見越してトレッキング会社を作った。皇子直々だから、会社の名は”Royal”なのだ。そのジグメさんが私たちに同行しているので、旅の行く先々で私たちは歓待を受けることとなった。ただし、地元の人々が歓待しているのはジグメさんであって、お茶の接待を受ける時も、食事の時も、ジグメさんの座る席、茶器は、特別のものであった。私たちはその「おこぼれに与った」、という次第である。
 たとえば、格式の高いツァーラン・ゴンパ(寺院)において、僧院長自らが私たちを案内し、茶が振舞われ、そして一般人が立ち入ることができない王宮にも特別の許可で見学に入ることができた。

しかし、ゴンパも一時はムスタン最大を誇っていたとのことであるが、今は僧侶の数も少なく、少年僧たちがわずかに勉強に励んでいたのが印象的だった。
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王宮はすでに半ば廃墟と化し、宝物殿(セルカン)の中もほこりだらけで、大切な仏教典をおさめる木の棚も朽ちていた。印象的であったのは、その宝物殿の中にミイラと化した人の手が陳列してあったこと。一説には「雪男の手」とも言われるらしいが、「刑罰で切り落とされた盗賊の手」であるらしい。ムスタンの文化遺産は、ほこりや湿気に晒されていると同時に、盗難の危険にも常に晒されている。どこの国においても、有名な絵画・彫刻などは厳しく写真撮影が禁じられている。それはフラッシュの光による傷が懸念されているからなのだが、ここムスタンでは、撮影された写真が公表されることにより盗難を誘発するから、だそうだ。ツァーラン・ゴンパ(寺院)の壁一面には、「マンダラ(曼荼羅)」が描かれていた。壁画はことのほか美しく写真に残したかった。こっそりとヘッドランプで照らして撮影した。
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ゴンパと王宮は深い谷の上に築かれているのだが、その向こうには幾年月の時が刻んだ、仏像とも神像とも見える無数の岩の造形が立ち並んでいた。古の人々も自然の造形に祈りをささげたに違いない。
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今夜の野営地の天井にも無数の星々がきらめいていた。あまりにも星の数が多すぎるので、星座を認識することができなかった。


Day 8th (9/18) ツァーラン(3560m)→ローゲカル(3920m)→チョゴ・ラ(峠)(4230m)→ローマンタン(3840m)

この日も快晴。真っ青な青空の下で、馬旅の3日目が始まった。乗る馬はずっと同じ。一度慣れた馬で続けなくてはならない、のだそうだ。私の愛馬は薄茶色(ベージュ)のきれいな馬体。性格は負けず嫌い!きつい登り坂では、「とにかく他の馬に負けたくない」ようで、前の馬を追い越そうとして道をはずれる。細い山道の崖のようなところではひやひやである。今日はまずローゲカルを目指した。
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ローゲカルには由緒あるローゲカル・ゴンパがある。紀元8世紀、インドからチベットに仏教を最初に伝えたパドマサンヴァが、お告げによってこの寺院を建立した。以後、多くの巡礼者がパドマサンヴァの霊感を受けつぎながら、この寺院で瞑想にふけっているという。私たちもこの寺院の内院を訪ねるとともに、周囲を歩いてめぐった。なんだか恍惚とした気分となった。霊感なのか、3920mの酸素不足なのか。
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ローゲカルの寺院を辞し、チョゴ・ラ(峠、4230m)を目指した。
わが愛馬と目指すチョゴ・ラ。
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峠頂上目前の草原でランチの時を楽しんだ。馬の鞍に敷いてあった座布団を草の上に置き、チャパティやカレー風味のジャガイモを食べ、寝転がったり、散歩したり、思い思いに秋の高原の陽射しを満喫した。馬子達もゆっくりと寛いでいた。
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峠の草むらの中に、リンドウや菊の花の仲間か、日本では見ることができない花々を楽しむことができた。
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チョゴ・ラは標高4000mを超える。しかし、馬に乗って登ってきたせいか、息苦しさをほとんど感じない。
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峠の頂上からは馬を下りて、乾燥した草原の中を、ローマンタン目指してゆるやかに下っていった。
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時おり野生馬の群れをみつけた。ムスタンは英語でmustang = 野生馬だ(フォード"ムスタング“をご存知か、そのエンブレムは野生馬)。
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しばらく行ったところで、前方に広々とした畑に囲まれる王城を認めた。目指すローマンタンがいよいよ眼前に現れた。
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ローマンタンは、10mもあろうかと思われる城壁に囲まれた王城都市。美しい。
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この城壁の中に200戸の家が密集し、約1000人の人が暮らしている。王城を前に全員が騎乗し、馬上からムスタンの都に入城した。ただし、外国人は王城の中に滞在することはできないので、城外の南側のロッジとキャンプ地に野営した。キャンプの隣では、麦の穂が金色に輝いていた。
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Day 9th (9/19) ローマンタン滞在。

午前中は、王城の中へ。城壁にただ1ヶ所ある北城門から入城する。
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迷路のように道が入り組み、その中に人々が暮らす。
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まずチョエデ・ゴンパ(寺院)を訪ねた。私たちが着くときを見計らっていたのか、数十人の少年僧たちが整列し、いっせいにお経を唱えていた。こんな盛大なお経の斉唱を経験したことはない。何を祈っているのか、何を讃えているのか知る由もないが、子供たちの祈りの声は清々しく心に吹き込んできた。眼に涙が溢れる。
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子供たちはネパール全土から選ばれ、この僧院で集団生活を送りながら、仏教を学ぶ。この中から将来、教祖も生まれるのかもしれない。ジグメさんの息子もこの僧院から旅立ち、リンボチェ(大僧正)になるべく今インドで修行中とのことである。
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チョエデ・ゴンパに続き、チャムバ・ラカン、トゥプチェ・ラカンを訪れた。二つの寺院ともに、内部の荒廃に心を痛めた。ここにも地球温暖化の波が押し寄せ、ムスタンでは予期されなかった降雨が、雨への防御がない寺の内裏を傷めているらしい。とりわけ曼荼羅の壁画の劣化が著しい。その道の専門家による保存活動を一刻も早く始めてほしい。
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午後は、ローマンタンの王城を見下ろす小高い丘に登った。その美しさは映像でしか伝えることができないだろう。いや、写真の映像からだけでは自分の心の印画紙を表現することは不可能だろう。それだけ、鮮やかなまでに網膜に、脳裏に焼き付けられた光景だった。
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Day 10th (9/20) ローマンタンの町からジョン・ケイブ、石窟寺院(ニプ・ゴンパ)へ。

今日はふたたび馬旅となったが、当初と違い馬への恐怖心も消え、緊張から開放され余裕を持って、馬上からの眺めを楽しむことができるようになってきた。北へと進む道はチベットへとつながり、国境のチェックポイントももう目とはなの先とのこと。
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草木は消えて、黄色~赤色の砂山、岩山がえんえんと連なる。
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ジョン・ケーブは数世紀前の横穴住居を保存したもので、数層に掘られた住居跡には、竃があったり、その天井はススに覆われていたり、まぎれもなく人が暮らした痕跡が残されていた。
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ニプ(太陽の洞窟の意)・ゴンパは岩山の中腹に掘られた洞窟と赤い建物でできた寺院。由緒は旧く、ムスタン初代王アマパル王の孫であるアングンサンポ(三代目国王)の兄弟が15世紀に開山した。シャカムニが本尊として飾られていた。
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この寺院も内部はホコリに覆われ、ムスタンのこうした寺院遺跡・文化遺跡の保存をどうしたらよいのか考えさせられた。他のネパール国内のトレッキングコース(エベレスト、アンナプルナ方面など)に比べると、近年増えつつあるとはいえ、ムスタンへのトレッカーの数は圧倒的に少ない。それも欧米人がほとんどであり、彼らは寺院遺跡にはあまり興味を持たない。この保存活動にはよほど日本がかかわっていかねばならない。ゴンパのそばにあったバッティで持参した弁当を広げ、そして再び馬に乗りローマンタンに引き返した。愛馬とはこれでお別れである。鬣と首を何度もなでながら、彼(オスは間違いない)の労をねぎらった。
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ローマンタンに帰着したのち、王城内のチョエデ・ゴンパにあった博物館を再度訪れ、気に入っていた曼荼羅図(タンカ)を購入した。購入したタンカはオレンジ色を基調として、シャカムニの生涯が細密に描かれた曼荼羅であり、寺院内の僧侶が描いたもの。購入費は寺院の保存活動に充てられると聞いた。少しはお役に立てただろうか。
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ローマンタン最後の夜、王宮の晩餐に招かれた。国王ご夫妻が中心に座り、私たち一同もお二人を取り囲むように座った。山羊肉の入ったチベット風餃子、山羊の血のソーセージ(フランスで食べた「ブータン・ノワール」とまったく同じ味)、ヤクのお肉など、日本では味わうことができない料理をいただいた。そして何より、王妃様自らが作られたという「チャン(稗から作られたどぶろく)」、「ロキシ(チャンを蒸留した焼酎)」がたまらなく美味しかった。晩餐の最後には、私たち一人ひとりに、カタ(祈祷のマフラー)が授けられ、女性にはカシミアのマフラー、男性にはRoyal Mustang Excursionのロゴが入ったTシャツが与えられた。


Day 11th (9/21) ローマンタン→ジョムソム

ローマンタンにお別れである。朝食を食べた後、今回の旅を支えてくれたジグメさん、そしてそのスタッフ(食事、テント、馬子)に別れを告げた。10日間の旅路で思い出深いスタッフばかりである。食事は私たち日本人の舌に合うように、お粥が毎朝供されたり、味付も香辛料の強さを少し抑えて無理なく食べることができた。テントスタッフは毎日私たちに先行して目的地でテント設営を行い、毎朝「モーニングティー」、「ホットウォーター」と声をかけてくれた。馬子たちは私たちの馬旅の安全を細心の注意で見守ってくれた。感謝に耐えない。
この日は全員がジープに乗り込み、ジープで一気にジョムソムまで駆け下った。崖道でジープのパンクがあったり、カリ・ガンダキ河岸を歩く途中砂嵐にあったりと冒険もあったが、無事にジョムソムまで予定通りに辿り着くことができた(予定通りというよりも、実はムスタンツアーの後にエベレストトレッキングを予定していた私たちのために、飛行機欠航の可能性を考慮して一日短縮してのスケジュールに変更してくださった)。
アンナプルナとニルギリの雪嶺を望みながら、このムスタン巡礼の感動の数々を、チベットの神様(仏様)に感謝した。

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左から、真っ白な斜面のアンナプルナⅠ峰(8091m)、ドーム状のトロン・ピーク(6484m、10月14日の雪崩で多くのガイド・ポーター・トレッカーの命を奪った事故はこの麓で起こった)、ニルギリ北峰(7061m)。

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ジョムソムの村から望む夕焼のニルギリ


Day 12th (9/22) ジョムソム→ポカラ→カトマンドゥ

晴天の朝を迎え、ジョムソムからポカラへの飛行は順調であった。
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途中ダウラギリⅠ峰(8167m)のダイナミックな山容を、機長の頭越に望むことができた。
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ポカラ空港ではアンナプルナ山群の全貌がくっきりと見えていた。左からアンナプルナ・サウス(7219m)、アンナプルナⅠ峰(8091m)、マチャプチャレ(6993m)、アンナプルナⅢ(7555m)
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カトマンドゥに無事到着した後、日が暮れるころ、ボーダナートを訪れた。
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ムスタン巡礼の旅の最後を、どうしてもここで締めくくりたかったからである。ボーダナートには世界最大の仏塔がある。この大きな仏塔の周りを四重にも五重にも人々がグルグルと歩いている。私たちも皆と同じように右周りで何周も回った。半数は僧衣をまとった巡礼者、半数は私たちのような観光客。五体投地で回る人もいる。雑踏の中にいながら不思議と静謐な心持ちとなっていた。ひんやりとした空気、どこからともなく聞こえる読経の祈り、奏でられるラッパの響き、線香のにおい、バター油蝋燭の煙が身を包む。
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仏塔に向かってたくさんのお祈りをした。
# by kobayashi-skin-c | 2014-11-22 14:10 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年10月 不思議な雲、そして手稲山初冠雪 October, 2014 "Clouds, Snow"
10月26日、冬の気配が漂い始めたこの日、夕陽とともに奇妙な雲が西の空に現れた。
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そしてその2日後、手稲山の初冠雪を迎えた。
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# by kobayashi-skin-c | 2014-11-16 14:47 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年10月 北大キャンパス紅葉 2014 October "Autumn color in Hokkaido University"
ネパールから帰国したころ、北海道大学のキャンパスは美しい紅葉の季節を迎えていた。
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つたの紅葉も美しい。とりわけレンガ造りの総合博物館(旧理学部)を覆うつたの紅葉は風情がある。
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10月22日には初霜を迎えた。キタキツネの一家もこれからの冬を前に、一生懸命にエサを探しているようであった。
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# by kobayashi-skin-c | 2014-11-16 14:41 | PHOTO & ESSAY | Comments(0)
2014年9月 ムスタン巡礼の旅(前篇)
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ネパール・チベット国境に「ムスタン」という国がある。昨年の春、ムクチナートからアンナプルナベースキャンプに向かう途中、「ムスタン」へ行く計画があることを知らされた。「ムスタン」のことは何も知らないが、一にも二にも「行きたい」と強く思った。

ムスタンは今もネパール国(共和国)から認められた半独立・自治国家である。都は、ローマンタン。チベットと国境を接し、チベットが急速に中国化される情勢にあって、今もチベット文化、とりわけチベット仏教への敬虔な祈りが途絶えない、秘められた世界が残っている。多くの人々がムスタンに魅了され、徒歩で、騎乗で(いまはジープも)ムスタンを訪れる。世界にいち早くこのムスタンを訪ねたのが、仏教経典を捜し求めて入境した日本人、河口慧海である。

『ムスタンは何世紀もの間、独立の王国であった。この国は、北のチベット文化圏と南のインド文化圏とを結ぶヒマラヤ交易路によって栄えていた。カリ・ガンダキとその支流が形成した広大な河谷の中には、古くからチベット高原とネパール・インドとを結ぶ道が開け、人と物資と情報の往来があった。地勢上、周囲から隔絶されて独立性が強く、しかも政治的な理由から長らく外国人の立ち入りが禁じられていたためであろう。ムスタンにはチベット仏教を基盤とするヒマラヤの伝統文化が、まるでタイムカプセルのように残されている。(中略)、ムスタンの旅を、私たちは密かに「マンダラ(曼荼羅)・トレッキング」と呼んでいる。こう呼ぶのは、それがすばらしいマンダラに出会える山の旅であるからばかりではない。この旅そのものが大きなマンダラの中を巡礼するような体験であるからだ。』(ムスタン 曼荼羅の旅、写真 松井 亮、文 奥山直司、中央公論新社)

いささか前段が長くなってしまったが、さらに映像なしの独白が続く。抱腹絶倒、涙、涙のムスタン、ローマンタンへの旅にご一緒あれ。

Day 1st (09/11)札幌→成田→インド・デリーが今日の予定であったが、札幌は昨夜来の大雨。早朝の札幌駅に着くと、「千歳線全線不通」の掲示。やむなくタクシーに乗ったものの、空港ターミナル直前のアンダーパスが冠水で不通。Uターンして、苫小牧側の空港道路を目指すが、この道路もターミナルまで1.5kmのところで冠水・不通。「まさか!」。タクシーを降ろされた。土砂降りの雨の中を大急ぎで歩いた。ターミナルに到着した時は出発予定時刻をとうに過ぎていたが、新千歳空港自体が大雨のため閉鎖されていたので、成田便は大幅に遅れて出発した。3時間遅れで成田に到着し、デリー便まではもう15分程度の乗換え時間しかない。「きっと、待機しているJALの地上係員が私たちを大急ぎで国際線搭乗口まで案内してくれる」と期待し、飛行機を降りた。案の定JALの地上係員が「小林様」のプラカードを提げて待機していた。ところが彼女の口から出た言葉は、「デリー行きはもう間に合いません。本日のホテルと明日のデリー行きを予約させていただいております」であった。「どうしても乗らなくては、これからの旅程がすべてキャンセルされてしまう。なんとしても今日のデリー行きに搭乗するのだ。飛行機に待つように、あなたは連絡してください!」と地上係員に言い放ち、衣子とともに全力で走り始めた。成田空港の国内線ターミナルから国際線ターミナルへ、そして手荷物検査、出国手続きへとひたすら走りに走った。女性のJAL地上係員はなんと!、ハイヒールで私たちをぴったりと追いかけ、「小林様、小林様、本日は無理です。お止まりください、お止まりください、小林さま~」と何度も叫びながらついてくる。「なんとしても乗る。飛行機に待つように、そして預けた荷物をうつしかえるように連絡してくれ」と言いながら、「小林様、小林様、お待ちください、お止まりください」の連呼を振り切り、ついに出国手続きも終え、デリー行き搭乗口に着いた。「飛行機はまだいるではないか!間に合った」と思ったが、ロビーにはJAL地上係員以外もうだれもいない。そして搭乗ゲートの係員は「搭乗手続きはすべて終了です。お乗りいただけません」と断固言い放った。「まだ飛行機はいるではないか、機長に連絡を取ってみてくれ。何とか乗せてくれ」と懇願し、二度までも電話で機長に連絡を取らせたが、結局、飛行機はするすると動き始めた。「万事休す」。
 「世界の航空会社で一番時間に正確なJAL」のポスターが貼ってある。「悪天候でほんの5分か10分遅れた客の便宜も考えない、その冷酷さが『世界一』なのだ!」とか、「もうJALなんか使うものか!」とか、悪態をついた気がする。さて、これからどうすべきか。
とりあえず、再度日本国に戻らなければならないらしい。一度出国手続きをすると再入国はけっこう面倒なのか、時間がかかる。一日遅れのスケジュールに変えなくてはならない。変更すべき事柄を考え、連絡先を思案していた。するとJALの係員から「夕方出発のシンガポール行きにお乗りいただき、深夜のシンガポール発デリー行きに乗り換えますと、明朝旅程どおりにデリー・カトマンドゥ便にお乗り継ぎできます」とのこと。「地獄に仏」とはこのことか。今までの悪態を深く詫びた。親切なJAL係員に深々とお礼をし、意気揚々と再び出国ゲートへと向かった。

Day 2nd (9/12)早朝定刻どおりデリー空港着。相変わらず、この空港の国際線乗継ぎ手続きは面倒である。それでも定刻どおりインド航空カトマンドゥ行きに乗り込み、途中ヒマラヤの白い峰々を望みながら、カトマンドゥ・トリプヴァン国際空港に着陸した。そして相変わらずのおんぼろバスに乗り、相変わらずの古びたターミナルを歩き、相変わらずの長蛇の入国ビザ申請に並んだ。そして結局のところ、まったくの予定どおりに、相変わらずの雑踏と排気ガスがたちこめる混沌の街カトマンドゥの訪問者となっていた。
 我々に続いて、今回のムスタントレッキングに参加するメンバー全員がサンセット・ビュー・ホテルに到着し、ロビーを使ってオリエンテーションがあった。ここで判明したのは、今日の午前中のうちに到着していなければ、ムスタン入国の特別許可証をパスポート無しでは取得できなかったということ。つまり、成田に一泊し翌日の飛行機でネパールに向かっていたなら、ムスタンツアーは参加できなかったということである。ここで得た教訓は、「決して諦めるな。自らの判断で最善を尽くすべし」。走って走って、悪態もついた。その努力がシンガポール経由につながったと思う。もちろんJALの方々の暖かい協力があったからこそではあるが。

Day 3rd (9/13)カトマンドゥからポカラへ。
早朝の飛行機で移動。途中、ランタン、ガーネッシュ、マナスルの白いヒマラヤの頂が雲の上に顔を出していたが、アンナプルナの峰々は雲に隠れ、望むことはできなかった。ポカラでは山岳博物館、フェワ湖畔の見物をしてのんびり過ごす。モナリザホテルの夕食が美味しかった。タカリー族風の「ダルバート・タルカリー」である。

Day 4th (9/14)この日は早朝のフライトで、ポカラからジョムソムに飛び、ジョムソムからトレッキングツアーを開始する予定であった。朝4時半に起床し、5時過ぎにはポカラ空港へと向かった。ポカラ・ジョムソム間のフライトは気象条件に大きく左右され、天候が安定している早朝のフライトが確実なためである。ところがこの日、ポカラには低い雲がたれこめていた。アンナプルナの峰々も黒い雲に覆われ、飛行機が飛び立つ雰囲気はまったくない。1便が飛び立つ予定の6時となってもまったくその気配なし。8時を過ぎるころやっと手続きが始まった。我われトレッキングツアーの一行は、1便と2便に振り分けられて、各々に搭乗券が手渡された。すぐにでも出発するのかと思ったら、さらに待たされて待たされて10時。やっとのことで飛行機に乗り込むことができた。20人にも満たない座席数の、上翼のプロペラ機。2年前にもジョムソム空港で着陸に失敗した事故で、日本人2名が亡くなっているいわくつきの路線であるが、天候が良ければアンナプルナ、ダウラギリ、それにニルギリの各連峰を望みながらのフライトだ。しかし今日は離陸して上昇しても、山は何も見えない。有視界飛行であるので厚い雲を避けながら飛んでいく。離陸して20分も飛行したころ、機は左に大きく旋回し高度を上げ始めた。「おかしい」。通常の飛行経路ではありえない。しばらくするとまた大きく旋回。そして機長から「ポカラへ引き返す」と告げられた。ポカラ空港にガックリと首をうなだれて帰還。
 旅程は大きく変更され、ポカラからジープでトレッキングツアーを開始することとなった。今日の目的地はあのタサンビレッジとなった。あの大好きな、ヒマラヤに惚れるきっかけとなったところ。異論はない。これから向かう悪路のジョムソム街道のことも分かっているが、それに代えても大好きな場所である。
 ポカラ空港に3台のジープが準備された。天井に高々と皆の荷物をくくりつけ分乗。11時半にポカラ空港を出発した。そしてポカラの町を抜けていこうとした矢先、我々が乗ったジープは給油に立ち寄り、そのまま何も告げられぬままじっと動こうとしなくなった。「どうして?」。たどたどしい互いの英語で運転手と交わした会話の結果、「3台のジープのうちの1台が故障して立ち往生」らしいことが分かった。引き返して脇道に入ったところに、同行のジープが1台、数人の男達に囲まれていた。修理らしい、ことが行われている。

当り前ながら「時間がかかりそうだ」。その近くを散歩することとした。少し坂を登ったところに、ヒンドゥー教のお寺があった。そして初めてのガート(火葬)に出会った。

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荼毘にふされた遺体は川に流される。ヒマラヤから流れ落ちるこの急流もやがては「ガンガー」に注ぐ。ガンガーとは、聖なる大河ガンジス川のこと。ヒンドゥー教徒にとっても、仏教徒にとっても、死後の世界が「ガンガー」の向こうに存在する。黄泉の国にこの急流を経て旅立つのだ。ガートを見つめながら、「今ここにいるネパールの人々のほうが、私よりもずっと黄泉の国に近いのだ」と実感した。

故障した車は結局、再起不能。代わりのジープがポカラの町から到着し、なんとかトレッキングツアーは再開した。ジョムソム街道をジープで北上。バグルン、ベニの町を過ぎ、名だたる悪路へと進んでいった。
どれぐらい悪路かと言うと、滝が道へ、道が滝へ?100メートル以上の落差はあろうかという滝の激流が、道路に流れ込んでいた。ジープは果敢にもその激流を乗り切った。
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悪路を乗り切り、すっかり日が暮れてからタサンビレッジに到着。今日の飛行機欠航で変更となった旅程について全員で確認しあった。このムスタントレッキングツアーは、タサンビレッジを設計した楜沢先生を中心に、タサンビレッジを拠点としたNPO活動に協力されている人々が主なメンバーである。総勢13名。
そう、昨年ここでムスタンの旅のことを知ったのだ。
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Day 5th (9/15)タサンビレッジ→マルファ→ジョムソム(2720m)→カグベニ(2740m)→チュサン(2980m)
翌朝5:30、朱色に染まる朝焼けのダウラギリⅠ峰(8167m)を望んだ。
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ダウラギリの麓、ナウリコット村には薄紅色の畑が広がっていた。赤い花のそば畑だ。美しい。
眼下をカリ・ガンダキが流れる。
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美味しいタサンビレッジの朝食をいただき、トレッキングツアーへとジープに分乗しまた出発した。途中マルファの村に立ち寄った。赤いリンゴがたわわに実っていた。白壁の町並みが美しい。この村にはチベットへと旅立つ河口慧海が数ヶ月滞在した。その逗留址が今も保存されている。
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ジョムソムはアッパームスタンへの入口。ここでジョムソム街道は、カリ・ガンダキ支流で分断され、しばらく徒歩での旅となる。
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ふたたびジープでカリ・ガンダキに沿って北上する。エクレバッティ、カグベニを通り過ぎる。
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景色は一変し、草木が育たぬ乾燥地帯へと入った。自分が知るネパールではない。ヒマラヤでもない。「チベット」だ。
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カリ・ガンダキの辺に緑の畑が広がるチュサンの町に入った。リンゴ畑とそば畑が美しい。
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我々に先行するトレッキングスタッフが、町外れのリンゴ畑にテントをすでに設営してあった。ここからは、テントトレッキングの始まり。
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午後はチュサンの町を散策した。まさに「hidden city」。中世の町並の中に入る。迷路のような道の両脇に数層(4~5階)建ての泥壁の住居。上ではそれぞれの建物が結ばれている。日本の建物と違って傾斜した屋根はない。平らの屋上には薪が積み上げられている。雨が降らないので屋根は必要ない。冬はすごく寒く、薪は容易に手に入らないため、身近なところに保管されているのだそうだ。ところが最近の地球温暖化でムスタン地方でも降雨をみるようになり、浸み込む雨水で住居の傷みが激しいらしい(楜沢先生の教え)。
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チュサンの町外れにある石窟寺院を訪れた。
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立派なものではない。しかし内部は手で掘ったと思われるトンネルと部屋が幾層にも重なり、その間を一本木の階段がつなぐ。外部からの侵入者があったとき、簡単に取り外しがきく。
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真っ暗闇の洞窟の中に、岩を掘った石仏(グリーンターラ)と仏像(シャカムニ)がヘッドライトの光に照らされた。
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洞窟の窓からはチュサンの町を見下ろすことができる。
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チュサンの町の向こう、カリ・ガンダキ対岸の岩壁は「パイプオルガン」にもたとえられる。自然の造形の中にこそ、神が作り賜うた意志ある像を感じることができる。人が創り出した「偶像」とは違う。
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Day 6th (9/16) チュサン(2980m)→鉄橋→ガミ(3510m)→ダクマール(3820m)
またしてもカリ・ガンダキの支流が道を分断し、徒歩で上流に向かう。
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別世界が広がるその向こうで、カリ・ガンダキは急速にその幅を狭め、河には鉄橋が懸けられていた。ムスタンの核心が近づいている、そんな実感を覚えた。
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ツェレの村を過ぎると、道は一挙にカリ・ガンダキを見下ろす高原に出た。グランド・キャニオンを上にも横にも拡げたような景観である。ため息が漏れる。これからずっと「こんな景色」が続くのだ。
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サマル(3620m)でお昼を食べる。さしずめオアシスの村。小川が流れ、その辺にポプラの林が広がっていた。サマルは「赤い土」の意。
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行く手にガミの村。緑の畑が大きく広がっている。何世紀もかけて人の手で緑を作り出してきたのだ。自然との闘いなのか、自然との共生なのか。
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ガミの村は、たぶん、「チベット」なのだろう(行ったことはないが)。美しい。
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白壁の大きな家には中庭がある。コスモスの花が飾られていた。
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その村はずれから、ホース(馬)トレッキング(旅)が始まった。馬に乗るのはニ・三度目か。覚えているのは、子供の頃、公園で数十メートルを親に支えられながら乗ったこと。緊張だけが記憶に残っている。そして鮮烈なのは大学生時代の「橋本牧場」。あの橋本聖子さんの実家。スキー部の先輩に連れられて訪ねた「橋本牧場」では、ジンギスカン鍋の後に、乗馬体験が待っていた。当時小学生だった橋本聖子さんは華麗に馬を操作していたが、酒に酔った私は、乗せられた馬からものの10㍍も行かないうちに「落馬!」。恐怖が記憶に刻まれた。その馬の上でこれからのトレッキングが始まるという。

覚悟を決めて馬子の指し示す馬に乗った(乗せられた)。このトレッキンググループの男の中では絶対的に一番若い私には、元気で大型の馬が割り当てられたようだ。騎乗するなり勝手にとことこと走り出した。学生時代の落馬経験が頭をよぎったが、すぐに馬子の一人が馬の紐を握り先導してくれた。予想では馬一頭ずつに馬子が付いてくれるものと思ったが、13人のトレッキングメンバーに4人の馬子。「助かった、私の馬はしっかりと馬子に先導されていく」。
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衣子は自力である。「大丈夫かな?」と思ったが、「大丈夫、馬が賢い」。一列になって、今日の目的地ダクマールへと進んでいった。
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ダクマールとは「赤い岩」(red cliff)。まさに行く手には赤い岩山。馬に騎乗し進む大地。すっかりと冒険気分。馬の怖さを忘れ周囲の景色に見惚れるようなった。後ろを振り返ると、麦畑の向うにアンナプルナの白い峰々が美しく横たわっていた。
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ダクマールの宿営地に着く。赤い岩の真下にある。夕陽に染まった岩壁は喩えようもなく美しかった。
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Day 7th (9/17)ダクマール(3820m)→ツァーラン(3560m)。
満天の星空の下での宿営の翌日、真っ青に透き通った晴天の朝を迎えた。草を食む馬たちの向こうにアンナプルナの峰々。
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そして今日も馬に騎乗しトレッキングを続けた。ここでも岩山に横穴の住居が掘られている。上の穴にはどうやって入って行くのだろう。何世紀も前に掘られたものらしい。下の穴はまだ現役で家畜のための干草が貯えられている。
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ダクマールからツァーランに今日は向かう。途中3945mの峠を越していく。地図に峠の名は書かれていない。この道はかつての隠れ道(「罪人の道」)。心に傷をいだいた人達が昔ここを通っていったのだろう。この美しい景色がさぞ心に沁みたにちがいない。我われも馬上から振り返り振り返り眺めた。
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峠を越えてから、元気な(歩き足りない)私たちは馬を下りた。チベットの諺に『上りで人を乗せないのは、馬でなし。下りで馬に乗るのは人でなし』とあるそうだ。後脚が長い馬は下りが不得手で、重い荷を背負っていると怪我をしやすいのがその理由とのこと。団長の楜沢先生はじめ多くの人は乗ったままではあったが、・・・・、「人でなし?」
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行く手に不思議な模様の岩山と、そのふもとに広がる大きな緑の村が見えてきた。ムスタン第二の村、ツァーラン。村は広い畑に囲まれ、その畑と荒野の間は石壁で境されていた。強風から畑を守っている。
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ツァーランでは、寺院(ゴンパ)と王城(ムスタン王の夏の別荘)を訪ねた。

ローマンタンへの旅はまだ続く。後篇をお待ちください。
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