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9月、大雪山上の紅葉に落胆したのち、中腹から山麓の紅葉を求め、愛山渓から山中に入った。毎年おなじみの沼の平コース。10月と云うのに、山頂にまったく雪はない。永山岳を目指した。
![]() ![]() ![]() ![]() 途中この景色に見とれていたのか、岩道に足を取られて転倒し、頭と胸を強打した。頭は「たんこぶ」で済んだが、左第10肋骨を骨折した。今年はこれで5本目の骨の損傷。
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by kobayashi-skin-c
| 2012-11-15 18:59
| PHOTO & ESSAY
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今年の北海道は9月に入ってからも異例の暑さが続いた。9月の平均気温上昇率でみると、旭川気象台の記録が世界で最高であったとのこと。大雪山の山上にも異変は生じていた。
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by kobayashi-skin-c
| 2012-11-15 18:29
| PHOTO & ESSAY
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人類永遠の課題とは?「不老不死」、「永遠の若さ・美しさ」。
神代の昔から現代にいたるまで、「永遠の若さと美しさ」を得るために私たち人類は、幾多の労苦も、幾多の犠牲も顧みずいかなる努力も惜しまなかった。あらゆる食物から、薬草から、はては動物の糞にいたるまで、口に入れ、肌に塗り、若く美しくあり続けることを願望してきた。 現代医学・科学の発展は、その願望・欲望をかなりのところまで満たすにいたっている。シミに対しては各種レーザーの発達が、しわに対してはボツリヌス菌毒素、レチノイン酸がたいへん有効である。 どのような方法が現在可能であるのか、そしてどんな注意が必要なのか、はたまた「永遠の若さ・美しさ」を問う人生観について、一緒に語りましょう。 ![]() さて、私の結論は? 上の写真を見てなんだか変だと思いませんか。この美女の顔は、じつは人工皮膚。現代科学・技術はまさに永遠の若さと美しさを可能にしています。けれども、一生仮面をかぶった人生って、いったいなんでしょう。 美しさに絶対的な永遠はありません。美しさは私たちの心の中に、そして、愛する人の瞳の中に存在します。つまり、美しい心と、愛しい人を持ち得ることが、人生における永遠の美しさではないでしょうか。 そして、往きとし死せる生きものにとって、永遠の若さはありません。顔に刻まれるしわの一つ一つは、私たちの人生の歩みであり、私たちそのものではないでしょうか。 #
by kobayashi-skin-c
| 2012-11-14 17:02
| 「皮膚の健康教室」抄録
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かつて、米国の乾癬患者組織 National Psoriasis Foundation (NPF) の冊子に “Psoriasis is more than skin deep, (乾癬は皮膚の深さにとどまらない、)”と始まる言葉がかかげられており、その後ろには “leaves emotional scar. (心の傷を残す)” と書かれてありました。皮膚の外面だけではない、乾癬のつらさが適確に言い表された言葉です。
いまふたたび“Psoriasis is more than skin deep, (乾癬は皮膚の深さにとどまらない、)”が強調されています。それは、乾癬の3割の方には関節炎の症状があり、乾癬患者さんの生涯で一度でも関節炎の症状が現れる率は7割に達すると見積もられています。さらに、乾癬とメタボリック症候群(メタボ)、さらには糖尿病、高脂血症、心血管系障害、またクローン病などの内臓疾患の合併率が高く、寿命にも影響を及ぼしていることが疫学調査から明らかにされてきたからです。 7月に開かれた世界乾癬・関節炎会議の話題から、そして9月7,8日に開催される日本乾癬学会の話題から、“Psoriasis is more than skin deep, (乾癬は皮膚の深さにとどまらない、)” について皆さんと一緒に考えたいと思います。 乾癬は皮膚だけにとどまらない。「乾癬」を中心として、上から時計まわりに「関節炎」、「メタボリック症候群」、「心臓・血管異常」、「糖尿病」、「うつ病」、「神経症」、「アルコール依存症」、「肥満」が関係することが図に示されている。世界会議の講演、発表の中でこれらのひとつひとつの危険性、注意点が報告された。印象的であった発表をいくつか紹介します。 左:乾癬患者、右:正常人のPETスキャン画像。乾癬患者では脚の血管などが濃く染まっており、血管に炎症を生じていることを示す。動脈硬化、炎症を起こしやすく、心筋梗塞など重大な心臓・血管障害の元となる。 棒グラフの緑が正常人、オレンジが乾癬患者。すでに30代のころから「心臓・血管異常」が起きやすく、40代、50代では約2倍の頻度であることが示されている。 日本人ではあり得ないほどの肥満。スペイン・バルセロナの肥満治療病院の前のビーチで。 スペインの乾癬患者(左の円グラフ)と一般国民(右)の肥満度。青が正常(BMIが25未満)、赤が肥満傾向(BMIが25~30)、緑が肥満(BMIが30以上)。BMIは、"body mass index"。国際的な肥満基準として用いられている。計算方法は、BMI=体重㌕÷身長㍍÷身長㍍。乾癬患者では正常体重が明らかに少なく、肥満者が多い。 また体重が重いほど、治療効果が減弱することも報告された。生物学的製剤治療の効果が不十分あるいは減弱する率は、肥満傾向のもので14%増、さらに肥満患者ではさらに14%も高まることが示された。 関節炎の頻度は高い。その症状には様々なものがあるが、手・足の指の関節に起こりやすく、そのほかに背骨、腰骨におこるタイプ、腱の付着部炎、指全体が腫れる指炎タイプがある。 乾癬患者の2-3割に関節炎が合併しているが、患者生涯期間中の関節炎発症率は7割に達すると推測されている。その中でわが国(Japan)の発症率が1%と際立って低いことが紹介された。小生はその理由について質問を受けたが、日本乾癬学会で行っている乾癬患者登録方法の不備による数字であり、実際はわが国でも関節炎の頻度は高いことを説明した。 新しい関節炎の分類に基づき、治療指針が示された。すべてのタイプに有効なのは、生物学的製剤の中の抗TNFα製剤である。 "Let's talk psoriasis"という企画があり、英国人の医療ジャーナリストが司会し、スウェーデンの患者と米国の皮膚科医(アラン・メンター博士)が受け答えするという、国際色豊かでユニークな試みがありました。鋭い質問に答えるメンター先生の適確かつ優しい態度が印象的でした。日本の学会でも試みたい企画である。 乾癬患者QOLの調査で、約1割の患者は年間に約16日、仕事や学校を休まざるを得なかった。とくにかゆみが強い患者でその傾向がみられた。わが国の調査でも、かゆみの頻度が以前よりも増していると報告されているが、今回の報告では乾癬患者の85%にかゆみが症状があると指摘された。 乾癬患者QOL調査から、患者の1/3は「医師との関係」について、ネガティブな見方をしていることが分かった。期待どおりの治療の説明がない(36%)、だれも自分の乾癬の助けになりそうもない(35%)、医師はどの治療が効き、どれが効かないか知らないようだ(33%)、医師は乾癬の話題を避けたがる(32%)、医師は私の乾癬について真剣ではないようだ(30%)、医師はほんとうに私の乾癬を治す気があるのだろうか(28%)、医師に乾癬について相談することをためらってしまう(21%)。 抗IL-17療法については、前回の7月の教室で話したとおり、現在の生物学的製剤以上の効果が得られている。![]() さらに新しい治療法として、細胞の中で情報伝達(シグナリング)に大切な物質であるJAK、PDE4を抑える治療薬(内服)が開発中であり、良い結果が得られていることが報告され、大きな期待が寄せられる。![]() 五日間の会議の間、ストックホルム市庁舎を使ってレセプションが開かれました。会長のエタップ氏による開会挨拶の場面です。この会場ではノーベル賞受賞者の公式記念晩餐会が開かれます。![]() 世界会議が終了して、IFPAメンバーによる「世界乾癬デー」の取組み会議、そしてWHO(世界保健機構)へのアピール活動協議が行われました。この中で、IFPAが推進する"Under the Spotlight"プロジェクトに、日本がぜひとも協力してほしいとの要請がありました。またWHOへのアピール活動においても、日本国外務省、厚生労働省の協力が不可欠であるとの要請があり、IFPAという国際協調の中で、日本の乾癬患者会も大きな役割を期待されていることを感じました。世界のみんなと手を携え、乾癬への克服に向かって、日本でも是が非にも頑張っていきたいと決意を新たにさせられました。この素晴らしい世界会議を企画・運営したIFPAの役員の皆さま、そして協力を惜しまなかったアラン・メンター先生をはじめとする医師・研究者の仲間たちに、心から感謝したいと思います。また世界的製薬企業の絶大なる支援にも感謝いたします。下の写真は、PsorAsia(アジア連合)の面々(左から、マレーシア、フィリピン、ニュージーランド、インド、オーストラリア、米国、インドネシア、フィリピン、そして日本) 帰国後、"Under the Spotlight"への参加をお願いしたところ、東京地区乾癬患者友の会(P-PAT)の方が勇気を持って名乗りを上げてくださいました。日本乾癬患者連合会、P-PAT、そして日本アボット社の絶大な協力を得て、ビデオ映像が完成しました。世界乾癬デーの10月29日から、この映像は全世界で観ることができるようになっています。 http://www.underthespotlight.com をご覧になって下さい。 "Japan Masayuki"です。日本乾癬患者連合会HPからも簡単に観られるようになっています。 #
by kobayashi-skin-c
| 2012-11-14 14:56
| 「皮膚の健康教室」抄録
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昨夏、憧れの穂高を登り、その向こうに見える槍ヶ岳に目は釘付けとなった。天を衝く鋭い岩峰を眺め、『来年は、槍だ』と心に決めた。
![]() 2012年8月11日(土)昼過ぎ、午前の診療を終え新千歳空港から信州松本空港へ、そしてJRで穂高駅へ、そしてタクシーに乗って燕(つばくろ)岳登山口の中房温泉へ。もう薄暮のころ、やっと辿り着いた。日本秘湯100選の関脇格にもランクされる素晴らしい温泉もそこそこに、山の「早寝・早起き」を鉄則として、夢の中へ。 翌8月12日早朝、温泉をあとに登山口へと向かった。 空は青空。天気予報をみごとに裏切ってくれた。 しかし、合戦尾根の厳しい登りの途中からは雲が広がり、合戦小屋で美味しいスイカを食べた後からは、霧の中へと入っていった。![]() 燕岳は美しい花崗岩の山。オブジェのような岩が連なり、サラサラとした白い砂地にはコマクサが群落をつくっていた。![]() ![]() 燕岳から大天井岳を経て、西岳、そして東鎌尾根をつめて槍の頂上にいたる縦走路は「表銀座」と呼ばれる人気のコース。このコースを選んだ理由は「燕山荘(えんざんそう)」の存在。90年の歴史を誇る山小屋は、日本アルプス随一、いや日本一と聞いていた。なるほど、磨き抜かれた木の廊下、古い登山道具が飾られた集会室、食堂のテーブルも重々しい。それに、食堂横のテラスではジョッキの生ビール、そして甘いチーズケーキも売られていた。大勢の登山客で賑わっていたが、その中でも子供が多いのに驚かされた。みんなあの合戦尾根の急坂を登ってきたのだ。すごい!夕食が終ると山小屋の社長さんが山の美しさと、ありがたさ、ライチョウのけなげさについて語ってくれた。「山に登ることは前向きな人でしかできません、そして山に登るともっと元気になれるのです、山から元気をもらうのです」と教えてくれた。そして話の後には大きな大きなアルプホルンの音色を聞かせてくれた。食後には、夕日と槍ヶ岳を望むことができ、幸せいっぱいな時を過ごすことができた。 ![]() さて、翌朝は?夜トイレに起き出したとき空には天の川が見えていたのだけれど、8月13日朝、あたり一面乳白色の霧の中。雨もぼそぼそ。意を決して燕山荘を出立したものの、ただただ歩くだけ。眼鏡が曇るので、岩場が不自由である。 大天井ヒュッテに着くころ、土砂降りとなったため、ヒュッテで長逗留を決め込んだ。次々と雨宿りの縦走者が入ってきて小さなヒュッテのスペースは一杯になってしまった。私達はトコロテンが押し出されるように再び雨の中へ。午前中のうちに西岳ヒュッテ到着。ヒュッテの主人いわく「ほんとうに泊まるの?まだ時間は早いよ、たいていの人は槍沢のほうへ下山したよ」。天気予報も悪いらしい。西岳ヒュッテの3畳スペースは、熊本から来た父子と一緒だった。高校2年生の息子さんは、初めての縦走体験で、かなり参っていたようである。 8月14日朝、今日も雨が降り続いている。おまけに風も強い。それでもみんな黙々と山の装備を身につけ、次々と出発していった。今日の行程は、東鎌尾根をつめて槍ヶ岳山荘まで。ガイドブックでは、3時間40分の距離。私達はゆっくりと旅装を整え、ヒュッテをあとにした、また雨の中へ。西岳ヒュッテからはいきなり急な梯子場の連続となる。細い尾根伝いの道、鎖、岩よじり、ときどき北鎌尾根の黒く鋭い岩壁が魔物のように聳えているのが、霧の中に現れる。この辺りは「天空の回廊」と呼ばれているらしい。眼前には槍の穂先が迫っているはずなのだが、・・・・・・。 登山路の上に小さな生き物を見つけた。ライチョウだ。逃げようとはせず、一定の距離を保ちながら、あたかも私達を槍ヶ岳に導いてくれるように先行する。 ![]() ライチョウに別れを告げ、ヒュッテ大槍を過ぎるころから、雨はますます強まりおまけに強風が吹き荒れるようになった。「寒い!低体温症で遭難とは、こんな状況か」とも思ったが、槍ヶ岳山荘が近いことは確信していたので、ただただ黙々と歩き続けた。 無事槍ヶ岳山荘に到着し、すぐに受付をしようとしたが、手がかじかんで字が書けない、財布の中の紙幣はずぶぬれでよれよれ。あらためて今日の悪コンディションを実感した。濡れた雨具、靴を乾燥室に干して、部屋での休息を決め込んだ。しかし外の天気も気になる。ここまで来て槍ヶ岳の山頂を踏まないことなど考えられない。ときどき窓の外の空を眺める、少し明るいぞ! ![]() 濡れた雨具と靴をふたたび身につけ急いで頂上へと向かった。青空と白い霧が交互に頭を覆う。 岩をよじり、鎖を引っ張り、そして長い長い梯子を登りつづけ、最後の一段を踏み越えたとき、青空の下に輝く山頂の祠が目に飛び込んだ。感激の一瞬。![]() 悪天候であったためか、山頂には私達のほかに三人だけ。青空は次々に湧き上がる雲ですぐにかき消される。しばらくするとまた雲の間に間に青空が広がった。向こうの白い雲の上に「ブロッケン現象」が浮きあがった。不思議な光景、昔の人は「山で神に出会った」と思ったことだろう。時を忘れ、槍の山頂のひと時を、心から楽しんだ。忘れ得ぬ思い出、『槍が岳』。 ![]() 翌15日、また雨の中、槍沢を一気に下り、徳澤ロッジ宿泊。 翌16日、晴れ間が広がる!明神から上高地を散策して、新島々、空港へ。夕刻、無事札幌のわが家に帰りついた。 #
by kobayashi-skin-c
| 2012-08-29 18:33
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